一日の始まりに 涼露 |
朝起きると、そこはベッドの上だった。 昨日しっかり自分の足で入ったのだから当然ではあった。 誠はむくっと起き上がると、先日、今この世で一番好きな人、麻美の言ったことを思い出し、深くため息をついた。 「私……、引っ越すことになったの」 麻美はもの心つく前に母親を亡くしていて、父親に一生懸命に育ててもらった一人娘であった。麻美の父親は真面目な人で、朝から夜まで働くかたわら家事の一切をこなし、娘の学校の行事などにも積極的に参加する絵に描いたような父親だった。誠(彼氏、またの名を大切な娘を奪っていく悪魔)にも優しく話しかけてくれた。 そんな父親を、神様は放っておかなかったのだ。一介の売り場主任でしかなかった彼に、新たにオープンする新店舗の店長の座が用意された。北の大地への初進出となる重要な店で、都内の大型店での彼の働きが社長自らに評価されての抜擢となった、らしい。 物騒な時代に娘を一人置いていくわけにも行かず、また麻美自身も自分を育ててくれた父親の役に立ちたいと、自らついて行くと言ったという。 それが意味するのはつまり、誠との遠恋、あるいは別れ……。 クラスでのささやかな送別会の帰り、誠と麻美は二人並んで歩いていた。夜も遅いのでと、誠は当たり前のように家までの付き添いをかってでた。 「びっくりだよなー、ずっとこんな近くにいたのが、いきなり海の向こうだなんてさ」 「大げさよ」 そこにあるのが当たり前と思っていた幸せが、手から零れようとしている。もちろん、二度と会えないなんてわけではないが、遠距離恋愛は長続きしないというのはよく聞く。それでも、 「俺、ずっと麻美のこと好きだからな」 「……ありがとう、私もよ」 諦めるなんて選択肢をとるつもりなんて、最初からない。 「ん……、二人のさ、その……、愛の象徴として、何か欲しい物ない?」 物凄く恥ずかしい台詞も、今なら言える。恥ずかしかったけど。 「んー、そうねえ……。いつかブレスレット貰ったじゃない? あれはもうないけど、また欲しいかな、ブレスレット……」 そんな誠の質問に麻美は、表面上は軽く、内面ではとても真剣に、欲しい物を伝えた。 ブレスレット。忘れもしない麻美の誕生日に、誠が贈った物だった。学生のお小遣いでポンと買えるような代物ではなく、誠が一ヶ月バイトして貯めたお金で買った物だった。 それを麻美は貰って一ヶ月で亡くしてしまい、泣きながら謝ったのだが、誠は 「そんなに大事に思ってもらってたって分かっただけでも、嬉しいよ」 と恥ずかしい台詞で許したという。 誠はあれを買ってすぐにバイトをやめてしまったので、そんなにお金がないであろうことは分かっている。でも麻美は、今度こそ失いたくない、大事にしたいという意味でまた、ブレスレットが欲しかった。値段なんて関係ないのだ。そう、プライスレス。 確かにお金はないが、安物を贈るなんてことをしたくない誠がため息をつきながら帰宅し、真っ暗な部屋の電気を点けると、部屋に見慣れない物があった。 ちょうどトンネルの入り口のような形の黄色いボディ、そこから伸びたバネと、その先に付けられた白い手。下部には赤い足が二つ付いており、頭部には銀色の発条が付いていた。 そしてその物体の中心、顔とでもいう辺りに文字盤のついていない時計のような物に、その少し下には分かりやすい口がついていた。 分かりやすく言うと、ド●タ―ス●ンプのタ●ムくんみたいな。そこ! 古い言うな! 「おかえりなさい、そして初めまして! 僕は次世代型全自動小型航時機固体番号MP-912 。あなたは?」 誠は「開いた口が塞がらない」を初めて体験した。 呆然と「あー、よくできたオモチャだなー……」とか考えていたが、なんたら912は丁寧な日本語で説明を始めた。 「あんまり詳しいことは言えないのですが、僕はこの時代の数百年後の世界で生産された、いわゆるタイムマシンです。僕たちは時間の流れを漂いながら、僕たちを必要とする人を見つけ、その人に力を貸すために作られました。依頼者、つまりあなたの願いを叶えるために現れました。どうぞ、ご依頼を説明ください」 「タイム……マシン……?」 「はい」 「過去に……戻れる……?」 「お望みとあらば」 「え……でも……俺……そんな……」 「料金についてはご心配なく。これも過去へのほんの罪滅ぼし、完全な無償活動です」 「いや、そうじゃなくて、俺……、呼んだ?」 「はい。あなたの願いを感知したので、ここに参りました。ところで、お名前は?」 「あ、誠です、はい」 「そうですか誠さま。僕は先ほども申したとおり、MP-912といいます」 「それが名前?」 「はい。『えむぴーのきゅーいちさん』です」 「はあ……」 「では、さっそくご依頼を」 誠は、なんとかなるかも、と思った。 藁にも縋るような思いで、頼むことにした。 「前になくしちゃったブレスレットを……、探したい」 「了解しました〜♪」 MP-912はそれだけ聞くと、いつに遡ればいいかすら聞かずに頭の発条を回した。そしてそれから手を離すと、急激に誠の視界が歪み始めた。光が消え音が消え足元の感覚が消え、そろそろ意識まで消えるのではないかと思ったところで声が聞こえた。 「着きましたよー」 さっきのタイムマシンの声で誠は意識を覚醒させた。徐々に光と音が戻ってくる。 「……俺の部屋?」 「のようですね」 「失敗?」 「いえ、四十二日と五時間九分遡りました」 言われてみると、真っ暗だったはずの窓の外は未だ明るい。 「って、麻美?」 窓の外から視線を室内に向けると、そこには誠の本棚をあさる麻美の姿があった。 「あったあった」 嬉しそうな声で麻美が取り出したのは、誠の小さい頃のアルバムであった。 「っちょ、待て、やめろ麻美!」 しかしそこで、誠は体が動かないことに気付いた。 「不必要な現地時間帯住民との接触は禁止されています」 「んなこと言っても!」 「ブレスレットはまだありますね」 焦る誠をよそに、MP=912が冷静に言った。 「あ、ああ」 見ると確かに、麻美の腕にはいつかのブレスレットがしっかりと着いている。 「ふふふっ」 「こらー!」 おそらく幼少の誠の写真を見て微笑む麻美に大声で怒鳴るが、麻美には声は届かないらしく、相変わらず微笑んだままである。 ガチャ ドアを開く音が聞こえ、麻美は慌ててアルバムをしまった。そのときに、麻美の腕からブレスレットが落ちていくのを、誠はしっかりと見た。 「ん? どうしたんだ?」 自分の声がドアの方から聞こえ、誠はそちらを見た。そこには、一ヶ月ほど前の自分の姿があった。 「い、いや! 何でもないよ!」 今思えばこの麻美の反応はわざとらしい。あははは……とか言いながらクラスメイトの話題を持ち出している。 昔は当たり前で、もうできないだろう光景を見ていたら、涙がでてきた。 「では、元の時間に戻りますね」 答えることができないまま、誠から光と音が消えた。 気付けば朝になっていた。 頬に涙の跡が残ってかさかさになっているのが分かった。 誠はフラフラと立って、本棚の方へ向かった。アルバムを取り出し、さらにその奥に転がっているブレスレットを拾い上げた。 「見つかった……」 あまりに呆気なく見つかったことに寝ぼけた頭で驚きつつ、さていつ渡そうかと考える。 「今日でいいよな」 そう呟くと階下に降り、いつもは自分を起こしにきてくれる母親がちょうど起きだしてくるのに鉢合わせしたりしながら朝食を食べ、いつもより早めに家を出る。 引越しの準備のためにもう学校には来ない麻美を呼び出して、ブレスレットを渡した。 「え……これ……」 「うん、麻美が俺のアルバム見たとき、落っこちたみたい」 「え、……知ってた?」 「いや、昨日知った」 二人はどこか寂しげに笑い合った。 「空が……青いね」 麻美が遠くの空を見ながら言った。 「そうだな……」 誠は素直に頷いた。 「もうすぐ、こうやって一緒に空を眺めることもできなくなるんだよなぁ……」 誠が感慨を込めて言ったが、 「空は……つながってるでしょ?」 麻美は当たり前のことだというような目で言った。 「そっか……、そうだよな……。麻美がどこへ行っても、同じ空見れるんだよな……。そっかー」 そんな簡単だったことに気付かされた誠は、 「隣にいなくても、同じ空を見れる。隣にいなくても、俺たちは、つながってる。ずっと、一緒なんだよな、麻美」 「あっははははははは……」 「えぇ! 何さ!」 「気付くの遅いー! 最初っから私は、誠が誠と私はつながってるんだってことくらい、分かってると思ってたのにー」 麻美は意地悪そうな目で、しかしとても優しい目で誠を見つめた。 |