白花国(しらはなのくに)

滝風


第三話 桜に惹かれし案内人




たたっと軽快な足音を立て、桜舞い散る縁側を駆ける少女がいた。柔らかい春風が運んできた白い花びらに、少女はふと足を止め、そのひとひらをそっとすくい上げる。
「もうすぐ、散っちゃうかな……」
――それでも。この桜は、また来年も咲くのだ。また来年も、こうやって花びらの雨を降らせてくれる。それだけで充分だった。
少女は、白花桜花(しらはなのおうか)は、この白花国(しらはなのくに)の姫であった。もう零落してしまった国だが、桜花はそれを取り戻すべくここにいた。亡国軍、鳥梁(とばり)軍に。

「あ、真時さん!」
桜花は桜の花弁が舞い込んだ先に、探していた人物を見つけた。
鳥梁軍の軍師、伏木真時(ふしきさねとき)は、襖が開け放たれた部屋の一角に座っていたが、桜花の声に気付くとその顔を上げた。
「桜花……、様」
言いづらそうに口を濁した真時に桜花は慌てた。
「桜花でいいです! そんなにかしこまらなくても……それに私が姫だってばれてしまいますよ!」
そう、真時らの鳥梁軍は「亡国軍」だ。そこに桜花という姫の存在は最大の切り札だが、同時にそれは諸刃の剣でもある。まだ、事情を知っている者は真時らを含む数人だ。真時はそれを思い出し、コホンと一つ咳払いをした。
「そうだったな。……で、要件は何だ? 桜花」
早守音(さずね)が真時さんを探してましたよ。午後の予定について話したいことがあるって……」
「……そうか。わかった、すぐ行く」
(…………“早守音”か……)
「……随分と馴染んだものだな」
「え? ああ……早守音が敬語は外していいって言ったから……。まだ、少し慣れないんですけど」
 桜花はそう照れくさそうに笑った。そして、数日前のことを想起する。


 その日も、桜花は庭に咲く桜を見ていた。まるで、何かを懐かしむように。

「もうここには慣れましたか?」
 そう声をかけたのは、真時と同じく鳥梁軍の軍師である早守音だった。穏やかな微笑に、肩に少し届かない短髪が揺れた。

「早守音さん……」
「呼び捨てで結構ですよ。敬語も外してもらって構いません」
「じゃあ早守音さ……早守音も敬語は使わなくていいよ」
桜花が少し戸惑いがちにそう言うと、早守音は「私のこれは癖のようなものですから」と薄く笑って人差し指をその整った唇に押し当てた。

「そういえば桜花、あなたに訊いておきたいことがあったんです」
早守音が不意に話題を変える。
「最初にあなたに出会った時、あれは城から逃げ延びてきた所だった訳ですよね?」
その問いに桜花は驚きつつも、しっかり、静かに頷いた。脳裏にあの日の炎がちらりとよぎる。
「では私達が戦に出ると分かった時……何故自分も行くと言ったのですか?」
「――それは……」
「戦場は危険な所ですよ。あなたの身分を考えればなおさらね」
早守音の口調は穏やかだったが、言葉の端には厳しさが含まれていた。
「……確かに軽率だったと思う。でも、一度戦というものをこの目で見て、考えてみたかったの」
桜花は真っ直ぐに早守音の双眸を捉えた。

「――――…………」

早守音は暫し閉口していたが、突然ふっと笑った。
「……すみません、尋問のような真似がしたかった訳ではないんです」
ただ、その澄んだ眼差しで、この少女はどこまで行き着けるのだろうと、そう思っただけだ。
早守音は桜花を見つめ返した。
「あなたは私達が護ります。だからあなたはご自身のことを一番に考えて下さい。決して無茶はしないで。今この国で、あなたの命ほど尊いものはないのですから」


さらさらと吹くのは、春風。早守音の真っ直ぐな髪が揺れて、流れる。風につられて、桜の花びらが空を舞った。
その向こうにある、穏やかな笑みを見たとき、桜花は、探していたものをやっと見つけたような気がした。

もう自分は、ひとりではないのだと。

桜花は、白い花が咲きこぼれるかのように笑った。


「……そういえば……」
  ふと何かを言いかけ、早守音は思い出したようにくすくすと笑い出した。
「え? え? 何?」
「いえ……あの時、戦を終えて真時が戻った時、彼があなたに最初に言った言葉を覚えていますか?」
そう言われて、桜花は記憶を反芻した。確か、何かとても怒っていたような――――

「………………ば、『馬鹿』だったっけ……?」
ついに、早守音はふきだした。そんな仕草でさえ上品に見えるのが彼女の凄いところではあるが。
「あれでも気にしているんですよ。一国の姫にそんなことを言えば普通極刑ものですから」
「き、極刑って……私、そんなことしないよ!?」
「ええ、ですから、『心優しい主君で良かったですね』と言ったんですけれどねぇ」
……ものすごく楽しそうに言ったんだろうな、と桜花は直感した。


「……ああ、でも」
早守音がふと笑みを穏やかにする。
「あの叱責は真時自身に向けられた言葉でもあるんですよ」
「え……?」
驚いて目を瞠る桜花に、早守音は静かに続ける。
「あなたを陣に残すと決定したのは真時でしたから。たとえあれが予期せぬ事態だったとしても、あなたを危険にさらしたことに違いはありません。……真時自身、それを悔いているのでしょうね」
「でもあれはっ……私が無茶を言ったせいで! ……私の、せいで……」
 彼のせいでなど、ないのに。
「人一倍真面目で責任感が強いんです。……そんなに悲しい顔をしないで下さい。あなたが無事でよかったと思っているはずですよ。……彼もね」
早守音の言葉に、桜花ははっとした。自分は、今まで大切なことに気付いていなかったのではないだろうか。

ひとりだと思っていた。国も、城も、大切な人達も、すべて奪われて。自分にはもう、何も残されていないのだと。けれどそれは間違いだった。
手を差し伸べてくれる人がいた。身を案じてくれる人がいた。護ってくれる人がいた。それは充分に幸せなことで。それなのに自分はその人達の好意を無碍にしたのではないか……?

桜花はゆっくりと早守音に向き直った。
「……心配をかけて、ごめんなさい。……そして、ありがとう」
一瞬早守音は驚いたように瞠目したが、安心したようにふっと笑った。この少女が姫でよかったと、そう心に思いながら。

(今度真時さんにも謝ろう)
そして、礼を言おう。助けてくれてありがとう、と。



「――桜花?」
「……え? あ、はい!」
「どうした? 考え事でもしていたのか」
相変わらずの仏頂面で桜花を見下ろすその人に、桜花は笑顔を返す。
「……いえ、何でもないです真時さん!」
「ならいいが……そろそろ俺は早守音の所に行くぞ」
「あ、私も行っていいですか?」
「ああ、どうせ話すならお前の予定も含んでいるだろうからな」
そう言って歩き出した真時の後を、桜花は嬉しそうに追った。厳しくて優しい、その背中を。
「――真時さん!」
「? 何だ」
「あの、前の戦のとき……無茶して、無理やり連れて行ってもらってすみませんでした。心配してくれたのに……」
「……っ俺は…………いや、もういい。わかったのなら、それでいいんだ」
真時はそっけなく顔を逸らしたが、今ならそれは照れ隠しだとわかる。
「……あと」
桜花は彼の袖をそっと握った。
「ありがとうございました。……助けに来てくれて」
その優しくあたたかな笑顔に、真時は僅かに、その頬を緩ませた。
「……ああ」
まるで、春の陽気につられたように。



庭先に出ていた早守音を発見した真時と桜花は、そこで午後の予定について話し合っていた。
「午後といってもな……どうする気だ、早守音」
特にこれといった用事もないだろうと続ける真時に、早守音は提案するように言った。
「とりあえず今はさした事件もありませんし……今のうちに町を観て回りませんか?」
 今さら何を、と言いかけた真時の言葉を、桜花の歓声が遮った。
「本当にいいの? 私、ずっと町に出てみたかったんだ!」
真時らには見知った町であってでも、桜花にとっては未知の世界だ。恐らく姫であるが故に、今まで自由に町で遊んだことなどないのだろう。嬉しそうにする桜花の横顔を見て、真時は自分の安直さを少し悔やんだ。

「……しかし大丈夫か? 桜花は“姫”だぞ」
真時のその言葉には二重の意味が含まれていた。一つは身の危険性。国が落ちて久しくない今、白花国の正統後継者である桜花が安易に外に出るのは危険なのではないかということ。
二つ目は、彼女の存在が現段階で公に知られてはまずいということ。もし外界に、桜花の顔を知っている者がいるとすれば。
「その辺りは心配ないと思いますよ。今は比較的治安もいいですし……顔のことも大丈夫でしょう。今まで皇族方のお顔を拝見出来る機会などそうありませんでしたから。亡国軍である私達も知らなかったのですからね。……皮肉にも」
その言葉に、桜花はぐっと拳を握った。早守音の言っていることはつまり、皇族と民との距離のことだ。遠すぎては、離れていくだけだと。……その通りだと、思った。
「もちろん行くか否かは桜花本人の意思ですが……」
「行きます」
真っ直ぐに、桜花は二人に眼差しを向けた。
「……私のことを、知っている人はきっといません。そして、私も何も知りません。だから、行きます。この国を……私の国を、知りたいから」
それは桜花の、姫としての決意の表れのようなものだったのかもしれない。真時と早守音は顔を見合わせた。この少女は、普段年相応の振る舞いをしていながら時折、強く気高い“姫”の顔を覗かせる。それは時に、こちらが息を呑むほどの。
しかしだからこそ、自分達はそれに応えなくてはならないだろう。その曇りなき瞳に宿す光を、護り抜かなくてはならないだろう。それが「亡国」を背負う者としての矜持だ。
真時達は互いに視線を交差させ、そして頷いた。

「……それなら私達が口を挟むことは何もないですね」
「支度をしろ。すぐに出る」
二人の胸中を知ってか知らずか、桜花はぺこりと一礼し、感謝を笑顔にして返した。いま自分にできることはこれくらいだから、と。

気高く、強く、そして心優しき姫が、確かにそこにいた。




町に下りれば、そこはとても賑やかな場所だった。市が開かれているため、あちこちで行商の声が上がり、それに乗じて人の数も多い。港町であるせいか、大きな帆船も来ているようだった。
「うわあー……すごい……」
桜花は素直に感嘆した。小さな子供のようにはしゃいで辺りを見回す。
「あの、お店見ていってもいいですか?」
真時が構わないと告げると、嬉しそうに近くの露店に走っていった。
あまり離れるなよ、と桜花に呼びかけて、真時は隣を歩く早守音に視線を向けないまま話しかける。

「で? 町に来た本当の理由は何だ早守音」
 それに対し、早守音も桜花を目線の先に捉えたまま軽く苦笑して返した。
「別に桜花に町を見せてあげたいと思ったのも本当のことなんですけどね……あれです」
 早守音が顎で示してみせたのは、港に停泊しているという帆船だった。ここからでも見える数隻の大きな船に、真時は目を細める。
「数日前に行商に来たとかいう貿易船か。……確かにそれにしては妙だが」
「ええ、御上から違法貿易の疑いがかけられた船です。今日は下見のつもりですが……、どうしました真時」
突然歩みを止めた真時に、早守音はいぶかしんで話を中断した。
「……おい、桜花はどこへ行った?」
「は? 桜花なら向こうに……って、い、いない?」
先ほどの露店商から、桜花は忽然と姿を消していた。
二人は血の気がひいた。言ってるそばから見失うとは。

「…………なんというか、私達は……馬鹿ですね」
「……そうだな……」
 初めての場所に来て興奮していた桜花を僅かではあるが目を離してしまった。あまり桜花ばかり責められたものではなかった。が、今はそんなことを言っている場合ではない。

「急いで探すぞ早守音!」
「ええ、では夕刻までに一度ここに戻るということで構いませんね?」
「ああ!」
 迅速に必要なことだけ話すと、二人はすぐにそれぞれの方向に散った。



 桜花は、一人町中を歩いていた。
(どうしよう……真時さんたちとはぐれちゃったな……。しかも迷子だなんて……)
 すでに市から抜け、人通りが少なくなってきている。心細さに小さく肩を震わせた桜花に、春先には少し冷たい風が吹いた。
(潮の匂い……海が近いのかな?)
 よく聞けば微かに波の音が聞こえてくる。桜花の胸は高鳴った。よく考えれば自分は海も間近には見たことがない。こんな時ではあるが、少しだけ、海というものを見てみたい。
(ちょっとだけなら……)
 自然と桜花の歩みは速くなっていた。初めて見るものへの関心で、周りに人がいなくなっていることに彼女は気付かない
。 やがて船の停泊所のような所に出たが、町から少し外れた場所のせいか誰もいなかった。

(それにしても……大きな船だなぁ……)
 桜花は目前に泊まる船を見上げて思った。海にも興味があったが、この船も桜花にとっては充分新鮮なものだった。
桜花が船体を眺めていると、ふと上から話し声が聞こえてきた。
どうやら船の甲板で話し込んでいるようだった。船の陰になって桜花の姿は見えないらしい。
「……この町では……幕府……目……やっぱり密輸は……」

(幕府……密輸? 何の話だろう……)
波の音にかき消されて途切れ途切れにしか聞こえないが、あまり穏やかな話ではなさそうである。身を硬くした桜花の後方で数人の足音がした。

「おい小娘! そこで何してんだ!!」
「っ! あ、私は何も……」
 じり、と大柄な男達に距離を詰められる。つうっと桜花の頬を汗が伝った。……これは、まずい。どうやら来てはいけない所に迷い込み、聞いてはいけない話を聞いてしまったようだ。
「ちょっと道に迷ってしまって……あ、あの、じゃあ私はこれで……」
 そう濁して横を通り抜けようとした桜花の腕を、男達の中の一人が掴む。
「待ちな。ちょっと俺達と話でもしないかお嬢さん」
 男の力は強く桜花ではとてもふり払えない。そうこうしている間に周りを囲まれてしまった。
桜花はぎゅっと目を瞑った。脳裏に浮かぶのは、あの二人のこと。
(真時さん……早守音……!!)
――――助けて。



「……桜花?」
 真時はふと顔を上げた。嫌な――胸騒ぎがする。
「真時! 見つけましたか?」
 早守音が真時を発見し、駆け寄ってきた。
「いや……そっちはどうだった、早守音」
 そう問い返す真時に、早守音は険しい表情で告げた。
「本人を見つけることはできませんでしたが……それに近しい情報なら得ることができました」
「……何だ?」
 早守音の重い口調に、真時も表情を硬化させた。
「港の端……町外れの停泊所への道を桜花らしき少女が歩いていたのを見た人がいました。私も行ってみましたが……船の守番は『そんな少女は来ていない』と言うだけでしてね。そしてそれからの目撃情報は皆無です」
「…………そうか。あの船……嫌な予感が的中したな」
 悔しそうに刀の柄を握り締めた真時に、早守音は向こうに見える船を遠く眺め、そして呟いた。
「……あまり事態を大きくしたくはありませんでしたが……仕方ありません、行って下さい真時。桜花は恐らく、人通りの少ないあの一番小さい船です」
「な……認可はどうする! 奴らを押さえるには上からの許可が必要だぞ!」
「許可なら取りますよ。後付けでも何でもね」
 さらっと言ってのけた早守音に真時は舌をまいた。だが、こういう時のこいつはやると言ったらやる。それは経験上知っている。
「……わかった。こっちは任せておけ」
「では私は認可の手続きのため一度戻りますが……片付いたら追います。それまでよろしくお願いしますね、真時」
「ああ」
 身を翻してもと来た道を走ってゆく早守音を見送り、真時は遠方の帆船を睨め付けた。
迷いはない。護るだけだ。――あの、少女を。



 その頃桜花は、狭い物置のような所で目を覚ました。低い天井から下がる灯が微かに揺れていることから、ここが波に揺られた船の上だということがわかる。自分は、あの男達に捕らえられたのだ。気を失わされて、気がついたらこの状況だった。もちろん、木製の扉には錠がかかっていて開かない。押しても引いてもびくともしなかった。
桜花は自分の情けなさに深い溜息をついた。本当に、自分は捕まるしか能がないのだろうか。真時に馬鹿と言われても全く仕方がない。きっと二人は心配している。

「……私……これからどうなっちゃうんだろう……」
 こんなところで捕まる訳には、いかないのに。

「まあ売られるんだろうね。あんたならいくらでも買い手がつくだろうから」
「っ!?」
 こぼした独り言に返ってきた返事に、桜花は驚いて振り返った。声の主は、錠の鍵をその手に持って扉の前に佇んでいる。
「あ、あなたは……」
「ん、オレ? まあ一応あんたの見張りってとこだけど……それにしてもこの船もロクでもないな。聞けば違法貿易とかヤバいことやってるみたいだし……そろそろおさらばするか」
 そう呟くのは、桜花と同じか、それより少し年上くらいの少年だった。比較的小柄だが、年の割にその表情には余裕のある笑みが浮かんでいた。
「あなたは……この船に乗ってる人たちの仲間じゃないの……?」
「仲間? 冗談じゃない、あんな奴らと一緒にしないでほしいな。この町に渡るのに一時的に働いてただけさ」
 年が近いせいもあって、桜花はその少年に少し気を緩めつつあった。
先ほどの男達とは違って、そんなに悪い人にも見えない。まあだからといって、事態が好転したことにはならないのだが。

「……怖い?」
 神妙な面持ちの桜花を見て、少年は訊ねた。その瞳には、桜花を試すような色が浮かんでいる。
「……怖い……といえばそうだけど……私にはやらなきゃいけないことがあるから」
「……ふぅん?」
 桜花の返答に、少年は少し興味を惹かれたようだった。

「大切なものを取り戻さなくちゃいけなくて……そのために私を護ってくれる人たちもいる。やらなくてはいけないことがある……だから、このままここにいる訳にはいかないよ。……絶対に」
 桜花は自問するようにそれを口にしていた。決意というものと、よく似た言葉で。

「……へえ……君、名前は?」
「…え!? ……お、桜花」
 突然名を訊かれ焦る桜花とは対照的に、少年は面白そうに笑った。
「オレは浅見(あざみ)乙彦(おとひこ)。ちょっと君に興味が湧いたよ、桜花」
「……え……?」

 驚く桜花に、乙彦は持っている鍵をふってみせた。
「何だったらオレがここから出してあげようか? どのみちこの船には長居しない予定だったし」
「ほ……本当!?」
 桜花が驚いて身を乗り出すと、そんな様子を見ても乙彦は楽しそうに笑った。
「オレは嘘はつかないよ」
「あ……ありがとう! 乙彦くん!!」
その笑顔に少し頬を緩ませかけた乙彦が、突然何かに気付いたように顔を上げた。
「? どうしたの?」
「……船内が騒がしい。何かあったみたいだ」

 乙彦は一度事態の確認のため部屋を出ていった。が、しばらくして戻ってきた彼の表情は穏やかなものではなかった。
「幕府の武士に船を襲撃されてるらしい。違法がバレたとかで……ホント馬鹿だなあいつら。とにかくここは危険だ、さっさとズラかろう」
 言いながら乙彦は懐から何かを取り出した。
「それ……銃? 変わった形だね」
 桜花は驚いたようにそれを見つめた。確かに、城にいた頃見た火縄銃とは随分造りが異なるものだった。
「昔異国と貿易してた船に乗ってたからね。まあ保険さ。それより早く行こう」
「う、うん!」


 桜花と乙彦の二人は、船内の廊下を走った。船の中は混乱していて、抜け出すのは容易かった。
「それにしてもムチャクチャだな。単身乗り込んでくるなんて……随分腕のたつヤツみたいだけど」
桜花ははっとした。もしかして――――

「――桜花!!」

その姿を見た時、思わず笑顔が溢れた。やっぱり――――

「真時さん!!」

今度も、彼は助けに来てくれた。いつでも、桜花が危ないときは、必ず。


 真時は桜花の無事を確認すると、当然のことながら隣の乙彦に目を向けた。
「――何者だ、貴様」
 今にも抜刀しそうな真時を、桜花が慌てて止めに入った。
「待って下さい真時さん! この人は悪い人じゃなくて……私を助けようとしてくれてたんです!」
「……何、知り合い? 随分おっかないな」
 乙彦は両手を上げ、桜花に危害を加えないという意思を表した。
「それにしても、あんたこそ何者? こんなこと、上から許可下りなきゃできないだろ」
 真時が口を開く前に、思いもかけない所から返事が返ってきた。

「別に役人などではありませんよ。どうしても取り戻さなくてはいけないものがあったのでこういう手段をとったまでです」
「――早守音! 追いついたのか」
 真時の後方から歩いてくるのは、先ほど認可を取ってくると言っていた早守音だった。
「まあ真時があらかた片付けておいてくれたからですが……ああ、言った通り許可は取ったのでもうすぐ本当の役人が来ますよ」
「……じゃ、迎えも来たようだしオレはとっとと逃げるのが得策かな」
「……そうですね、実際に違法貿易に関わりがあろうとなかろうと、『問題の船に乗っていた』という事実があれば検挙対象になりますから」
 早守音のその言い方に、乙彦は不審そうに眉をひそめた。
「まあそうだけど……で? あんたはオレを見逃す気あるの?」
 そのやり取りに、桜花は慌てて間に入った。
「早守音! 乙彦くんは私の恩人で……」
「わかっていますよ。ただ黙認するのも簡単なことではありませんから。……そこで私にいい考えがあるんですが」
「……何?」
 いぶかしむ乙彦に早守音は続けた。
「難しい話ではありません。単刀直入に言えば乙彦君、私達の……桜花の仲間になる気はありませんか?」
「……はぁ!?」
 早守音の突き抜けた言葉に、乙彦だけでなく真時も同時に叫んでいた。

「急に何を言い出す早守音! 違法船に乗っていたような男だぞ!」
 それには少しむっとしたように、乙彦も会話に入る。
「だから一緒にするなって……けどまあ、何言ってんのっていうことについては賛成かな。……大体仲間って……役人でないならホントにあんた達何者だよ」
 乙彦のその問いには、真時や早守音が反応する前に桜花が口を開いた。

「…………私、姫なの」
 びっくりしたように桜花に向き直った乙彦に、はっきりと繰り返す。
「私はこの、白花国の姫なの」

 本当は軽々と明かしていいことではない。それは桜花にも分かっていた。けれど、信じたいと思った。彼を。

「………………なるほどね。最近この国の城が落とされたって聞いたけどこういうことだったのか」
「……信じてくれるの!? それに……城が落ちたことを知ってるの!?」
「多分まだ誰も知らないと思うよ。オレの情報網は特別だからね。それにしても……それがここまで無茶した理由か」
 そう言いながら乙彦は真時と早守音のほうを見やった。
「まあ、そうですね。で、どうです? あなたを見逃すだけ(・・・・・)ならこちらが得るものはないと思うのですが」
「……オレを懐柔しようっての? 顔に似合わず言うね、あんた」


 二人のやり取りを聞きながら、桜花は迷っていた。確かに、乙彦が仲間になってくれれば心強い。しかし、本当にそれでいいのか。亡国には何の関係もない乙彦を巻き込んでいいのか――?

「――っやっぱり――」
「いいよ」
 やはり駄目だと言いかけた桜花の耳に飛び込んできたのは、思いがけないほどあっさりした乙彦の返事だった。
「……お、乙彦くん……いいの?」
 驚く桜花に、乙彦は先ほど「興味が湧いた」と言ったときと同じ笑みを浮かべて早守音の方に向き直った。
「構わないよ。……でも勘違いしないで欲しいけどオレは『姫』に仕えるんじゃない。『桜花』についていくんだ。それでもいいなら仲間ってのになってもいい」
「……それで構いません」
 動じずに答える早守音に、真時は確かめるように言う。
「……いいのか? 早守音」
「……ええ。……これでいいんです」
 そう、これでいい。「姫」ではなく、「桜花」を護ってくれる人間が必要なのだ。……あの、少女には。


「……よかったの? 乙彦くん」
 桜花は遠慮がちに隣の人物に話しかけた。
「いいよ。これからどうするか迷ってたとこだったし。……っていうかあれ拒否権ないだろ、あの腹黒美人……」
 最後の方はげんなりしたように呟いた乙彦に、桜花は心配そうに訊ねる。
「本当に嫌なら言ってね? 私、早守音にお話ししてみるから」
「……いいよ。言っただろ? 興味が出たって」

 乙彦は、何か新しいものを見つけた子供のように笑ってみせた。その笑顔が、桜花の瞳に鮮やかに灼き付く。

「さしずめオレは案内人ってとこかな? この国のことなら知らないことはないよ」
「……うん。ありがとう乙彦くん! これからよろしくね!!」
 そう笑った桜花に、乙彦もつられて笑顔になる。
「……ああ。よろしく桜花」

 新たな仲間に、桜花は喜びで心を膨らませた。そして、それは同時に決意にもなる。
――取り戻すのだ。自らの――この、白花国を。



JACKPOT61号掲載
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