五年越しエイプリル 涼露 |
なんでこうなったのか、理由はたぶんないはずだ。 期待していた高校生活もたいした驚きも感動もないままに一年が過ぎ去り、少しはワクワクしながら待っていた春休みも半分が過ぎると退屈な毎日が戻ってきていた。 友達がいないわけじゃない。最初はその友達と遊んでいた。しかし、所詮高校生だ。バイトもしていない一高校生に使えるお金なんて限られている。雀の涙というやつだ。 そういうわけで、芳樹は今とても退屈をしていた。 ベッドの上で何度も読んだ漫画を読み直してみたり、何度もクリアしたゲームをやり直してみたり、そんな日々に飽き飽きしていた。あんなに行きたくなかった学校が恋しくなっているあたり、高校生になって一番の驚きかもしれない。 なんとなく携帯を開き、なんとなく一人の友人になんとなくメールを送ったのだ。 水野由香、という相手に。 由香とはいわゆる幼馴染みで腐れ縁だった。家は歩いて一〜二分というところにあって、幼稚園から高校まで同じだった。由香はなかなかの美人で成績もなかなかよくて、運動神経もなかなかある。高校に入学して同じクラスになり気軽に話していたら、男友達に羨ましいよなぁ、と囃された。そういう感情はなかったのでその時は否定していたが、まあ幼馴染みとして少しは誇らしい部分があるのは事実だ。 そんな由香に、冗談でメールを送ってしまったのだ。今日は四月一日。面白い返事を期待して送ったはずだ。 何度も言うが、本気で送ったわけじゃない。 芳樹は「好きだ、付き合ってくれ」と、送ってしまったのだ。 いつもはなんて暇な奴なんだというくらいすぐに返信してくる由香は、このメールには何故か返信してこなかった。部活があるのかもしれない。勉強中なのかもしれない。だから、そんなに意識はしなかった。前にも何度かふざけたメールを送ったことがあるし、時には返信を見てこっちがひっくり返るようなこともあった。今日の日付も考えると、由香が本気で返せないなんてことは完全に考慮の外だった。暇つぶしにならなかったなぁ、というだけの感じ。 そしてメールのことを完全に忘れて寝ようとしていた頃、返事が返ってきた。 「私もよ。だから明日買い物付き合って」 なんだか嫌な予感がした。 具体的な時間が指示されていない。だからこれも日付を考えて冗談なのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。 退屈で早めに寝たため、早めに目が覚めた。といっても九時になるわけだが。 朝食を食べ終わった頃に、インターホンが鳴った。まさかと思ったがそのまさか、由香が玄関前にいた。 これは何かの冗談だろうか。親同士も仲がいいので野暮用で遣わされることが多々ある。その時の由香はTシャツだったりジャージだったりと、本当に部屋着という感じの服装で尋ねて来たりするのだが、今日の由香は何故か決め込んでいた。まあ、買い物に行くのだから多少は分かるのだが、普段ああいう由香を見慣れている分、芳樹には由香がやけに輝いて見えた。友達が羨ましいと言うのも分かる気がする。 はっきり言おう。由香は可愛かった。 頭半分小さい由香に睨まれ、慌てて家の中に戻り適当に服を選び、財布と携帯その他を持って母親に出かけるとだけ告げ、家を出た。由香は 「久しぶりだね〜」 などと言っているが、二人で出かけた覚えはない。 何処に行くのか聞かされていないが、まあ気にせずついて行った。近くのスーパーに行くとは思っていなかったが、駅に行くのだと気付いたときには少々驚いた。二人の家からだと駅のすぐ向こう側にショッピングモールがあるのだ。それほど大きくない町なだけに微妙な規模だが、たいていの買い物はここで済ませられる。男女が二人で……つまりデートで買い物と言えば、ここであった。 そのショッピングモールを目前にしながら、由香は躊躇うことなく切符の自販機の前に立った。 何処行くんだよ、と聞いたら由香は駅名を告げた。県の中心部だ。そこまで行く気なのか……。 電車に揺られて一時間弱。駅を出て二人は目的地たるデパートに到着した。 子供の頃に何度か着た覚えがあるくらいだ。そういえば二人で親に連れられつつ来たこともあったような気もする。屋上の遊園地は今もあるだろうか。 中はやはり、よく覚えていなかった。それは由香も同じのようで、心なしかキョロキョロしているような気がする。何処へ向かう木かと思ったが、やはりというかなんというか、まずは服を見に行くことになった。 女物の服の売り場は少々……いや、かなり居心地が悪い。できれば勝手に選んで買ってきて欲しかったが、それは男としても幼馴染みとしても、人間としてもやってはならないような気がする。由香は服を体にあてて、 「どう?」 と聞いてくる。顔が少し赤いのは女の子が男の子にそういうことを聞くという状況のせいだろうか。 つられて芳樹も顔を赤らめつつ 「似合ってるんじゃない?」 と、言っておいた。何度も言うが、そういう感情はないのに直視できないのは何故だろう。 「えっと……これは?」 などと別のを出してきて聞かれても困るわけで、正直直視できても似合ってるかどうかはよく分からない気もする。 そこに丁度いい具合に店員さんが現れてくれて、由香のことは任せようと思ったのだがこの店員さんに聞かれてしまった。 「恋人同士?いいねえ、羨ましいねえ」 「ちっ、違いますっ!」 と二人同時に否定してしまった。 「なぁんだ、そうなの」 と店員さんはつまらなそうにしたが、見事に同時に否定してしまった当の二人が吹き出すと、店員さんに 「あれぇ?やっぱり仲良いんだね〜」 と言われてしまった。 あはは、と笑いながら由香は 「たしかに仲はいいですけどね」 と言ったので慌てて芳樹は 「幼馴染みですよ」 と言っておいた。 結局何を買ったのかと聞かれたら、由香の服を二つほどと、由香のブレスレットを一つと、昼食のハンバーガーにアイスクリームくらいだ。ちなみに由香の服以外は芳樹の奢りになったのは余談。 一通り見るだけ見て帰ろうと思ったところで、ゲームセンターに寄って、意味もなくユーフォーキャッチャーをしたりした。由香がハートのキーホルダーに興味を持ったからだ。 そこで芳樹は恐らく生涯初めて、ユーフォーキャッチャーで賞品を獲得した。 言っちゃ悪いが由香はとても珍しく素直に喜んだ。あんな輝くような笑顔で「ありがとう」なんて言われたら、他の男子だったらまずクラッとくるだろう。いや、他の男子だなんて、のんきに言ってられないのかもしれない。 春休みの宿題なんてなくてもいいのではないだろうか。学年が変わるのだから。……という無茶な理由をつけつつ、芳樹は春休み残り二日になってようやく宿題に手をつけた。夏休みと比べればそれこそ微々たるものだが、二日でやるには少々つらいものがある。 問題は芳樹の学力にあった。中学時代は少しの勉強さえすればそれなりの成績を維持できた。それなりの高校に来てそれなりの勉強をしていた。おかげで入学当時は真ん中より上にいたはずだったのにいつの間にかかなり下のほうにまできてしまっている。大学を考えると勉強しなければならないと分かっているのだが、どうもやる気が出ない。部活もやってないし、そろそろ本気でやらないと塾に入れられかねない。 そんな成績の芳樹だから、宿題はなかなか進まない。夏休みの宿題は最後の三日で片付けたのだが、あの頃より確実に学力が下がっている今ではとてもじゃないが進まない。答えの丸写しはまずいが、どう変えて写せばいいのか分からない。 友達を呼ぼうと思ったが、よく考えてみれば自分と仲のいい、遊びまわってるような奴は、たいてい馬鹿だ。自分も含め、情けない。困り果てた芳樹は、ある友人にメールを打った。そして十数分後、天使が舞い降りた。 「そこにこの式を代入するからこうなるのよ」 家に来てくれた由香は白いワンピースを着ていて、まさしく天使様という感じだった。 「……芳樹、本当に馬鹿なの?」 酷いことを言う天使だった。 「あぁ、なるほど、ああ、分かった分かった」 あまり分かっていないが。 訪れたくださった由香は、宿題を持って来ていた。しかし、なかなか厳しいもので、写させてくれるのかと思ったら先生になってしまった。自慢じゃないが数学は本気でヤバイ。数字や記号が並んだ意味不明な公式は見ているだけで本当に眠くなる。同い年の高校生に本当に理解できるのか疑問になる。 芳樹のあまりの出来の悪さにさすがの由香も呆れ、英語を取り出した。英語は得意だ。学年末考査では五三点だった。まあ、平均以下なのだが。 由香のやたら発音のいい英文を聞きながら、埋めていく。三問に一問くらいは間違いを指摘される。Willかbe going toとか、どっちでも通じるんじゃないか? とりあえず駄目らしい。由香も完璧というわけではないから、最終的には結構な数のバツがつくだろうが、真面目にやったらそれなりに先生は評価してくれると信じてみよう、と思う。 昼過ぎにやってきた由香は、なんと六時前までみっちり付き合ってくれた。数学はあんまりだが英語はほとんど終わらせることができた。国語は今晩中にやっておけ、だそうだ。 春休みの宿題は一日目で六割ほど終わらせることができそうな状況になった。これが春休みの一日目の話だったらどれだけいいことだろう。 そして、今さらになってだが、芳樹は由香の優しさが身にしみてきたのであった。 次の日も由香はきた。数学を分かりやすく教えてくれた。数学の先生よりよっぽど分かりやすい気がするのは、気のせいだろうか。そんなこんなで春休み最後の日は終わり、芳樹は最後にお礼を言うことにした。遅くないか? 「あのさ、無事宿題も終わったわけだし……、なんかお礼したいんだけどさ、何だったら喜んでくれるかな? ほら、昨日はあの後も宿題で、何も用意できなかったんだけど……」 「あぁ、いいよお礼なんて」 由香は笑顔で申し出を断った。 男として芳樹は言う。 「ほら、こんなにお世話になったしさ……」 口調は男らしくなかったが。 ここで、由香は驚くようなことを口走る。 「じゃあ、チューして」 おもいっきりの笑顔で言った。 「へ……?」 芳樹が驚いて目を点にしているあいだに 「あははー、冗談冗談―」 と、走り去ってしまった。最近少し変じゃないか? 新学期というものも、高校生にもなればドキドキしない。八クラスもあるのだが、何人かは中のいい奴がクラスにいたりする。 というわけで、新しい教室で中のよかった奴らと気の会いそうな奴らとのグループを形成していた芳樹の目に、ある女子生徒が飛び込んできた。 由香が教室に入ってきた。 八分の一の確立で芳樹と由香は同じクラスになってしまった。二年連続というのは六十四分の一か? 喜ぶべきかそうでないのか。教室の真ん中あたりで隣同士というこの席は羨ましがられるだろうが、嬉しいのか嬉しくないのか。 出席番号順に並べられて、新しくこのクラスの担任となった先生の自己紹介があり、ほとんど形だけのクラスメイトによる自己紹介が終わり、春休みの宿題の提出が終わった。 これでいいのかというくらい教室内は騒がしくて、喋ろうと思えばいくらでも喋れたが、由香が話しかけてこなかったので芳樹からも話しかけることはなかった。 しかし芳樹は聞いてしまった。帰ろうとしたときに隣の席周辺の会話を。 由香は女子バスケ部に入っている。春休みが明けて早々なのに、近々試合があるらしい。そして、春休みは土日を除く毎日練習があったのだそうだ。顧問が厳しく、やる気のある生徒はびしびし鍛えられていると聞いたことがある(ちなみにやる気の無い生徒は自主練らしい)。 そして由香は……。由香は努力家である。やる気のない生徒と見られる可能性は低い。 確かあのデートの日(?)は日曜日だった。 しかし春休みの宿題を手伝ってくれた二日間は、そうでない。 芳樹は単純に感謝していたのだが、とんでもないことをしてしまった気になった。 試合の日は調べるまでもなく分かった。始業式のあったその日に配られたプリントのうちの一枚に書いてあった。来週じゃないか。 一人、試合観戦を決めた芳樹であった。 帰宅部である芳樹は学校が終わればすぐに帰れる。当たり前のことだが、部活をしている由香は放課後も体育館で部活をしている。 どうやって応援しようか芳樹は考えたのだが、いい案は浮かばない。旗を振ったり垂れ幕を作ったりは美術的センスのない芳樹には無理があるし恥ずかしいし体育館でそんなことして怒られないかどうか心配だし由香が喜んでくれるかわからなかったのでやめることになった。 「こんなもんか……」 結局、お守りを買うことにした。これでも十分やりすぎではないだろうか。 かくして試合は始まった。相手はいわゆるライバル校である。偏差値も拮抗していて(特に先生にとっては)負けたくない相手なのだ。 由香は後半からコートに立った。三年生が現役であるなか試合に出れるというあたり、由香が本当に真面目である証拠だろう。 芳樹の周りの生徒らの予想通り、試合は一点を争うほどの好ゲームとなった。 相手校がシュートを決めたと思えば、こちらの学校がスリーポイントを決めて逆転し、やったと思っていたらすぐさままた逆転されたりという展開が続いていた。 気付けば残り時間はあと一分を切っていた。一点差だが勝っている。 「このまま逃げ切れ!」 そう願う芳樹だが、奪い奪われしたボールは、由香が責める側とは反対側のゴールをくぐった。 逆転された。 残り時間は……? 見ると三十秒を切っている。 芳樹はお守りを握り締めた。 他人事、と思えば簡単である。負けてもそれは由香のせいではない。 残り十秒、九、八、七、…… ボールが由香に渡った。時間はない。由香はゴール目指してドリブルをした。 一人抜き、二人抜き、そしてシュートをうつ。目の前にはまだ敵が一人いる。 タイミングは上手く外した。ボールはゴールに向かって飛んでいく。 吸い込まれるかと思ったそのボールは……、外れた。 ピーーーーーーッ 試合終了の笛が鳴った。 試合は芳樹と由香の通う高校の体育館で行われた。 というわけで、芳樹は校門で由香を待っていた。 程なくして、由香は出てきた。 由香は芳樹に気付いたようだが、話しかけることはなかった。 芳樹も、ここでは「よく頑張ってたよな」とか声をかけるべきかと思ったのだが、かけることはできなかった。 由香の友達はすぐに由香と違う帰路になり、芳樹と由香は二人きりになってしまった。 無言の帰り道。いつもなら話しかけてくるであろう由香は黙ったままだった。芳樹はそんな由香に話しかけるような言葉が見つけられなかった。 もうすぐ分かれ道になった頃、芳樹はなんとか元気付けるくらいはしようと 「あ、あのさぁ、」 と言おうとしたところで、由香が話し始めた。 「あのね、今日ね、怒られちゃった」 「え……」 「ちゃんと練習でてれば、あんなミスはしなかったろうって」 「でも、最近はちゃんと出てたじゃないか」 「でも……休んだのは本当だから」 「俺のためなんだろ!?」 「……」 「俺が宿題手伝ってくれなんてメールしたから、休んだんだろ? 本当は、部活行かないといけなかったのに、手伝ってくれたんだろ? 俺のせいで……」 「芳樹のせいじゃないっ」 由香は言い切ったが、芳樹は納得できなかった。 いや、してはいけないのだと思った。 「あのさ、何かして欲しいことないか? せめてそれくらいはさせてくれよ」 「でも……」 でも、と言いつつ、顔を赤らめつつ、由香は言った。 「じゃあ、遊園地……」 由香は走り去った。 遊園地とは、つまり、そういうことなんだろう。 この前のショッピングと比べたら、さらにデートっぽい。 ここは、いったい……と思いつつも、どこの遊園地がいいか調べる芳樹であった。 結局、一番近い遊園地になった。他の遊園地までは交通費だけでおそろしい金額になりかねない。 そういう理由なのだが、そこでも十分楽しめるのだ。 鏡の前で服を決めるなんて初めてのことをしたりした芳樹より、由香はやっぱりキマッていた。誰がどこからどう見ても、由香は可愛かった。 ジェットコースターは普通に楽しんでるし、お化け屋敷も全然怖がらないし、そういう点は男として残念だったが、由香が楽しんでくれたから芳樹も嬉しかった。 無邪気に笑う由香は、ただただ可愛かった。 帰り道はすっかり暗くなってしまっていた。 「楽しかったよ。ありがとね」 ここでもやはり由香は笑顔だった。 「いや、俺の楽しかったしさ」 芳樹も本当に楽しかったので、ちょっとくらいの出費は気にしないことにした。 「あのさ……、好きだって、送ってきてくれたよね?」 いきなりその話を振られた。 「あ、ああ、うん、エイプリル……」 「嬉しかった」 「え……」 「私さ、前に好きだって言ったことあったよね? エイプリルフールに」 唐突に思い出した。小五の春休みだ。あのとき、由香は好きだって言った。芳樹はそんな由香に何て言ったっけ。 こう言った。 「あはは、馬鹿だなー。今日がエイプリルフールだってことくらい知ってるぞ」 「私ね、本当だったんだ」 「え……」 芳樹は少しの間理解できなかった。 「でね、私ね、今でも芳樹のこと好きだよ」 あの告白は忘れてしまうほど昔のことだった。そのときからずっと由香は芳樹のことを想っていてくれていたのだ。芳樹は感動した。 芳樹は考えた。自分は由香のことをどう思っているのだろうか。嫌いなわけはない。もちろん好きだ。 その好きは、どういうものだろう。 考えなくても分かった。いや、考えないから、分かった。 芳樹は、由香という人が好きだ。 今まで恥ずかしくて認めてこなかったが、由香のことが好きなのだ。 「由香……」 芳樹は由香を抱きしめた。 人に見られようと、構わなかった。ずっとこうしていたかった。それは由香も同じだろうか。 「今日はエイプリルフールじゃないよな。言うよ」 芳樹は訊き、 「うん……」 由香は頷いた。 「俺さ、今までずっと違うって思ってたけど、違ってないみたい。俺も、由香のこと、好きだ」 「うん……」 由香は、より強く抱きしめてくれた。芳樹も強く抱きしめた。ずっと、二人の関係が壊れないように。ずっと由香を離さないように。 由香のハートのキーホルダーが、きらりと光った。 |