滝風 ヒュッという鋭い音と共に、磨き抜かれた真剣が虚空を斬り裂く。その切っ先を見つめる瞳は、何を思うのか。 「相変わらず熱心ですね、真(さね)時(とき)」 ふと響いた声に、視線だけをそちらに向ける。 「……何だ、早守音」 早守音はくすりと彼女独特の笑みを浮かべ、鍛練場の戸にもたれかかった。 「少しお話がありまして。忙しいようなら後にしますが」 「……いや、いい。今聞こう」 真時は大きく息をつき、刀を鞘に収めた。修練をするにも少し、集中力が途切れてきた頃だった。 「で? どういう話だ」 「……白花国を陥落させた敵国の調べがつきました」 早守音の報告に、真時は眉根を寄せて表情を険しくした。 「――詳細は?」 前々からこういった諜報を早守音は続けていた。内情視察などの仕事は、真時よりも彼女の得意とするところだ。 「以前から対立関係にあった隣国ですが……それ以外にも少々気になるところがあるんです。真時、今日予定がないのなら少し調べてみませんか」 「……それは構わんが、桜花はどうする。先の事があっただろう」 真時が示唆するのは、先日桜花が違法商船にさらわれたという出来事のことだ。今この状況で桜花の傍らは空けるべきではない。 「乙彦君がいるでしょう?」 早守音は当たり前のように言ったが、真時はそれが腑に落ちないようだった。 「……それだが早守音、本当に乙彦に任せて大丈夫か? どこの者かも分からないんだぞ」 「それくらいして戴かないと彼を連れてきた意味がありませんよ。それに出自が不明という点においては私も同様ですが?」 と言って、早守音は心情の読めない笑みを浮かべた。彼女のそれは時に曖昧で、時に挑発的だ。 真時は早守音の瞳を見て、反論することを諦めた。時間と労力の無駄である。 「……分かった。お前の判断に任せる」 早守音の策に乗りかかってそれが間違いだったことは未だない。そこが少し、悔しいところでもあるのだが。 「おや? あっさり退いてくれるんですね」 「結局はごり押しで通すんだろうが。伊達や酔狂で十年お前と共にはいない。そのくらいもう解っている」 溜め息混じりで真時は早守音の横を通り過ぎた。早々に準備をしないと夕刻までに戻れない。 「……あなたも昔は可愛かったんですけどね」 早守音は小さく一笑すると、ぶつくさ言う真時の後を追いかけた。 ふわりと吹いた軽い風に、桜花は不意に顔を上げた。目の前をひとひらの花びらが舞い落ちていく。それを追う桜花の目に、短く整った髪がはらりとかかる。 足下に散る花弁は僅かだ。枝を見ると、もう花より葉の方が多いくらいだった。 ――桜の季節が、終わろうとしていた。 桜花はこれまでのことを想起していた。あの日、亡国より幾日過ぎただろう。 自分は何をしてきただろう。季節は巡るのに、自分だけが何も出来ず置き去りにされている。 縁側に腰掛けながら、桜花はひとり、そんなことを思った。 「私も、何か役に立てることがないかなぁ……」 自分は非力で、たくさんの人たちに護られている。ならばそれだけの、護るだけの価値のある姫になりたい。強くて優しいあの人たちが誇れるような、そんな姫に。 そして、そう思える人と居場所が自分にはあることに気付き、桜花はゆっくりと瞑目する。のどかに降る陽光が、肌に触れて心地良かった。 自分に何が出来るのかは分からない。けれど、もし自分の力が必要な時がきたら、その時は持てる全てを尽くそう。『姫』である限りそれは可能であり、そして義務でもある。そのことは、国の象徴花と同義である自らの名が、戒めのように教えてくれていた。 そっと目を開き、遠くに移ろわせた視線の先に見知った姿を見つけて、桜花は顔をほころばせた。 「乙彦くん!」 「庭先で花見? オレもご一緒していいかな、桜花」 乙彦は軽く手を振り、こちらに近付いてきた。桜花はもちろん、とその傍らを空ける。 「乙彦くん、ここでの生活、もう慣れた?」 私もまだ日が浅いんだけどね、と桜花は照れるように笑った。 「ああ、順応性は高いほうだからね。楽しくやってるよ」 乙彦は縁側に軽く後ろ手をつき、楽々とした姿勢をとった。 ――彼は笑っているけれど、本当にこれで良かったのだろうかと桜花は思う。 乙彦の乗っていた商船はあの後まもなく役人に押さえられ、船員も残らず検挙された。ただ一人、彼を除いて。 「気にすることないよ、どのみちあの船は捕まってただろうし……この軍にかくまってもらわなきゃオレも危なかったからね」 顔を陰らせていた桜花に、乙彦は姿勢を組み直しながら軽く笑いかけた。余裕を含んだその笑みは、初めて会ったときに浮かべていた表情とよく似ていて、桜花は少しほっとした。 「そういえば真時さんと早守音はどこに行ったんだろう? 今日見てないんだけど……」 気持ちがひと段落着くと、他のことに気が回る。何気なく投げかけた問いに、乙彦は若干ぎこちなく答えた。 「あー……あの二人なら朝から出かけたみたいだよ。大した用じゃないってさ」 乙彦は「有事の際は何が何でも桜花を護って下さいね乙彦くん」と、出がけの誰かに気持ちがいいくらいの笑顔で言われたことを思い出し、思わず顔をしかめた。言われなくともそうするつもりだが言い方が気に食わない。 「うーん、そうなんだ……じゃあ今日はちょっとのんびりしようかな」 「……そうだね。お喋りするんだったら付き合うよ」 乙彦の言葉に、桜花はぱあっと顔を明るくさせた。 「本当? ありがとう、乙彦くん!」 嬉しそうなその笑顔に、思わず頬が緩む。この少女となら、穏やかな日を過ごすのも悪くないと、そう思えた。 「あ、乙彦くん! あれ!」 乙彦が心を和ませた矢先、桜花は突然、驚いたような声をあげた。 「あれ?」 桜花の目線を追うと、屋敷の出入り門の辺り、ふらふらと足取りのおぼつかない人物が見えた。その人物はよろっと大きく大勢を崩したかと思うと、いきなりその場に倒れ込んでしまった。 「た……大変! あの、大丈夫ですかー!!」 乙彦が止める前に桜花は門に向かって駆け出して行ってしまった。 (穏やかな一日――――は、過ごせそうにないな) 乙彦はふっと苦笑し、軽く天を仰いだ。 「――だ、大丈夫ですか!? しっかりして下さい!」 桜花は敷居の傍に倒れる青年に呼びかけた。年齢は二十そこそこで、何故か着ている着物が湿っている。その青年は瞼を開き、はっと辺りを見回した。 「ここは……?」 「ここは鳥梁軍の所有してる屋敷だよ。あんた一体どうしたの?」 桜花より遅れて歩いてきた乙彦が、怪訝そうに青年を見た。その本人が慌ててたたずまいを直し、申し訳なさそうにぺこりと頭を下げる。 「すみません、もう大丈夫です」 「だ、大丈夫って……何があったんですか?」 桜花が心配そうにその青年を覗き込んだ。 「あ、そんなに大したことじゃないんですよ。ちょっと橋で滑って転んで川に落ちて岸に上がったところで犬の尾を踏んづけて追っかけられてただけなので」 あはは……と青年が力なく笑う中、桜花は思わずあっけにとられ、乙彦は呆れて絶句した。ドジというか、間抜けにも程がある。 「……って、川に落ちたのにそのまま放っておいたんですか!? これじゃ風邪ひいちゃいますよ!」 しばらくして、我に返った桜花がはっとして青年の裾を掴んだ。 「乙彦くん、私何か拭くもの取ってくるよ!」 慌てて屋敷にとって帰ろうとする桜花を、乙彦は自分が行くと引き止めた。見る限り、二人きりにしておいても桜花に危害を加えるようには見えない。最後に青年を一瞥すると、乙彦は来た路を戻っていった。 乙彦の姿が見えなくなると、青年は桜花に向き直って頭を下げた。 「わざわざありがとうございます。……あ、申し遅れました、僕は静森社といいます」 青年、社は朗らかに笑い、つられて桜花も笑顔で頭を下げた。 「私は桜花です。えっと、社さんはこの町の人……ではないんですか?」 「あ、はい。実はさっき着いたばかりなんですよ」 「そうなんですか。この町へは、どういうご用で?」 そう訊けば、社は嬉しそうに、けれど少し寂しそうな表情を浮かべた。 「……探している人がいるんです」 「……探している人、ですか? その人がこの町に?」 「あ、いえ、わからないんです」 小首を傾げて訊ねる桜花に、社はかぶりを振って答えた。 「実はその人の名も知らないんです。人伝いの噂でここまで来ましたが……」 見つかるといいんですけど、と小さく句を継ぐ。桜花はただ、柔らかに微笑んだ。 「見つかりますよ。きっと……」 桜花の言葉に、社は少し驚いたように目を瞠ると、嬉しそうに破顔した。 「ありがとう。僕の会いたい人も、あなたのように優しい人でした」 そうやって他愛のない談笑をしているうちに乙彦が戻り、「今度から気をつけなよ」と手拭いを投げた。社は礼を言いながらそれを受け取ったが、湿った髪を拭こうとしたその手が、不意に止まる。 その「異変」に気付いたのは社だけではなかった。乙彦は神経を集中させて辺りの様子を探る。 (二、三……結構いるな。もしこいつらが桜花を狙ってるなら) 厳しい事態だ、と乙彦は眉根を寄せた。 (そしてもう一つ厄介なのが――) ちらりと目の前の男を垣間見る。 恐らく、この男は状況を理解している。複数の間者が息を潜めて自分達を包囲しているということを。 (ただのドジな通行人じゃなかったってことか) 乙彦は少し考え、そして決めた。 「おい、あんた。桜花と一緒に屋敷に入ってな。オレがいいって言うまでね」 懐を探り、愛用の銃があることを確認する。少し苦戦はするかもしれないが――この状況だ。やむを得ない。 そう思案していた乙彦に、状況が解らない桜花は当然のことながら発言の訳を質そうとした。が、手前にいた社が手でそれを制する。その表情は、穏やかなものではない。 「君一人でどうするつもりです? ――僕も残ります」 社の放った言葉に、乙彦は心底驚いたように目前の彼を見た。 「はあ!? あんたみたいな優男に何が出来るっていうのさ!」 「それは君もでしょう!?」 そんなことを言い合っている内に、先程からこちらを窺っていた影が不意に動いた。 その気配をいち早く察した乙彦はとっさに叫ぶ。 「桜花! 門外に出るな!」 「乙彦くん!?」 状況が呑み込めない桜花は、訳が分からないといったふうに首を振る。乙彦は門の敷居を跨ごうとして、思いとどまるようにゆっくりと振り返った。 「――……頼むから」 その眼差しが驚くほど真剣で、桜花は思わず言いかけていたことを呑み込んだ。その代わりに、わかった、と微かに頷く。 本当は、訊きたいことや、確かめたいことがあったけれど。言えない、と桜花は思った。自分は確かに、また誰かに護られているのだから。 謝罪も、謝礼も、まだ言う時ではない。全ては彼らが無事に帰った、その後で。 桜花はぎゅっと拳を握り締めた。 乙彦は最後に、護るべき少女を視界の端に捉え、外へと飛び出した。 「おい! 引っ込むなら今のうちだよ! あんたの身は保証しないからね」 「僕のことはご心配なく。それより気を付けて。――来ます」 足音を消した影が忍び寄る。 「――解ってるさ」 乙彦が不敵に笑って銃を構えた次の瞬間、物陰から鋭い矢が飛んできた。気配から読めていた為、これを苦もなくかわし、放ち手を的確に撃ち抜く。――が、他にも前方に刀を構えた者が二人、そして後方にも一人、いる。 (間に合わない――!) そんな考えが頭をよぎったその時、バチバチッと何かが弾ける音がして、乙彦は思わず目を瞑った。 「――もう大丈夫ですよ」 ゆったりと、優しい声が響いた。 「……っこれは……」 ゆっくりと目を開いた乙彦が見たものは、武器を落とし地面に転がる凶手達の姿だった。不自由そうにもがくその様子は、まるで不可視の縄に捕らわれているようにも見える。――それはまごうことなき異能の力。 「……あんた、陰陽師だったのか!」 乙彦が驚いて隣を振り返ると、社は「本来の用途ではないんですけどね」と控えめに笑っていた。 「……まあともかく、あんたのおかげで助かったよ。優男とか言って悪かったね」 「いえ、君こそ凄いですね。あんな遠方の敵に銃弾が命中するなんて」 「……いや」 社の称賛に、乙彦は俯いて首を振った。 結局、自分は何も出来なかったのだ。社の助けが無ければ命も危うかったかもしれない。 (護る護るって啖呵切っといてこのザマか) 乙彦は軽く自嘲気味に笑った。今の自分はあまり桜花には見せたくないな、と屋敷の外塀にもたれかかる。 「――乙彦くん!」 だが、そんな時であっても、その声は届く。 門をくぐり、こちらを心配そうに見つめる少女がそこにいた。 「……あの、乙彦くん」 桜花の視線が、地面に転がる男達に移る。乙彦は説明のため口を開こうとしたが、桜花の方が幾分早かった。 「――ありがとう、乙彦くん」 乙彦の目が、僅かに見開かれる。彼女の顔に刻まれた表情が、たおやかな、なのに目の醒めるような笑顔だったから。 「護ってくれて、ありがとう」 繰り返された言葉に、向けられた笑みに、つられてこぼれるように笑ってしまう。 「……ああ。無事で良かった、桜花」 きっと、これがこの少女の力なのだ。――そこに、ただ、彼女だけの優しさと強さが在った。 「……それにしても、社さんはすごい力を使えるんですね」 乙彦が凶手達を本物の縄で縛り上げた後、桜花が感心したように言った。それに、社が穏やかに答える。 「いえ、僕の一族ではそんなに珍しいものではありませんでしたから」 「一族?」 と、乙彦はその話に興味を持ったようだったが、会話は続くことなく途切れることになる。桜花が、社の向こうに発見した人影に手を振ったのだ。 「――あ、真時さん、早守音、おかえりなさい!」 桜花の視線の向かうままに後ろを振り返った社は、「その姿」を目にとめ、息を呑んだ。 「……見つけた……」 呟くやいなや、足は地を蹴っていた。その人のもとへと。 「彼女」の細い腕を掴んで、深く息をつくように言の葉を紡ぐ。 「貴女を捜していました――ずっと」 早守音は、最初茫然と社を見ていた。が、次第にその表情は苦しげに変わっていく。――刻み込まれた、痛痒。 彼女は声にならない声で、「なぜ」と呟いた。 隣で見ていた真時はあっけにとられた。突然現れた男に、というよりも、――早守音のそんな顔を初めて見たからだった。 「二年前の戦で、僕は貴女に救われたんです。あの後名も訊かないまま貴女はいなくなってしまって……良かった、やっと逢えた」 嬉しそうに笑う社に、早守音は俯き、絞り出すような声で告げた。 「…………私に、近付かないで下さい」 今度は社が驚く番だった。 「……何故ですか?」 「……なんでも、です。とにかく、今すぐ私の前から消えて下さい。そしてもう二度と姿を見せないで」 はっきりと言い切られた言葉に桜花は、そんな、と叫びかけた。しかしやはり、真っ先に口火を切ったのは彼だった。 「っなんでですか!? 僕は……っ」 社はそこで一度言葉を詰まらせたが、意を決したように顔を上げた。 「――僕は、貴女が好きなんです!」 公然と言い放った社に、傍で聞いていた真時は驚いてまじまじと社を見つめ、乙彦は「うわ」と呟きを漏らした。当の早守音はというと、言葉を失い、唖然としていた。 見かねた真時が、額を押さえて溜め息混じりに言う。 「どこの誰だか知らんが……顔に惚れたならやめておけ。泣きを見るぞ」 よくよく考えればかなり失礼な台詞だが、長年早守音の隣にいた真時の、切実な経験談だった。 「顔とか……そんなのは関係ありません! 僕はただ……」 言いかけた社の体を、ぐっと早守音の手が押し返した。 ――それは明確なる“拒絶”。 「二度は言いません。即刻立ち去って下さい。私に、関わってはいけない」 そう言った早守音の瞳が、何故かとても悲痛に見えて。桜花は思わず叫んでいた。 「――だったら、社さんを私の護衛にします!! それなら構わないでしょう?」 それには、その場にいる全員が度肝を抜いた。 「――桜花さん……」 目を丸くして社が振り向く。 社を仲間に加えれば、当然のことながら自分が姫だということを明かさなければならないだろう。それでも、このままにはしておけないと思った。こんな別れは駄目だと思った。 桜花の脳裏に、あの人は優しい人だったと話す社の笑顔が浮かぶ。 早守音がああまで社を拒む理由は分からない。けれどあんな顔をさせたまま、二人を離してはいけない。――桜花は面を上げ、しっかりと前を見据えた。揺るぎない決意を示す為に。 「――どうするんだ、早守音」 真時が確認するように早守音に問う。 「……鳥梁軍は桜花の為に存在する軍です。私に拒否権などないでしょう」 早守音は、前に桜花が戦について行くと言ってきかなかったときのことを思い出した。そうだ、こういう頑固なところも、この少女にはあったのだ。 (きっとあなたは、何一つ諦めたりしないんでしょうね) そうやって大切なものを護ってゆくのだろう。その、気高く優しい心をもって。 そんな彼女を早守音は羨ましいと、少なからずそう思ったのだ。――そして誰よりも、自分はそれに遠いとも。 「――話が決まったのなら、とりあえず中で話した方がいいだろう。この男と、そこに転がっている男達を含めて何があったかを聞く必要があるしな」 「ああ、話すよ。今日あんた達が調べてきたことと関係あるかもしれないしね」 乙彦の発言に、真時は険しい顔で頷いた。 屋敷に引き上げる中で、桜花はこそっと社に話しかけた。 「あの、すいません社さん。すごい無茶を言ってしまったけど……」 「いえ、あの女の傍にいれるなら僕は願ったり叶ったりなんですが……護衛とは、桜花さん、あなたは一体……?」 「それは後でお話しします。……あの、社さん。早守音があなたを拒むのには……何か訳があると思うんです。早守音だって意味もなく人を嫌いになんてならないはずだから。きっと深い……深い理由があるんだと、私は思います。だから……」 桜花は少し寂しそうに微笑んで、社を見上げた。 「だから、そんな悲しそうな顔をしないで」 社は一瞬、言葉を失って桜花を見つめた。だがすぐに表情を和らげ、ありがとう、とだけ呟いた。 その後、屋敷に入って桜花が今までの経緯を明かすと、社は大層驚きはしたが、「僕でよければ力になります」と快諾した。もともと困った人を捨て置けない、優しく純朴な青年なのだろう。 社が自己紹介を終えた後、乙彦が先ほど気にかかっていたことを口にした。 「それなんだけどさ、あんたもしかして“守人の一族”?」 その言葉に早守音が僅かに身じろいだが、それに気付く者はいなかった。 「ええ、そうですが……よく知ってましたね」 社が認めると、真時が思い出したように口を開いた。 「聞いたことがあるな。生まれつき霊力が高く、巫女や陰陽師などの異能者を多く輩出しているとか……だがあの一族は確か……」 少し迷うような真時の言葉の最後を、社が拾う。 「……はい。守人の一族は滅びました。僕はその生き残りです」 そんな、と小さくこぼしたのは桜花だった。社は微かに穏やかな笑みを浮かべる。 「今では守人の血をひく者も数えるほどしかいません。僕より若い守人は――多分もういないでしょうね」 「……“破戒の一族”だっけ? 守人の一族を滅ぼしたの」 乙彦が記憶を辿るように社に訊ねる。 「そうです。戦闘能力が高い一族で……力を誇示するためだったと聞いていますが」 「……非道い……ことですね……」 桜花が顔を歪めて呟くと、社は少し哀しげに笑いながら言った。 「ありがとうございます。こうやって悲しんでくれる人がいるなら、死んでしまった同胞達もきっと報われるでしょう」 社は笑っていたが、そうやって笑えるようになるまで、数え切れない苦労や痛みがあったのだろうと桜花は思った。 (強い人だ) 桜花はぎゅっと、着物の裾を握り締めた。 その後、乙彦が事件の概容を話し、その場はおひらきとなった。 真時は他に誰もいなくなるのを確認すると、早守音を呼び止めた。 「早守音。良かったのか? 社を引き入れて」 「……桜花の決定です。今更私がどうこう言うことではありません。それより、本題は何です?」 「……今日分かったことについて、だ」 真時が眼差しを真剣にする。早守音も表情を改めた。 「敵国を率いる長なる者が――“白花性”を名乗っている、ということですか」 「……桜花は知っているのか? このことを……」 「さあ……でも薄々気付いているのかもしれませんね。火のない所に煙は立たないと言いますし……何らかの兆しはあったでしょう」 真時は静かに、重々しい口を開いた。 「白花国は内から崩れた。これからの戦いは……桜花にとって、苦しいものになるかもしれんな」 JACKPOT63号掲載 背景画像:空色地図様 |