時計
 
滝風


「──なあ、時計少女って知ってる?」
「…何それ?」
智希は寝ぼけ眼で友人の光に返事をした。
「なんだよお前、寝不足?そういやここんとこずっと眠そうだな」
それには答えず、代わりに大きく欠伸をした。それから、構わず続けて、と手振りで示す。光は仕方なく続きを話し始めた。
「多分都市伝説っぽいのだと思うんだけど…この学校にもあるんだよ、そういう話」
「…何、怪談系?苦手なんだよそういうのー」
「いやいや、そんな怖いのじゃないって。…ほら、この学校って時計台あるだろ?」
ああ、あの無駄に大きい塔か。で、あれがどうしたって?
「それがさぁ、噂では深夜十二時にあの時計台の時計を見ると……」
怖い話じゃないって言ってたのになんか雲行きが怪しくなってきたぞ…?それで、見るとどうなるんだよ。
「見ると……時計少女が現れて時間を貸してくれるんだよ!」
「………………へぇ。」
智希の腑抜けきった返事に光はいきり立って抗議した。
「お前今めんどくさくなって丸投げしただろ!ツッコめよ!ツッコんで下さい!」
「えー…じゃ『時計少女』って何?」
「正体は不明だけど、なんか時間が足りない人に時間をレンタルしてくれるんだと」
「……時間が足りない人に…」
今まで半信半疑で聞いていた智希が、ここにきて少し興味を示した。
「それ、ほんと?」
「さーな、なんせ噂だから」
「……………。」
光のからからとした笑い声でその話題はお開きとなった。


──午前十一時五十分。智希は例の時計台の前に佇んでいた。
──信じてない。信じてないけど今は猫の手も借りたい状況だ。今からどんなに頑張ってもどうせ間に合わない。それなら神でも幽霊でもいいから助けてくれ!
智希は焦っていた。彼には、そう、時間が足りなかったのだ。
発端は二週間前の数学の時間。テスト前のせいだかなんだか知らないが、智希のクラスで山のような課題が出された。本来なら毎日こまめにやればいいのだろうが、智希はその課題をすっかり忘れており、気がついたのは一昨年、提出は明日である。一昨年から徹夜同然で尽力してきたが、とてもじゃないが間に合わない。困り果てた智希が最後の頼みの綱にしたのが「時計少女」だったのである。

色々回想していると、いつの間にか時刻は十一時五十九分になっていた。カチ、コチと時計は無機質に針を動かす。
──どうせ、何も起こらない。起こらないだろうけど……。
カチ、コチ、カチ、コチ…

五十五、五十六、五十七、五十八、五十九……カチ。
時を紡ぐ針が、零を指した。
……………。
何も、起こらない。大時計は知らぬ顔でカチコチと時を刻み続けている。
「……はぁ………」
思わず溜め息が漏れた。今更のように夜風が身に染み、身震いをする。
…帰ろう。帰って先生に怒られる覚悟を決めよう。一体自分は何を期待していたというのだ。
智希が諦めて帰ろうときびすを返した瞬間。

「──私を喚びましたか──?」
凛と澄んだ声が降ってきた。智希は驚いて振り返る。声の主はそこにはいなかった。少なくとも、智希の目前には。
高くそびえる時計台。その最上部、塔の屋根にある「何か」が夜空に浮かぶ月を二つに割っていた。
「ご機嫌よう、お客人。時間をお貸ししましょうか?」
「───っ!」
「何か」、いや「誰か」はそこにいた。天使のような微笑みと、悪魔のような黒い服を纏って。──「時計少女」が、文字通り時計台の頂上に立っていた。

「…君が、時計少女?」
智希は呆然とその少女を見上げ、そう問いかけた。少女はそれには答えず、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「時間を、お貸ししましょうか?」
「…あ、はい!せめて一週間前から気付けていれば…。あ、でも時間を『貸す』ってどういう…?返さなきゃいけないってことなのか?」
突然の出来事に混乱し、早口にまくし立てた智希だったが、少女は手に持っていた鎖付きの銀の懐中時計をくるくると弄びながらゆったりと返答した。
「正確には私は時間を『貸す』のではなく『頂く』のですよ。貴方が過ごした貴重な時間をね。その代わり貴方は失った時間からまた新しい時を紡ぐ。これでお互いに利益を得ることができるでしょう?」
少女の言っている内容はちんぷんかんぷんだったが、智希は本当だったんだ、と心の中で反復していた。噂は本当だった。つまりこの少女は自分の苦難を打ち壊してくれるすべを持っているのだ。
少女は銀時計の蓋をパチンと閉じて言った。
「さて、そろそろお仕事に入りましょうか。」
「…え?」
突然、目線の先の少女が掻き消えた。智希は目を疑って少女を探した───探す必要もなかったのだが。なぜなら彼女は、唖然とする智希の目の前に立っていたのだから。
「!?な…」
少女は悪戯っぽい笑みを浮かべると、その手で智希の目を覆った。
視界が暗転する。意識が遠のいていくのが分かる。混濁する記憶の中で最後に聞いたのは、カチコチという時計の音。あの少女の銀時計だろうか。智希の意識は深い闇へと落ちていった──。


「──おい智希、今日提出の数学の宿題やってきたか?」
「ああ、一週間前からコツコツやってたからバッチリ!」
「俺も昨日でやっと終わってさー…」
少年達の笑い声が聞こえる教室。その教室に一人、窓の外を見る女子生徒がいた。その女子生徒はクスクスと笑いながら呟いた。
「確かに時間、頂きました──」
その手に持つ銀の懐中時計が、カチコチと時を刻んでいた。

「時間をお貸ししましょうか?」

今日も、時計少女は時追人を待っている。




JACKPOT57号掲載
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