双千の祓い

 
滝風

 月の見えない夜、ビル群の中を小さな影が走り回っていた。人ではない。何か動物のような影だ。それは頻繁に方向を変え、なかなかトリッキーな動きを見せていた。
 しかし、ビルの間を駆けるのはこの影だけではなかった。二つの人影が、その影を追っている。
 二つの内の一つが、目標の前に躍り出る。背格好からして高校生かと思われるその少女は、対象の行く手を阻むように身構える。小さな影は直ちに方向転換して逃げようとするが、後方にはもう一人の男が立ちふさがっていた。前にも敵、後ろにも敵。窮地に追い込まれた「それ」は、突然耳をつんざくような叫びを発した。人の声とは似ても似つかない小動物の悲鳴。
 耳を塞ぎながら少女が何か叫んだが、かき消された。あまりの五月蝿さに目を瞑ると、次に瞼を開いたときには、その場はもぬけのから──「奴」は、姿を消していた。



 ひた、ひた。
 ──まただ。また聞こえる。
 足音は次第に大きくなり、ついに私の部屋の前で止まった。
 駄目!入ってこないで!
 そう叫んだつもりだったけど、声が出ない。そればかりか、身動き一つ出来なくなっているのに気が付く。
 そうこうしてるうちにドアはゆっくりと開いていく。

 来る。「あれ」が来る。
 やめて、やめてやめてやめてーーーーー!!


「──…お、真央!」
「……っ!?…未希…?」
 汗だくになって目が覚めた。隣には、震える私を気遣う友人がいる。
「どうしたの真央、すごいうなされたけど…」
「──だ、大丈夫。心配ないよ」
 どうやら授業中に寝てしまったらしい。今は休み時間のようだ。──そのせいか今日は、一段と悪い夢見だった。
「大丈夫ってことないでしょ…。何か悪い夢でも見たの?それじゃなくても真央、最近元気ないじゃない」
「う…うん、それが…」
 言いかけて口をつぐむ。これは話してもいいことなのだろうか。というよりそもそも、信じてもらえるのか。
煮え切らない態度の私に、未希は「何か悩みがあるんでしょ?私でよければ聞くよ」と毅然として言ってくれた。それで私は、覚悟を決めて話し始めた。
「最近…おかしなことが起こるんだ」
「おかしなこと?何、オカルトっぽいの?」
「…うん、夜中変な物音がしたり…足音が聞こえたりするの…。段々音も大きくなってるし…」
 正直ひかれると思ったが、未希は至って真面目に聞いてくれた。
「お祓いとかは行ってみた?」
「まだ…。お祓いって言ってもどういうところに頼めばいいかわからなくて…」
「うーん………あ、じゃああの二人に頼んでみたら?」
「…あの二人?」
「知らない?六組にいるんだよ、妖怪退治みたいなことしてる二人組」
「よ、妖怪退治……?」
「うん、ダメ元でもさ、あれこれ悩むよりは一度行ってみたらいいんじゃない?」

 と、いうことで昼休み、私は六組の教室に向かって歩を進めていた。私は三組だから、六組の人とはあまり接する機会がない。そんな二人組がいたことも今の今まで全く知らなかったのだ。そんなだから、六組に辿り着いても目的の人物の顔も判らないのも当然っちゃ当然だった。

「あのー……よ、妖怪退治をやってる二人…っていうのは…」
 恐る恐る窓際の席の人に訊ねてみると、それ程怪訝な顔もされずにあれだよと教えてくれた。やっぱり有名なのかなぁ。
 その二人は、教室の後ろの方の席に座っていた。二続きの席の後方で長身の男子が頬杖をつき、前の席の女子が体ごと後ろに向けて何やら話し込んでいる様子だった。
「──だからさ、絶対まだ近くにいると思うのよ!」
「つっても居場所特定できないだろ」
「あの〜…」
「そうよ、あーもう腹立つ!これを逃したら次いつ収入あるかわかんないってのに!」
「あ、あの…」
「あのクソネズミ、次会ったら干物にしてやるわ!」
「あ、あのー!!」

「……ん?あなた、誰?」
 ここでやっと私の渾身の呼びかけが届いた。
「さっきからずっといたけどな」
「じゃ言いなさいよ!!」
 全く漫才でもしているような二人だ。このやりとりだけ見ているととても妖怪退治なんてものをしているようには思えないのだが。
「私は三組の高瀬真央です。あなたたちが…えと、その、妖怪退治をしてるって聞いて…」
「ああ、うん、そうだけど」
「じ、じゃあ私に憑いた妖…祓ってくれませんか?」

 シーン。

 あ、あれ?何この沈黙?なんか私まずいこと言ったかな…。

「……それって、『依頼』ってこと?」
 沈黙を切り裂いたのは彼女だった。
「え?あ、はい…」
「……ぃよっしゃあああああああ!!!!」
 彼女はいきなり叫んだと思うと満面の笑みで躍り上がった。男の人の方もまんざらでもない様子で女の子のハイタッチに応えている。
「これでやっとビンボー生活からおさらばできるわ!あたしたちってラッキーね!あ、そういえばあなた、名前は!?」
 そう言った彼女は私の手を握ってぶんぶんと振り回した。…ちょっと痛い。
「た、高瀬真央です」
「あたしは七塚千尋!んで、こっちの無表情は七塚千早!似てないけど一応双子よ。ややこしいから下の名前で呼んでくれればいいわ!」
「こいつのハイテンションについていけなくなったらいつでも言えよ」
「うるさいわよこの万年ローテーション男!…まあいいわ、不甲斐ないあんたに代わりあたしが懇切丁寧に説明したげる!」
 彼女、千尋さんはふふんと笑うと私に向き直った。
「さっきあなたは妖怪退治って言ったけど、正確には『闇祓い』って言うのよ。意味は同じだけどね。料金は後払い、標的に見合った額をお支払いしてもらうわ。…値が張る時もあるけど、仕事は確実よ!」
 千尋さんと千早君は、自己紹介を含めて仕事のことも説明してくれた。彼女ら──「闇祓い」のことを。

「それにしてもよかったぁ、初めてこの学校でマトモに仕事が入ったわ!」
「…え?そうなんですか?」
「そうよ、みんな物珍しがって話を聞きにはくるけど、依頼してくれたことは一度もなかったもの」
 そうか、それでさっきの人も不審がらずに教えてくれたのか。物見遊山で来た生徒だと思ったらしい。
「真央ちゃんはどうしてあたしたちに頼もうと思ったの?こんな所に来るくらいだから怪奇現象とかで悩んでるんだろうけど」
「普通の祓い屋に頼んだ方がどう考えても信頼できると思うけどな」
「余計なこと言うんじゃないの!せっかくの依頼をパーにする気!?」
 相変わらず二人の楽しい(?)やり取りが続いている。それを見ていて思った。やっぱり、この人たちがいいと。何故かは分からないけど、この二人は信じられる、信じたいとそう強く思った。


「…じゃ話を聞かせてもらおうかな」
 千尋さんはひとしきり千早君と言い争い(といっても彼女の一方的な文句)をした後、自分の椅子にどっかと座り込んで言った。ちなみに私も椅子を貸してもらったので、二人の席の間に割り込んだ形になる。
「はい、実は最近…」
 私は自分の身に降りかかった現象を話した。一通りのことを話し終えると、千尋さんはうーんと唸って考え込みだした。
「そのケースだと…うー…」
「…その他に心当たりはないのか?」
 煮詰まった千尋さんに千早君が助け舟を出す。そう言われて私はあることを思い出した。
「…あ!そういえばそういうことが起こったときっていつも…」
 言いかけてぞっとする。嫌でも先ほどの夢を思い出した。
「…動いてるんです、少しずつ。」
「…動く?」
「『そういうこと』が起こる度に…微妙に動いてるんです。……和室の市松人形。」
 そう言った瞬間、千尋さんがひっと短く悲鳴をあげて千早君の後ろに隠れた。
「ちょっ…やめてよね!あたしそういう話苦手なのよ!」
「よ…妖怪の退治が仕事なのにですか?」
「モノホンの幽霊は専門外よ!お出ましになられてもあたしらじゃ何の役にも立たないわよ!」
 慌てふためく千尋さんに千早君は至って冷静に告げる。
「落ち着け千尋…物が動くなんて典型的だろ」
「へ?…あ、なるほど、その人形に何か小妖怪でもとり憑いてるワケか!…あれ、ちょっと待てよ……もしかして」
「もしかするかもな」
「真央ちゃん!!」
「!?な、なんですか!?」
 千尋さんはいきなり私の肩をがしっと掴むと、何やら真剣な面持ちで訊ねてきた。
「真央ちゃん、どこに住んでる?」
 っていうか目がマジだ。ちょっと恐い。
「わ、Y市の辺りですけど…」
 ドンピシャ、と千早君が呟いた。千尋さんはすぐさま千早くんの腕を引っ張り、何やら二人でヒソヒソ話をし始めた。 小声で、私には聞こえない。
「(ちょっと!Y市ってあたしらが数日前ネズミ妖怪を逃がしたとこよね!?)」
「(要するに弱った鼠がちょうどいいねぐらを見つけたんだろ)」
「(市松人形なんて年季入ってそうで、いかにも媒介にしやすそうなシロモノだもんねぇ)」
「(…千尋、お前のことだから忘れてはないと思うが…)」
「(わかってるわよ!一匹の獲物に依頼人が二人!…てことは依頼料も二倍!ほんっと、あたしたちってラッキーね!)」

 話が終わると、千尋さんはこれ以上ないにこにこ顔で私の肩にポンと手を置いた。
「任せなさい、真央ちゃん!あたしたち闇祓いが金ヅ…妖怪を退治してあげるから!」
「は…はあ…(なんか今不穏な単語が…?)よ、よろしくお願いします!」


 同日、もう日も暮れてきた時刻、場所は私の家。「闇祓い」二人は、食い入るように問題の人形を見つめていた。
「うーん…普通の人形、に見えるけど…『いる』わね」
「ああ」
「ど…どうしたらいいんでしょう?」
「んー……対策立てる必要ありそうだし…」
「とりあえず今日のところは出直そう」
 そう言うと、千尋さんと千早くんは鞄を持って立ち上がった。…かなり短い滞在だったな。

「…じゃ、辺りも暗くなってきたし、気をつけて帰って下さいね」
「はは、あたしらはそんじょそこらのヤツには負けないよ!…そうだ真央ちゃん、頼みたいことがあるんだけど……──」



 ──ひた、ひた。またあの音。これも夢?
 足音が近付いてくる。そしてやっぱり、私の部屋の前でぴたりと止まる。ドアが開いて…今度は私のベッドまで、ひた、ひた。
 ベッドにまで辿り着くと足音は息を潜め、代わりにヒヤッとした何かが首筋に触れた。と、次の瞬間凄まじい力で首が締め上げられた。ここにきてようやく私のぼやけた頭は活動し始める。

 …夢では、ない!

「…っぐ…ぅ…」
 が、今更気付いてももう遅い。せっかく回り始めた私の脳は早くも意識を飛ばされそうになっていた。

 ───誰か、助けて!!

 朦朧とする中、心の中で必死に叫んでいた。──それをあなたたちは、約束通り助けに来てくれたんだよ。

 突然耳を裂くような悲鳴が聞こえ、同時に呼吸ができるようになった。ゴホゴホとせき込みながら、涙目になった瞳で私は確かに見た。

 開かれた窓から吹き込む夜風に髪をなびかせ、淡い月光を身に纏う、その姿を。
 「遅くなってごめん真央ちゃん!後はあたしたちに任せて!」
 頼もしい笑顔を見せる千尋さんに続き、千早君も一足遅れて窓から登場する。
「…怪我はないか?」
「だ…大丈夫です。ありがとうございます」

「──ふふ、まさに袋の鼠、ってね!逃げられないわよ、ネズミさん!」
 千尋さんに鋭い眼光を向けられたのは、やはり──例の市松人形だった。
「ネ…ネズミ…?」
「あいつはあの市松人形にとり憑いてるだけで正体は鼠の妖だ。今は弱ってるはずだが──」
「窮鼠猫を咬む、ってわけ?…あ、探せば『鼠』使ったことわざってたくさんあるわね」
 禍々しい気を放つ敵を相手に、二人は余裕綽々の様子だった。…大丈夫。この二人なら、勝てる。

「…一度帰ったはずなのになんでいるんだ、って顔ね。全く、期待を裏切らない行動してくれるわ。あんた如きに対 策なんてもの必要ないわよ」

 そう、二人は帰る間際、私に頼み事をしていた。


「──え?帰るフリ…ですか?」
「そうよ、あたしたちの読みだと多分、ヤツは近いうち、早ければ今夜あなたを狙ってくるはずなの。ああいう小妖怪ってのはとり憑く媒介──宿主が必要でね、弱ったアイツじゃ直接人間に憑くのが無理だったからでしょうけど…あの人形を介してあなたにとり憑いてるのよ。だからあたしたちに消される前にあなたを殺してまた新しい宿主を見つけに行くつもりなんでしょうね」
 私の血の気がひいたのを見ると、彼女は慌てて付け足した。
「大丈夫!あたしたちがそんなことさせないから!」
「…それでも、言い方は悪いがこれは囮作戦だ。…嫌なら止めてもいいぞ。また違う手を考える」
「…そうね。…どうする?真央ちゃん」
「……………」
 彼らの、私を気遣う瞳は優しかった。今はただ、それを。
「…信じます!私は…あなたたちを信じてます!」
 それを聞くと千尋さんは、本当に嬉しそうににっこりと笑った。
「…うん。あなたはあたしたちが護ってみせる。…約束する!」



 そして今、彼らは私の目の前にいる。私に、頼もしい背を向けて。
「──さ、一気にカタをつけましょうか」
 いつの間に取り出したのか、千尋さんの手には何か呪文めいた字が綴られた札が握られていた。
「どうしたの?かかってきなさいよ低俗妖怪」
 千尋さんの挑発が頭にきたのか、市松人形はカタカタと震え、閃光、それとけたたましい叫び声と共に本来の姿を表した。逆立つ体毛に鋭い爪、赤く不気味な光を放つ眼。まるで、巨大な鼠だ。
 鼠妖怪は息をつく暇もなく、自分を愚弄した張本人に襲いかかった。千尋さんは間髪入れず、手に持っていた札を投げつける。バチバチッと烈しい閃光が走り、敵の動きが停止した。
「千早!!」
 千尋さんが叫んだのとほぼ同時に、千早君が鼠に飛びかかった。その手に握られた刀が、しっかりと目標を貫いていた。鼠妖怪は断末魔の叫びを残し、白い光となって消えていった。
「──あたしらにタテつこうなんて千年早いよ」

 振り向いた二人の表情は、温かい微笑みに満たされていた。だからそれに応えるため、私もとびっきりの笑顔で二人のもとへと駆けていった。



「──それにしても助かったわぁ、これで当分安泰ね!ほんとありがと、真央ちゃん!」
「私こそ本当にありがとうございました!…それにしてもお二人はなんでそんな力が使えるんですか?」
「んー…七塚家の血筋かな?なんてったっけ、おん…おんみ…」
「陰陽師」
「そう、それ!陰陽師の末裔だかなんだか言ってたような…」
「へぇー、すごいんですね!でもあの強さだったら納得…」
 「あ、あのー…」
「ん?」
「や、『闇祓い』の人ですか…?」
「あ、お客さんじゃないですか?」
「んなまさか…」
「妖怪退治…お願いしたいんですけど」
「…え!?…それって本気?タチの悪い冗談とかじゃないわよね?」
「は、はい!」
「(あ、千尋さんが急にニヤニヤし始めた…て、気のせいか千早君も!?)」

 「「契約成立!!」」



 組めば最強、無敵の二人組。「闇祓い」があなたの心の闇を祓います。──身の回りに危険を感じているあなた。一年六組、七塚千尋と七塚千早に御一報を。




JACKPOT58号掲載
背景画像:空に咲く花

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