そして姫とのファンタジー

                涼露

第四話 そして姫とのオミナウス



 黒雲がかかった山を窓から眺めながらテンは溜息をついた。隣を見ればアイリが静かに寝息を立てて眠っている。このやたらと可愛らしい王女様のためにさっさとドラゴンを倒してやりたいのに、昨晩の自分は何をしていたんだろうと情けなく思う。
 二日酔いでの頭痛も治まった今、のんびりしてる場合じゃないなとテンは一階の酒場に降りた。情報収集というわけである。
 まだ夕方ということもあり、既に酔い潰れたおっさん達も見受けられたが、まだ飲み始めたばかりでまともに話せる気のいいおっさん達も大勢いた。テンはとりあえず近くにいた商人風の男達に聞いてみることにした。その男の話によると、昔は炭鉱として掘られていたその山にあのドラゴンが現れたのはもう何年も前の話らしい。最初の頃はその山を取り返すために屈強な工夫達がつるはしを構えて挑みに行ったらしいが、ことごとく返り討ちに遭い、今では獰猛な野犬まで住み着いてドラゴンに近づくことすら危険な状態らしい。
「仕事を失った工夫が商売を始めて、こうやって賑わうようになったのはいいんだが、おかげで宿をとるのも一苦労だよ」
「あそこが炭鉱としてあった頃の方が、素朴ではあるけどここは良い町だったよなぁ」
「今じゃ金と商品がごった返す騒がしい町だ」
「でも騒がしくなったおかげで、俺たちはさらに儲かってるんだがな」
 とか言って笑い出した。確かに言われてみれば、普通の商人と比べて羽振りがいいようである。あちこちがキラキラ光っている。……てか、話を聞く限りじゃ別に倒す必要があるのか? と思わされてしまう。
「今そのドラゴンを倒したら、どうなると思う?」
 とりあえず疑問に思ったことをテンは聞いてみた。
「あははは、兄ちゃんじゃ無理だよ。野犬に噛まれてそこでオシマイだ」
「炭鉱が復活したからってそう変わらんだろう。たとえ工夫がまた炭鉱に戻ったとしても、この町はいろんな場所から持ち込まれた商品がごった返す町のまんまさ」
「鉱山そのものよりあの山の近くを通ってた道が復活することの方が大きいな。あの道を通れば、まあ国は違う隣町まですぐだ。この町の宿屋不足も少しは解消するかもだぜ」
「面白いこと言う兄ちゃんにはこれをやろう。動物は火に弱いからな。もっともあの野犬どもは火なんか恐れないが、脅かすくらいならできる。隙を作って逃げ出すんだな」
 どうやらドラゴン倒してきますオーラが出ていたらしく、そんな無謀な少年に商人は一本の杖を与えてくれた。『炎の杖』。念じればほぼ誰でも使える使いやすい杖であった。
「死なない程度で帰って来いよ、勇者さん」
「じゃあ俺も、これをやろう」
 張り合った別の商人が、今度はボロい地図をくれた。
「炭鉱の内部の地図だ。何年も前のだが、それ以来掘られてないからそれが最新版だぜ?」
 テンはありがたく頂いておいて、別の、今度は旅人風の男に話を聞くことにした。
 しかしこの男の話は全くためにならなかった。やたらと今までの自分の冒険譚を語り、そのうえで「そんな俺でもあの野犬どもにすら叶わなかった」ということらしい。テンはこういう男はたいてい弱いことを知っているので、時間を損したなぁ程度にだけ考えて席を立った。
 次に話を聞いた男は、昔あのドラゴンと戦った工夫の一人だと言った。とにかく体も声もデカくて、つるはしを構えた工夫達の半分は恐怖でその場にへたり込み、もう半分は尻尾で弾かれてそのまま逃げ帰ったらしい。この男はそれから何度も討伐隊を結成して挑みに行ったがだんだん野犬が増えて行って討伐に行こうという工夫が減っていって遂には炭鉱の放置が決まってもうだーだーで、最後には店の近くで真っ黒な犬を見たとかわけの分からんことを言ってその場に突っ伏してしまった。派手な寝息を立てている。
 テンはこのあたりでもうまともに話せる人はいないなと判断し、自室に戻った。
 部屋ではアイリが丁度夕食の最後の一口を食べ終えたところだった。
「心配しなくてもテンの分もちゃんとあるわよ」
 と、アイリは向かいの席を指した。なるほど、アイリが食べていた向かいの席に、しっかりと食事が並べられている。
 テンはその席に座って食べ始めた。もう冷たくなっている。
「どこ行ってたの?」
 アイリが何故か不機嫌そうな声で尋ねてきた。
「一階。何か役に立つ情報はないかって聞きに行ってた」
「で、何か分かったの?」
「んー? 野犬がうろついてて危ないらしいってことくらいかな。何にせよ、行ってみないとわかんねーよ。倒せるかどうかも」
 テンは硬くなってしまった肉を噛みながら答えた。ソースは上手い。出来立てだと美味しかっただろうなと少し後悔した。
「もし……、倒せなかったらどうするの?」
 アイリは今まで考えなかったことを尋ねてみた。
「そん時は作戦立てて挑むか、仲間を増やすかだな。がむしゃらに何回も挑んだって、危険なだけだ」
「そう。まあ、負けるわけないけどね」
 アイリは決して不安な気持ちを悟られないよう、自信満々に言った。テンはおいおい、と思いつつも、
「まあ、お前がそう言うんなら勝てるんじゃないのか」
 とだけ言っておいた。
 二人は、明日にそなえて早めに眠ることにした。


 翌朝、二人が宿を出たのは朝の八時過ぎのことだった。朝食を終え、装備を整え、朝の涼しい風が吹く中を進む。炭鉱近くの森の脇を通りながら、いつ襲ってくるか分からない野犬に備える。
「野犬なんて問題ないのよね?」
 アイリが傍らを歩くテンに尋ねた。
「普通の野犬なら剣を構えただけで逃げるんだけどな。野生の堪ってやつ? 殺されるって思うんだろうな」
「てことは、それでも逃げなかったらどうしようもないってわけ?」
「逃げなけりゃ戦うさ。それ以外に道はない」
「簡単に言うわねぇ。そんなこと言ってながらさっさと逃げ出したら殺すわよ?」
 アイリが真面目な声で言うと、テンはそれに笑いながら答えた。
「姫を見捨てる騎士があるかよ」
 そう、自然に言えるテンが眩しくて、アイリは、
「そうね。死んでも守ってもらうわ」
 ひどい一言だった。
「何様のつもりだお前! 置いてくぞ!」
「姫様を置いてく気なわけ! サイテー!」
 この騒がしい喧嘩が野犬を呼び寄せたのだった。


 言い争いの最中、テンは後ろから飛び掛ってきた野犬に押し倒された。剣を抜く暇もない。その頑丈な前脚が顔を薙ごうという瞬間にアイリのレイピアが伸び、野犬はそれを飛んでかわした。野犬が飛びのいたおかげで立ち上がれたテンは背中の剣を抜き、アイリに礼を言い、そして剣を構えて敵を見据える。
 敵は見える範囲に四頭。さらに茂みの奥から光る眼がいくつも覗いている。
「逃げないわよ……?」
「そうだな……」
 全く怯む様子のない野犬たちを相手に逆に怯むアイリとテンは、相手の出方を慎重に窺った。まず一頭が飛び掛ってくる。それをかわし、次に飛んできた二頭目を薙ぎ払うべくテンは剣を振るう。しかし野犬はその剣を牙で受け止め、そこに三頭目が飛び掛ってくる。剣を咥えられているためテンは見つめるしかないが、それをアイリが阻止せんとレイピアの切っ先を向ける。しかしそのアイリに四頭目が体当たりで体勢を崩し、さらに一頭目がアイリの手首を叩き、アイリはレイピアを手から離されてしまった。その間にテンも体当たりで体勢を崩され、腕を踏みつけられて剣を奪われてしまった。
 四頭に武器を奪われ完全に制圧されてしまったうえに、茂みの奥から十頭以上の野犬が取り囲むように迫ってきた。
「……役立たず……」
「……」
 アイリはもはや半泣きで、テンは呆然としてしまっていた。正直、舐めていた。それがまさか、こんな結果になろうとは夢にも思わなかったのだ。
「アイリ……ごめん……」
「許さない!」
 しかしそんなやりとりをする間も許さず、野犬たちは襲いっかってきた。死を覚悟した瞬間、

 ワオーーーーーーーーーン

どこからともなく慟哭が轟いた。
ざわつく野犬たち。するとその後方から、一頭の野犬が現れた。アイリたちを囲んでいる野犬たちよりもさらに漆黒のそれは、
「クロ!」
 それはいつかの銀行で仲間になった、本名……ええと忘れた! ケルベロス、アイリ名付けてクロだった。
「ガルゥゥ」
 クロは野犬たちを威嚇している!
「ガルゥゥ」
 野犬のリーダーがクロに勝負をしかけた!
「ガルゥゥ」
 クロは快勝した!
「キャウーン」
 野犬たちはクロに従った!

 そんなこんなで野犬十数頭を従えて、クロは森の奥へ消えていった。……きっとこの森で幸せに暮らすだろう、うん。
「助かった……?」
 クロとその子分たちが見えなくなってから、テンは呟いた。
 その、へたり込んだかたちの決して格好いいとかいえないテンに、アイリが抱きついた。テンは声をかけようとしたが、アイリが嗚咽をこらえているのを知り、黙って抱きしめようとした。

 ゴスッ

 そんな音とともに、アイリの拳がテンの腹にめり込んだ。
「次あんなことになったら、殺される前に殺すから」
 テンは崩れ落ちながら、ああもう軽率な真似はできないなとか思った。


 野犬を退治(?)したためその後の道のりは順調そのものであった。炭鉱の上にいるという黒龍のもとまで行くのもそう時間はかからなかった。
 しかし二人は、野犬との戦いを経たあとでもまだ油断していたのだ。
 黒龍は、犬と比べていられるレベルの相手ではなかったのだ。
 それを二人は、黒龍を目の前にしてようやく悟ることとなった。
 想像以上の巨体。ギラつく視線。大きな爪に牙。輝く全身の鱗。
 そして何より、振動そのものかと思われるほどの慟哭。
 その存在だけで空気が重くなっているように感じられた。
「テン……」
「ああ……」
 それでも二人は戦うのだ。互いのために、また、互いを信じて。
 黒龍がアイリとテンの姿を認めた。一際大きな声を発し、二人をまずは太い尻尾で薙ぎ倒しにかかる。
 それを危うくかわした二人は、ともに剣を抜いた。
「やるか」
「うん」
 
 決戦が始まる―――