そして姫とのファンタジー

                   涼露

第三話 そして姫とのエクスプレス



 線路はどこまでも続いているっていう歌詞を聞いたときは笑いそうになったものだがなるほど、実際列車に乗ってみると本当にどこまでも続いているような気になってくる。
 エトワの北東に位置する王都セペンを朝一の列車で出立してから、そろそろ五時間になる。
 客車の後部のドアから外に出て風を浴びつつそんなことを考えていたテンに、
「まだ五時間よ。大袈裟なこと言ってんじゃないわよ」
 アイリの刺々しい声が刺さった。口に出ていたらしい。
 そう生意気な口をきいてくるアイリは、なんだか前までとは比べ物にならないくらい輝いている。いや、前ももちろん可憐だったけど、うん、今は、もっとすごい。
 二人は列車に乗るために王都へ戻ったついでに、食料や衣服を調達したのだ。決して無駄遣いをしたわけではない。テンは、旅をしながら賞金首を捕えるという不安定な生活だったので元々無駄遣いは禁物であったし、アイリは王宮育ちで金銭感覚が一般人とはズレていると思われたのだが、無駄遣いという点には厳しかった(王たる者、無駄遣いをして国民に負担をかけるわけにはいけない)。
 片や王宮の箱入り娘。片や流離いの旅人。流行というものがサッパリ分からず店内に並ぶ服を前に戸惑っていたところを、強引な店員さんに次から次へと試着させられ、気が付けば大量の服を買わされるところだったが、それでも二人はお互いに三着ずつに抑えた。ちなみに店員さんの名誉のために言っておくと、店員さんの宛がった服はどれもアイリとテンに良く似合っていて(アイリはもちろんテンもなかなかに「格好いい」と呼べる顔立ちだったのだが、テンは自覚していない)、どれも街を歩けばそこそこ目立つほどの出来だった。
 最近流行りの服(らしい)に身を包んだ男女のペアを、それぞれ身につけたレイピアと大剣さえ除けば、誰が恐ろしい黒龍討伐に向かう二人だと分かるだろう。
「何よ? 言いたいことでもあるの?」
 アイリは若干顔を赤らめながら抗議の声をあげる。
 テンはその言葉に、自分がアイリに見惚れてしまっていたことを知り、焦った。
「ああ、いや、そろそろ飯だよな?」
 既に日は高い。そろそろ車内食が配られる頃だろう、とテンはそそくさと車内に戻って行く。
 アイリはその後姿を薄ぼんやりと眺めつつ、これってどういう気持ちなのかしらと思いつつ、溜め息をついた。
 今、二人は同じことを考えていた。
 似合ってるよ、って、言えなかったなあ。

 あれはやりすぎたと思う。
 列車内で配られた昼食はなかなか豪華(らしいが自分の感覚ではよく分からない)で、ほぐした蟹の身が入ったサラダに、きのこや山菜がたっぷり入った、しかし上品なスープ、メインディッシュはローストしたチキンであった。そこまでは特に問題なかったのだが、最後に登場したデザートのプリンアラモードの時はまずかったろう。いくら甘い物が大好きとはいえ、少々はしたなかった。甘い物は嫌いだと自分の分も譲ってくれたテンに抱き付いてしまったあたり、もう完全に我を忘れていた。
 プリン二つを食べ終えて満足したところでようやく自分の醜態を思い出し、顔を真っ赤にし、恐る恐るテンの顔を覗き込む。窓の外に向けられていた顔は何かを考えているようで、そのまま吸い込まれてしまいそうなほどだった。アイリはさらに顔を赤らめ、テンの横顔に見惚れていて、このまま時が永遠に止まってしまうのではないかという雰囲気を、
「太るぞ」
「うっさい」
 テンは無遠慮な一言で打ち砕いた。

 夕方の真っ赤な太陽の光が差し込む駅のホームにアイリとテンは降り立った。
 王都セペンから列車で十時間、テルル炭鉱最寄り駅がある街フィーネである。昔はこの街を首都とした国があったのだが、二百年ほど前、時のエトワ国王トロアン二世によって滅ぼされ、以後エトワ領となっている。
 この戦争ではいろいろな経緯で国民がエトワに味方したため、ほとんどこの小国は抵抗することなく白旗を揚げざるを得なくなったのだ。そのため無傷で残った城を中心に、今でも城下町として栄えていて、エトワ西部の中枢どころか、大陸東部の中枢都市としても機能している。
 さてそんな馬鹿デカイ街フィーネで、二人は途方に暮れていた。フィーネは交易が盛んで商店は腐るほどあるのに、何故か宿屋が極端に少ないのだ。民家ばかりが多かったこの街が鉄道の発明で一挙に貿易の主要都市となったことで大量の商店が次々と開店し、宿屋の必要性が認識され出した頃にはもう空きスペースがないという状況だったのである。数少ない宿屋の店主らの商売は大いに繁盛し、大金を得た店主らはその金で宿屋の出店を制限する法を作らさせてしまったために、今では宿屋の寡占化という状況が出来上がってしまっている。ちなみに、宿泊料の値上がりで長期滞在し辛いため、フィーネは異常に品物の回転が早い交易都市としても知られている。
「予約」という制度を知らなかった二人はあてなく歩きつつ、
「今日は野宿かな」
 とテンは平気な顔で言い、
「い、嫌よ野宿なんて! 服が……」
 と、アイリは反対する。
「仕方ねえだろ宿がないんだから。ああ、調べときゃよかったか……」
「なんで調べなかったのよ! お姫様をこんな治安の悪い街で野宿させる気なの!? 全く使えない剣士様だこと!」
「調べなかったのはお前もだろ! だいたい剣士様なら事前調査は仕事じゃねえだろ!」
 二人がおでこがくっつくくらいにまで接近して睨み合いあーだこーだ言ってるところに、
「旅人さんかい? 宿がとれなかったんだねえ。どうだい、質素な家だけど、泊まってくかい?」
 神が現れた。

 声をかけてくれたのはダリアさんという五十くらいのおばさんで、家に着くとその夫らしき男性も暖かく迎えてくれた。
「息子も娘も巣立っちゃってねえ。遠慮しないでどんどん食べてね」
 そう言うダリアさんはとても優しい顔を向けてくれて、
「そうだね、大変懐かしい。今二階の部屋を掃除してきたんだが、済まない、どうにかベッドは引き摺り出せたんだが、一度物置にしてしまうと再び部屋として使うのは無理らしい。同じ部屋で寝てもらうことになるが、かまわんかね?」
 ダリアさんが食卓に料理を並べ終えるのを見計らっていたかのようなタイミングで、旦那さんがリビングに入ってきた。
「いえいえ、泊めてくださるうえにこんな料理まで振舞ってもらうんですから、そんなこと気にしませんよ」
 テンがあっさり言い、
「そうですよ。ホント、感謝してもしきれませんわ」
 アイリも同意した。
 
 どこが質素なんだろうという料理の山を二人は大いに楽しみ、出されたワインも注がれるままに飲んで、テンはすっかり出来上がってしまった。
 テンは酔うと喋りだすようで、自分たちのことについて何か喋ったりしないかとアイリは内心ドキドキしていたのだが、テンが喋り倒したのはアイリと出会う前の武勇伝だけだった(それはそれでちょっと悔しい)。
 散々喋って寝てしまったテンをかかえ、
「ご迷惑かけてすいません、今日は本当にありがとうございました。おやすみなさい」
「ああ、その子を寝かせたらお風呂浴びにいらっしゃい」
「重ね重ねすいません、お言葉に甘えさせていただきます、ありがとうございます」
 と、再び丁寧にお礼を言って空けてくれた部屋に向かえため階段を登るアイリを見送る食卓、
「あれだけ酔わせれば、間違いは犯さないわよね」
「君は男の子には厳しいんだなあ」
「ああら。私はいつでも女の子の味方よ?」
 夫婦の会話は、アイリの耳には届かない。

「ああ、重い! 近い! 引っ付きすぎ! 馴れ馴れしい! 酒臭い!」
 文句を言いつつ部屋のドアを開け、ベッドにテンを寝かせようとした際に足がもつれて倒れてしまった。
 
 自分が、ベッドに。
 テンが、その上に。

 ベッドの上に寝転ぶ自分と、その上に覆いかぶさるテンという状況を、アイリは一拍間を空けてから理解し、
(こ、これは、ま、ままままままままま――)
「アイ……リ……」
 テンの声で思考はピターンと止まる。
 召使いらとの話から昔から漠然とだけど知っていて、最近になって数学や国語の授業に加えられた不思議な授業で知らされた卑猥な行為を思い出し、
(そ、そんな、ダメに決まってるじゃない! まだ十六よ! それが、誰も見てないからってそんな……)
 とまで考え、テンを払い除けようと必死にもがく。もがいて、しかしテンの体は思うとおりに落ちない。
「お、起きてるんでしょ! ふざけないで! 早く退きなさい! 命令よ!」
 語調は強く、しかし小さな声で、アイリは命令する。そんな必死なアイリに返ってきたのは、
「くぅ〜〜……」
 酔っても意外に軽やかな寝息だった。
 アイリは本当に寝てるのかしらこいつ、とテンのわきをツンツンとつついてみたが、動く気配はない。ただ耳元で規則正しく吐かれる寝息と、密着していて胸で直接感じるテンの心臓の静かな鼓動とが、今まで焦りに焦っていた自分を嘲笑っているかのようでつまらなかった。
 それでも、ソーッと抜け出し、テンをきちんとベッドに寝かし、それから階下、お風呂をいただきに階段を降りる。

「……痛っ!?」
 目が覚めた瞬間に激しい頭痛に襲われた。思わず頭を抱えて唸る。その中で、そうかそういえば昨日酒を飲んだんだっけと思い出す。飲むのをやめなかった昨晩の自分を恨む。
「あ、起きた?」
 と、その身悶えするテンに、アイリが声をかけた。
 テンが声のする方に目をやると、そこには目を疑うような、まるで天使かと思うような姿があった。
 窓枠に座って外の景色を見やる彼女は、いつ着替えたのだろう、薄手のワンピースのような服を着ている。朝日が髪に反射して煌いていて、逆光でよく見えなかったが、その僅かに赤く染まった顔はどの時代のどの画家作家彫刻家にも表現し切れないだろう。思わず二日酔いの頭痛のことも忘れて眺めていたが、
「頭、大丈夫?」
「え? ……いってえええええええええええ!」
 その叫びに、既に一階に下りていた夫婦は昨夜少々意地悪しすぎた少年の覚醒を知った。

 朝風呂をもらい朝の食卓についたテンに、
「昨夜はよく眠れた?」
 と、ダリアさんはその優しい笑顔を装って尋ねてくる。
「ええ、おかげさまで……」
 テンはやはりまだぼんやりしている。
「すまないね、ダリアはそういうことには厳しくて」
 旦那さんが言い訳をしようとするが、
「はい?」
 何も分かっていなさそうな少年に旦那さんは、
「いや、なんでもない」
 口を濁した。
「そういえばあんたたちはどこへ行く途中だったんだい?」
 ダリアさんが話題を変えるためにアイリに尋ねた。
「テルル炭鉱です」
 アイリは馬鹿正直に答え、
「あっはっは、あの化け物を退治してくれるのかい? 助かるねえ」
 ダリアはもちろん本気になどしていないが、
「ええ、任せてください!」
 アイリは本気である。

「それじゃ、気を付けるんだよー」
 と、軽く見送ってくれてダリアに別れを告げ、ダリアが冗談としか受け取らなかったテルル炭鉱へ向けて歩き出す。
「……頭痛い」
 テンの足取りは重く、
「……眠い」
 アイリの足取りも重かった。
「ん? お前はそういえばなんで起きてたんだ?」
「な、なんでもない! ほら、さっさと歩く!」
 誤魔化すように、アイリはスピードを速める。
 言えるわけがない。すぐそばに迫った暗黒龍討伐のその後の二人がどうするかを考えていただなんて。出来ることなら……と考えていたことなんて。

 強烈な二日酔いと睡魔には勝てず、二人は昼前には空きのあった宿屋に泊まることを決めた。