百合戦争 〜革命の一風を吹かせましょう〜 涼露 |
桃百合女学院高等学校、通称百合女。これは、貴族の娘たちが日々優雅であるための教育を受けるという、およそ現代日本に存在するとは思えない学院を舞台に繰り広げられる、愛と正義と戦いの物語である――― 百合女にも文化祭の季節がやってきた。 「何のおつもりでしょう?」 文化祭の出し物の企画書を眺めながら、生徒会副会長の小野宮水乃が溜息混じりに言った。 「何か問題でも?」 と、茶色のクリクリフワフワロングヘアーの少女、三崎茜は屹然とした態度で言った。 「伝統と格式高い桃百合女学院で、バンドを組んでライブなど聞いたこともありませんわ」 長い黒髪を艶めかし、水乃は落ち着き払った声で言った。 「とにかく、認めるわけにはいきません。お帰りなさい」 水乃は立ち上がると、茜を外へと促した。 百合女は普通の高校とは違った生徒会制度をとっている。 生徒会長と副会長が選挙で選ばれるのは普通なのだが、その選挙が年一回や二回ではない。議会の状態次第で最悪三週に一回の選挙が行われる。 委員においては、副会長がいわゆる文化委員長を兼任する他、委員会は存在しない。会長、副会長、それに九人の役員からなる議会で学校のあらゆることが決められる。そこに一応、教師による介入はない。 生徒会室を出た茜は、はぁーっと溜息をついた。どうして分かってくれないのよ! と思う。 現在の百合女は、理事長と校長の仲がよろしくない。先代の理事長が四十五くらいという若さで亡くなったため、跡を継いだその娘・白石燈花と、その若さ故に学院を心配する校長・益山英一朗との諍いであった。両者共に学院を良くしようという志を持っているのだが、白石の方は母の守った学院をそのまま守ろうという考えなのに対し益山の方は、これからの時代を考えてどんどん学院を変えていこうという考えなのである。 この事から生徒をも巻き込んだこの諍いは、白石派と益山派、または保守派と改革派の対立として近隣の高校にまで知れ渡るようになっていた。 そして茜は改革派の人間である。彼女自身、時代の流れに乗って事業を成功させ成り上がった家の娘だからというわけではないが、いつまでも古い枠の中で過ごすことに疑問を持っていた。であるから、書道や華道の展示、五百人は収容できるほどのホールで行うオーケストラばかりの文化祭を、普通の高校と同じように馬鹿みたいに笑えるお祭りにしたかった。去年のような『静かな文化祭』を、去年で終わらせたいと考えていた。 だからせっかくのホールでライブをやろうという企画書を提出したのに、どうして水乃は分かってくれないんだ……。それに……。 対する生徒会室の副会長席でも、水乃は溜息をついていた。彼女は保守派の人間である。先人たちが守ってきた学院を、変わらぬ姿で後世に託すことこそ自分の使命だと考えていた。目新しいことに全く興味がないわけではない。書道や華道などの日本の伝統文化を学ぶ傍ら、ハ●ター×ハン●ーは連載当初から好きだったし、ド●クエ[は発売前に手に入れて発売時にはラプ●ーンを1ターンキルできるくらいになってたりもした。しかし、それとこれとは違う。守ってこその伝統だと割り切っていた。だから、どうしてこの純粋な「守りたい」という想いを分かってもらえないのかが、不思議でならなかった。それに……と、制服の上から薄い胸を押さえる。そんな自分に気付き、慌てて手を戻すと仕事にとりかかった。副会長とはいえ、多忙なのである。文化祭を控えたこの時期は特に。 百合女ではこの夏最後の水泳の授業が行われようとしていた。 そろそろ日によっては肌寒くなり、一般の学校では不満も漏れ出す季節だが、百合女は違う。室内プールなのだ。 ちなみにこの高校の体育の授業の年間スケジュールは、春・秋はテニス、夏は水泳、冬はダンスという、分かりやすい決められ方をしていた。運動部に加入している生徒は春・秋のテニスの代わりに自分のクラブのスポーツを行っても良いという適当ぶりである。ちなみに運動部に加入している生徒は全体の二割程度でしかない。これは普通教育と貴族としての教育を重視しており、体育については昨今流行の『履修漏れ』回避のためやむなく組み込んでいる程度だからである。 さて、更衣室で授業に臨むべく水着に着替える一団があった。ちなみに女子高なので男子更衣室はなく、体育科男子教員は教官控え室でそそくさと水着に着替えるしかない。 午後の授業の一コマ目であり、生徒会の仕事をしていた水乃と茜が更衣室に入った頃には、他の生徒は既に着替えを済ませてプールサイドへと行ってしまったあとであった。 しかし水乃と茜は急がない。体育の授業は軽視されているので、「生徒会の仕事をしていた」という理由さえあれば多少遅れても叱られることはないし、優雅であるため、そそくさと行動することはないようにというこの学校の教育の成果でもあった。 保守派と改革派の筆頭をどうして同じクラスにするのか、と二人とも疑問を持ってはいたのだが、そのような些細な事で陰険悪質な対立をするような性格ではない。少なくとも表面上は一クラスメイトとして普通の友好関係を築いているのだが、二人きりとなると少し本音が漏れてしまう。 「まったく、いつ見ても……無駄に羨ましい体ね」 下着を外したばかりの茜に、水乃は流し目を送りながら言った。茜の体は服の上から見ても分かるのだが、脱いだらなお凄い。 そんな水乃に対し茜は、 「お褒めいただき、光栄ですわ。でも……」 と、水乃の方に近づき、同じく下着を外したところの水乃の体を、人差し指でスーッとなぞった。 「な、何をするのですか!」 くすぐったさと恥ずかしさで一歩飛びのいた水乃は顔を染めながら言った。 「あなたも、誰にも羨ましがられていないとお思いなの? 少なくとも私は、あなたの綺麗な髪や肌に、憧れていますのよ?」 茜は目を細めて言った。 水乃の体は、白い細やかな肌が見事な曲線を描いているが、決定的に茜のソレとは違っていた。その膨らみはほんの僅かで、ストンと下まで落ちていた。 「あなたには分からないのです! こんな、こんな体なんて―――」 言いかけたところで、茜は水乃に抱きついた。当然、お互い裸のままである。 茜はそのまま水乃の耳元で 「あなたを悪く言う人は、たとえあなたであっても許しませんわよ? あなたは私の……、私の、好敵手なのですから」 とだけ囁くと、そっと体を離し、自らの水着をとって着け、何事もなかったかのように他のクラスメイトと教師のいるプールサイドへと、優雅な足取りで向かって行った。 我に返った水乃も、決して急いでいるようには見えないくらい急ぎ、プールサイドへと向かって行った。 茜と水乃がプールサイドに着いた時には既に授業は始まっていた。五十メートルプールでウォーミングアップをしていた。二十台半ばの金髪イケメン体育教師が二人に気付き、茜と水乃はすまなそうな顔で「遅れてすいません」と謝るが、体育教師は特に怒る風もなく、二人にシャワーを浴びてから授業に加わるよう指示した。生徒会副会長に役員が揃って遅刻ということは生徒会の仕事ということで間違いないだろう。それを叱っては、百合女の教師陣において最も立場の低い『体育科』の自分は、最悪クビを切られる恐れもあるので何も言わない。 ともあれ全員の出席を確認したところで、指導のため指示を出す。指導要点はもちろん、『いかに早く』でも『いかに長く』でもなく、『いかに美しく』である。生徒の三分の二を上がらせ、三分の一の生徒を泳がせ眺める。泳ぎが雑になっている生徒の名前を呼び、気を引き締めさせる。芸術の域に達しようとしていた。五十メートル先でターンし、戻ってきたところで上がらせ口頭で指導する。それが終わると次の三分の一を泳がせ、それをしっかりと見る。全体的にゆったりと進むので楽である。 そして、茜と水乃の番がきた。遅れた二人はともに最後の三分の一で、隣り合うレーンであった。茜が水乃に視線を送る。水乃はその挑発的な視線を受け、茜の意思を読み取る。「はじめー」という教師のやる気のない掛け声で一斉に飛び込み、普通だったらそこから息を呑むほどに美しいフォームで泳ぐ生徒たちを見ることになるのだが、今回は違った。茜が力強くグングン水をかいていき、水乃もそれに喰らいついていった。普段の指導の成果か二人とも綺麗なフォームではあるのだが、体育教師は許さない。二人を制止させようとした。しかし二人はぐんぐんと泳いでいき、ターンをし、戻ってくる。百メートルをほぼ全力で泳いだにも関わらず二人はたいして息も乱さず、「なかなかやるじゃない」とか「あなたこそ、予想以上ね」とか言い合っている。二人はともに全力でぶつかれたのが楽しくて、とにかく楽しくて、しかしそれを悟られないようにプールから上がった。二人のデットヒートのおかげであまり注目されないままに百メートルをゆっくり美しく泳いできた残りの生徒たちもプールから上がり、体育教師の前に並ぶ。 「小野宮水乃さん。三崎茜さん」 いつもの穏やかな口調で呼ばれ、二人は教師の方を見た。顔は笑っているが、目が笑っていない。 二人は入学して初めて、この教師も怒るということを知った。 放課後の生徒会室に茜は少し遅れてやってきた。 ドアを開けると他の生徒会役員が仕事をしているのが見え、遅れたことを謝ると鞄を置き、奥の部屋へと入っていった。 そこには机が二つ離れてあり、生徒会長と副会長が書類の束と格闘していた。 「おー、茜ちゃん。遅かったね」 そう人懐っこく話しかけてきたのは、本村凛。肩までの髪で前髪には可愛らしい髪留め、大きな瞳が特徴的な女子である。保守派と改革派の対立を見越して中立の教師陣が擁立した逸材で、芳しくない成績とは裏腹に生徒会の仕事はほぼ完璧にこなす生徒会長である。 「すみません。少々用事がありまして」 茜はそう謝ると、水乃の机の前に立った。そして一枚の紙を差し出す。 「今朝、却下したはずよ?」 水乃の言う通り、それは今朝却下されたばかりの、文化祭でライブを行いたいという企画書であった。 しかし茜はそんな水乃の言葉は無視して、 「今日、あなたと泳いで確信したの。私は、あなたと一緒にライブをやりたいの。どう? 一緒にやっていただけないかしら?」 そう尋ねた。水乃は予想外の願いに驚きつつも、 「何をふざけたことを言っているの? そんな企画に参加できるほど、私は暇ではないのよ?」 と、あくまで副会長であるからということにかこつけて断ろうとした。駄目ったら駄目―! は通らないのだ。 「忙しいのは分かっていますわ。私だって、生徒会の仕事をこなしながら練習するつもりよ? それで、きっといいライブにしてみせる。だからあなたにも、協力してほしいのよ」 茜はそう言って、水乃の手を両手で握った。水乃は驚いたが振り払わずに、凛の方を見た。会長まで反対だと見せ付ければ、茜は引き下がるしかないからだ。しかし凛はそんな水乃の期待を裏切り、もしくは期待通りに、 「そんな意地にならなくったって、やりたいんならやってもいいんじゃない? 仕事と練習を頑張ったって、夜寝る時間がなくなるなんてこともないし」 と笑顔で言った。そう言われてしまうと水乃には断る理由がなくなってしまい、 「分かりました。そこまで言うのなら、参加致しましょう。これはあくまで、監視ですよ? 変なことをやらないよう、しっかり見張りますからね?」 と折れた。 「ありがとう、水乃さん!」 茜は屈託のない笑顔で水乃の手を振り、そして大事なことに気付き水乃に尋ねた。 「ところであなた、何か楽器はできますの?」 「幼少の頃に、お琴なら習いましたわ」 そう、水乃の家は代々続く由緒ある名家で、祖父は日本画かなんかの人間国宝だったり、祖母は琴だかなんだかのとんでも師匠だったりするすごい家なのだ。 「ピアノなどをお習いになったことはない? それならキーボードとか、できそうなものだけれど」 ピアノならお金持ちばかりなので多くの生徒が一度は習ったことがある。ところが水乃は驚くべきことを言った。 「ええと、ピアノはできませんが、趣味でシンセサイザーなら……」 「……伝統のある名家っていったい……」 「何か?」 「いえ、何もありませんわ。では、あなたにシンセサイザーをお頼みしてよろしいかしら?」 「しなければならないんでしょう? 分かりましたわ」 水乃は嫌そうな顔をせず、むしろ楽しみにしているような顔で了解した。 「ええと、あとはギターが弾ける人を……」 「ギターなら私やろうか?」 そこで凛が声をあげた。 「会長、ギターできますの?」 「うーん、ちょっとだけ。でも練習すれば、きっとこの学院で一番の引き手になれるよ!」 と、ブイサインをしたので、凛も加わることになった。 文化祭当日、演奏直前になっても、誰一人不安そうな声をあげなかった。当然である。彼女らは、皆自分に自信を持っている。 「水乃さん、似合っていますわね」 茜が水乃に意地悪そうな視線を向けて言った。 「人の趣味を勝手に押し付けないでいただきたいわ」 水乃は暗がりで分かりづらかったが顔を染めながら言った。 「でも、止めさせなかったのよね」 「う…」 ベースを担当する生徒会の仲間の冷静な指摘に水乃は言葉を詰まらせた。 四人の衣装は百合女の例年の文化祭を考えるとあり得ないほどに露出度が高かった。といってもいやらしい感じではなく、というか一般からすればそんなに凄い衣装でもない。ちなみに、手作りでもなければ市販の物でもない、特注品である。 そして幕が上がる。 学院の敷地内に特設された野外ステージで、一夜限りのライブが始まる。 ライブというものに馴染みがなかった百合女の生徒たちがワクワクしながら眺め、噂を聞きつけた近隣の学校の生徒らも詰め掛けて、ここ十数年で一番の盛り上がりを見せていた。 染まった西空眺め 手を繋げる日はくるの? 出会ったはずの昔 すれ違うしかない今 旅立った東の奥 もう見えない日しかない 別れたはずの昔 離れることはない今 息継ぎの間に茜は他の三人のメンバーを目の端に見た。練習の甲斐あって見事な響きで魅せているリズムに、声と想いを乗せていく。 そっと貴方に届けと伸ばした手を その目その手その全てが近かったなら ずっと貴方と傍に置かれていたら その日その日その夢だけ見ていたい 四人は高揚感の中にあった。自分達の演奏で、集まった観客が盛り上がっている。それは今までにない感覚で、今までにない質量で、彼女らの負の感情を奪い去っていく。 何に隔たれても私は逃げない想いだけ此処にある ずっと隠してたつもり私の想いだけ 何に笑われても私は負けない本気だもの生憎ね ずっと抑えてただから私の日々だけ また会いましょう違った私と サビが終わりそこで凛のギターソロが入った。どこの●門だと思うくらいの神テクで盛り上げ、やがて二番に入る。 茜はスッと息を吸って、さらに想いをこの夜の空に刻む。 文化祭が終わって数日したところで、再選挙議案が発議され、そのまま生徒会長選挙が行われた。 その結果、文化祭時のライブの立役者だったことから茜が生徒会長に就任し、凛が副会長、水乃は生徒会役員に降格した。 茜は以外にも驚いていたが、水乃としては最初から覚悟していたことなので、せめて学校を潰さない程度にのんびりと仕事をしなさいと言った。 水乃は最後に一言、ありがとう、と付け加えた。 本当はもう一言、聞こえないくらいの声で付け加えたのだが、誰にも聞かれることはなかった。 |