第三話 白い光景、黒い思惑

染井ヨシノ

 楽たちはここ数日、ある妖怪の気配を追いながら移動を続けていた。波稲によると、その中に微かな牛魔王の気配が感じられるため、配下である可能性が高いという。現代に妖怪の生き残りが存在するなんて少し前の楽なら信じなかっただろうが、今の彼はそのことをすんなりと受け入れてしまっていた。
 今を生きる妖怪たちのほとんどはひっそりと暮らしているが、一部の者たちはかつての隆盛を取り戻さんと暗躍しているらしい。そういった連中と、手間をかけて怨魔を作ってまで配下を欲しがっている牛魔王の利害は一致するのだろう。

――キキッ!
 物思いに沈んでいた楽は、車のブレーキ音で我に返った。
「ここが…」
 車から降りて、辺りを見回す。一面を雪に覆われた静かな山村の姿は、どこかに魔王の手先が隠れていることを感じさせなかった。
「間違いない…これは、妖怪の匂い」
 最後に降りてきた波稲が無表情に呟いた。そして、他の四人を振り返ると、すぐにまた笑みを浮かべる。
「今から詳しい場所を特定しますから、その間に手頃な小料理屋でも探しておいてくださいね」
 えっ、と突然の別行動の理由がわからない楽が驚くと
「なるべく人がいない方が効率いいんだよ」
 その疑問に真空が答えた。
「真空は私の護衛として、ここにいなさい」
「はーい」
「真空はいても大丈夫なんですか?」
 楽は新たな質問を投げかける。
「ええ。真空は私にとって、空気のような存在ですもの。一緒にいる時間が長すぎて、もう飽き飽き」
「あんた、最低」
 呆れた(疲れた?)ような笑みで、真空は溜息をついた。
「それじゃ、楽くん。くれぐれも一人にならないようにね」
「大丈夫だって。てか真空がそれ言うなよ」


 そういうわけで、楽は燐、沙悟と共に村を歩いていた。この村には余り人影がなく店も少なかったため、その中で一番マシそうな店に目星をつけて、三人は近くにあった広場のベンチに腰掛けた。
「結構歩きましたね」
 昨日の夜よく眠れなかったのか、沙悟は少し疲れているようだった。
「あっちに自販機あったよな。なんか飲みモン買ってくる」
 燐は二人に希望を聞くと、立ち上がって自販機の方へ歩いていった。

 楽は何度か沙悟の方を見たが、彼女は俯いたままだった。緊張しているのだろうか。楽も、可憐な少女と二人きりという状況に少し緊張している。しばらく沈黙が続いた。
「…あのさ」
「な、なんですか?」
 状況に耐えきれずに楽が話しかけると、沙悟の体がびくっと跳ねた。楽は楽で何を話せばいいか全くわからない。
「あ、ごめん。この間の二人――金角と銀角だっけ。あいつらと前にも会ったことあるの?」
「!」
 沙悟の表情が一気に曇る。楽はしまった、と思いながらも沙悟の返事を待つ他なかった。
「あの二人とは、わたしが沙悟浄として覚醒した日に出会いました…たった一人の親友が、魔王に命を奪われたあの日に」
 楽は絶句した。よりによってこんなことを聞いてしまい申し訳ないし、何と言えばいいのかわからない。そのとき、
「ホラ、買ってきたぞ!」
 ヒュッと何かを投げつけられて楽が反射的に受け取ると、それは燐が買ってきてくれた炭酸飲料の缶だった。燐は沙悟にも一つ手渡して座る。
「小鬼どもがどうとか言ってたな? サトは気に入られてて、これまで何度もちょっかいかけられてる。それだけだ」
 燐は手にしていた紅茶の缶を開け、ゆっくりと飲んだ。もう少しだけ待っていれば良かったと、楽は猛烈に後悔する。いちご牛乳の缶を無言で見つめている沙悟を見ていられなくて、楽は目を逸らした。

 そのとき、楽の目に一人の少女が映った。
 まるで、雪そのもののような少女。真っ白な肌。大きな漆黒の瞳に、長い睫毛。桜色の着物に白い衣を羽織っている。長い髪に結ばれた黒いリボンが、誘うように揺れた。
 しばらく彼女に見惚れていると、かなり重そうな荷物を押していることに気がついた。楽はなぜか手伝わなくてはいけないような気がして、他の二人に断りを入れることさえ忘れ、彼女の背中を追いかけていた。


「ありがとうございました。とても助かりました」
 深山小雪(ふかやまこゆき)と名乗った少女は、ぺこりと頭を下げた。彼女は、二人が今いる花畑を一人で管理しているのだという。
「いや、俺が勝手についてきただけだから」
「でも、見ず知らずの方に荷物を持って頂くだなんて…」
 いいから、と言いつつも楽はすっかり疲弊していて、簡素な椅子にぐったりと体を預けた。重そうな荷物は台車に乗せられた大量の肥料だったのだが、どうして小雪に動かせたのか不思議なくらい重かった。小雪が一緒に押そうとしたのを、格好をつけて断ったからこうなったのだが。
「それじゃあ、せめてものお礼に、お茶でも出します。そこで待っててください」
 そう言って小雪が立ち上がる。そのとき、ようやく楽の意識の中に仲間たちのことが甦った。
「あ、いいよ。俺、そろそろ戻らないと…」
「え、そんな。何のお礼もしないわけには参りません。ただ、少しの間だけ、花を眺めながらお茶を飲んで頂くだけでいいんです。お願いします!」
 その必死で引き留める様子にようやく違和感を感じた楽は、ありがとう、とだけ言ってその場を立ち去ろうとした。
 しかし、出口に辿り着く前に、突如出現した物体に進路を阻まれてしまった。
「な、氷…の中に、人!?」
 それは氷づけにされた男性の姿だった。
「仕方ねーな…なら実力行使だ」
 ゆらゆらと白い物体が飛行してくる。それは白い着物に身を包んだ小雪だった。
「小雪ちゃん…」
「そいつは偽名だってもうわかってるはずだぜ。オレの名は、立花(りか)。ワガママな王様に、お前を連れてこいって頼まれてるんだよね」
 冷笑を浮かべる『少年』は巨大な氷に手をかざす。

「――焔塊!」
 驚いた楽は思わず尻餅をついた。やや小さい火の玉が氷にぶつかって弾け、みるみる溶かしていく。
「楽くんから離れなさい!」
「てめーの好きにはさせないぜ、立花!」
「真空、燐さん、みんな!」
 そこには武装した四人の少女たち。
「燐…お前、本当に猪八戒なんだな」
「ああ。つーかお前こそ、何あんな奴に荷担してんだよ」
 燐が立花を見つめる瞳には悲しみと憤りが入り交じっている。
「お前、変わったな。昔はこういう卑怯な真似、誰よりも嫌ってたのに」
「お前こそ、昔は虫も殺せなかったくせに。まあ、人の本性なんてこんなもんさ」
 立花は蔑みとも自嘲ともとれる笑みを浮かべた。氷が溶けた男が三蔵に安全な場所へ転送されたのを見て、舌打ちをする。
「今日は退くか」
 そう呟くや否や、冷風とともに立花は消えていった。

 しばし呆然と座り込んでいた楽が我に返ったときには、もう少女たちは武装を解いていた。そして、目の前には真空が立っていた。――楽を睨みつけながら。
「ま…そら…?」
「ばかっ!!」
 その迫力に、楽はまたひっくり返りそうになった。
「戦えもしないのに、一人で行動しないで! 狙われてるのは楽くん、君なんだよ!?」
「――――…」
 始めて聞く真空の本気の怒声に楽が何も言えずにいると、真空はくるりと楽に背を向け、そのままスタスタと歩き出した。そして、出口の辺りで一旦立ち止まると、もう一度口を開いた。
「楽くんは、緊張感ないように見えても、そこはちゃんとわかってくれてるって思ってた。だから、もっと酷いことされて、無理矢理連れて行かれたんだと思って…心配、したんだよ?」
 真空の肩が震えている。理由は楽にもわかった。
 そのまま飛び出した真空を追いかける燐の背中を、楽はただ見つめることしかできなかった。


 深い闇の洞穴を抜けた向こう側に、その城は在った。
「ふうん…邪魔されたか。まあいい。三蔵一門が揃っている状態で経典を奪えというのは、流石に無理があるようだね」
 玉座に腰掛けているのは、毒々しい美貌を持つ青年だった。ガラスのような瞳は、常にここにはないものを見つめている。怪しく微笑んだまま、彼は続けた。
「それでも、手の内くらいは探ってきてもらわないと困るよ、立花。難しい案件だからこそ、怨魔どもではなく君たち妖怪(カンリショク)をわざわざ出向かせてるんだから」
「は…」
 跪いている少年は頭を垂れる。
「もう下がっていいよ。そうだ。たまにはあの子たちにも、まともな仕事をさせておこうか――金角、銀角」
「「はっ、ここに!」」

 立花が消えた後、モクモクと桃色の煙が上がり、長いサイドポニーを揺らして双子の小鬼が現れる。
「三蔵一門の者を、まずは一人、殺してこい」
 青年の表情が消える。虚ろな瞳に小鬼たちは一瞬恐怖する。
「「御意…必ず果たします」」
 頭を垂れてユニゾンするのと同時に、小鬼も消えた。

「…いるかい?」
「ここにおります、お父様……」
 闇の中から溶けるように、幼い少年が姿を現す。日本人形を思わせる、白磁の肌に長い黒髪を持つ少年。大きな瞳は血の紅に染まっている。黒い鎧姿で鎌を持ち、跪くことなく青年の隣に侍った。その姿に、青年は満足したように笑みを浮かべる。
「我が息子にして最強の僕、紅孩児よ。その爪、よく磨いでおくがいい」
「はい…お父様」
 人形は抑揚のない声で答え、消えた。青年も玉座の裏の彼の部屋へと移動する。そこには今日も、何一つ変わることなく、たった一人の愛しい女性(ひと)が待っている。
「君と僕の楽園…必ず創り上げてみせるよ」
 壊れた笑顔の青年の名は、牛魔王――――

「どうしようツルギちゃん…上様、超機嫌悪いよ? 立花が失敗したことなんてなかったからぁ〜」
「弱気になるな。やるしかないさ…それに、仕事中は『金角』だろ、銀角」
「う…わかったよ、金角」


 結局、宿を見つけて一息ついたこのときまで、楽は真空と仲直りどころか口も聞いてもらえなかった。旅に加わって以来、一番自分に良くしてくれていた真空に避けられるのは、正直かなり堪えた。風呂場で琴斗に説教された気もするが、よく覚えていない。きっと楽が余りにも上の空だったので、途中で向こうが諦めたのだろう。
「――く、楽!」
「あ、燐さん」
「ったく、そんなに落ち込むなら、他の女に目移りなんかしてんじゃねぇよ」
 女じゃなかったけどな、と茶化しながら、燐は風呂場の近くにある売店の椅子で沈んでいた楽の隣に座る。
「目移りって…それじゃまるで」
 楽は少し赤くなる。
「違うのか? どっちでもいいけど。むしろそうじゃない方が激しくありがたいけど!」
 燐はそう力説した後に、そんなことはどうでも良くて! と話を元に戻す。
「アタシの言いたいことはな。昔、アタシも男のダチ相手にキレて気まずくなったことがあってだな。その頃のアタシは気ィ弱くて、いつもはアタシからソイツに謝ってたんだけどさ。そんときはアタシも意地張ってて。でもさ、あるときソイツから珍しく謝ってきて、仲直りしてくれって言ってきてさ。そしたら、すんなり許せた」
 だから、と燐は楽の目を見る。
「真空の剣幕にビビってるヒマがあったら、さっさと謝れ!」
 そして、ばしっと楽の肩を叩いた。
「燐さん…」
 楽はようやく決心がついた。
(燐さんの言うとおりだ。俺、謝ってすらいない)
「ありがとうございます。俺、全力で謝ってみます!」
 それでいい、と燐は笑った。

「お、真空が来たぜ。アタシは先に部屋に戻るからな」
 燐が指差した方向に真空の姿を認め、楽はありがとう、と笑った。彼に手を挙げて答え、燐は部屋へと歩いていく。
「あの、違ったらすいません。ひょっとしてその男友達って」
「…ああ。立花だよ」
 幼なじみなんだ、と燐は振り返らずに言った。

「真空!」
 楽は真空の方へと駆け寄る。無視されたが、彼女の前方に回り込んで思い切り頭を下げた。
「ごめん!!」
 そして壁についている照明に思い切り頭をぶつけた。
「っ…あはは! ちょっと、怒ってる人笑わすって反則!」
 もんどり打って額を押さえる楽の姿に、真空は意地を張ろうにも笑いが止まらなかった。
「…真空、本当にごめん。無責任なことして、心配かけて、ごめん」
 もう一度謝られ笑うのを止めた真空は、少し不服そうな顔をしてみせながらも、もう先程までの気迫はない。
「まあ、反省はしたみたいだし? 雪男くんに術も使われてたっぽいし? 許してあげてもいいけどね」
「やった、ありがとう!」
 楽はパッと表情を輝かせる。真空も微笑んだ。

 どれくらいそうして見つめ合っていたのだろうか。
「やあ…って、お邪魔かな?」
 さわやかな男の声に二人は驚いて振り返る。
「「中島巡査ぁ!?」」
 久しぶり、と笑う男は、間違いなくあのときの、さわやかなイケメン。そう『絵に描いたような』。
「どうしてこんなところに…」
「いや〜実は上司に仕事押しつけられちゃって」
「そうなの? 大変だね」
「君らの中の一人、喰い殺してこいってさ」
 言い終わるのとほぼ同時に、悟空の如意棒が炸裂した。楽も既に笛を手にして下がっている。
「あ、やっと気づいた?」
 にこっと笑いながら、打撃によって負傷した部分を再生するのは、中島巡査と呼ばれていたモノ。
「そりゃあ、『さわやか交番の自転車』なんてドラマの主人公の容姿コピーしてれば『さわやか』を連想するよな。大分、昔の番組だから忘れてた」
「へえ、元ネタがあるんだ。どっちにしろ今日は妖気ダダ漏れだったからわかったけど。まさかあの日、あれだけ近距離にいたのに騙されてたとはね」
 ナカジマは大正解! と笑いながら、両腕だった部分を銃に変形させた。
「今日はつい、ね。神通力持ち喰えるっていうからさ。前に君らとは無関係の奴だけど、見つけて喰ったことあるんだよね。もうやみつきになっちゃって。どうせ君を喰うなら、初めて会ったときに喰っとけばよかったね?」
 悟空の攻撃をひょいひょい避けながら、ナカジマは銃を乱射する。これ以上建物が壊れるのを防ぐため、悟空はキン斗雲を呼び、割と広かったはずの駐車場へとナカジマを徐々に誘い込んでいった。
戦闘が始まって数十分経過した。とにかく攻撃が当たらない。悟空の風の技がかわされる程の凄まじいスピードだ。この短時間で、悟空が疲労から不利になっていくのが、楽にもわかった。
「ほらほら、遅くなって来てるよ〜」
「くっ…」
「悟空、待たせた!」
「八戒!」
 火の粉が舞い、八戒の、仲間たちの到着を知らせる。だが、それも当たらなかった。
「今更増えても遅いんだよね!」
とうとう、避けきれなかった悟空をナカジマの狂弾が襲う。
(真空…!)
 楽が叫ぼうとしたときだった。

 楽の頭の中を、見たことのない五線譜が流れていく。
(何だ…経典の力なのか? なら…これに賭けるしかない!)
 楽は思いきって前に出た。そして、頭の中の五線譜に従って演奏を始める。
「あ…!」
 ひゅん、と何かが動く。金色の鎧、悟空が弾幕の間から飛び出したのだ。ナカジマは、ほーっと愉しげにそれを見やる。
(何…この曲。体が動く。さっきより速く!)
 着地した悟空は楽の姿を目に留める。三蔵の結界によって覆われたところだった。悟空は、にっと笑って、地面を蹴る。
「風乱槍!!」
 ナカジマの本気の弾幕と、悟空の風の刃が交錯する。

 ナカジマの欠片が飛散した。
「はは、おれもついに地獄行き、か…」
「そうもいかないさ」
 ナカジマの欠片は白い光に包まれて、一つに収束していく。
そして、ゆっくりと人の姿に戻っていった。
「あーあ! ナカジマ壊れちゃったあ」
 子猫の声に、全員がそちらを振り返る。
「銀角、今瓢箪からこんな手紙出てきたんだけど…」
「上様からだ〜…『すぐに退きなさい。覚悟しておくように』だって…」
「見張られてたか。やっちゃったな」
 やがて金角が三蔵一行の視線に気づき、悟浄の姿を見つけると早速絡み始める。
「おい、悟浄。お前もうちょっと働けよ、殺し甲斐ないだろ」
「な、余計なお世話よ!」
「また、大切なものが壊れるの、黙って見てるつもり?」
 悟浄が目を見開く。金角はらしからぬ厳しい表情をしている。そんな兄が怖いのか、妹は無理矢理別の話題を振ろうとした。
「こ、これでますます悟空、上様のお気に入りだねっ」
 この発言がより我が身を危うくするとも知らずに。
「死にたいの?」
 気づいたときには、銀角の目の前に悟空がいた。そのため銀角は知る由もなかったが、三蔵も明らかに目つきが変わった。
「…退くぞ銀角!」
 金角は固まっている銀角を煙の中に放り込み、自らも消えた。
 緊張の糸がいきなり切れたためか、悟空はそのまま真空に戻り、落下してきた。八戒に受け止められたときには、既に意識を失っている状態だった。


 部屋に戻る頃には、怨魔の存在が消えた影響で、宿はすっかり元に戻っていた。楽は傷のない壁に手を当て、考える。  どうして元に戻るものがある一方で、決して戻らないものがあるのだろうか、と。



JACKPOT61号掲載
素材:Studio Blue Moon

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