第二話 心の扉、旋律の鍵 染井ヨシノ
「おいしい? 楽くん」 「うん! すっげーうまい。真空って料理作るの得意なんだな」 「そう? 燐ちゃんがいつも教えてくれてるおかげかな」 「へぇーっ、そうなんだ。いいよな、そういうの。でも、なんか意外だな。燐さんが料理って」 「……アタシがメシ作っちゃ悪いか?」 「あ、聞いてました?」 真空の作ったたまごサンドを頬張りながら、楽が呑気に後ろを振り向いた。運転席の後ろに座っていた楽と真空の、更に後ろに座っていた燐と沙悟が溜息をつく。波稲はただ微笑んで運転を続けている。この車は玉龍の変化した姿の一つなので、運転をする必要はないらしいのだが、訳あって波稲がハンドルを握っている。 「別に悪いってわけじゃないですよ。女の子らしくて、いいなって思って。…えっと、どうしました?」 「あ、アタシが女らしいだと!?」 燐は女の子らしい、という言葉を聞いて耳まで真っ赤になる。その恥じらいの表情に、強気な態度に隠された女性らしさが息づいていることに、本人は気づいていないようだ。早くも二人のペースに飲まれかけている燐の様子に、沙悟はもう一つ溜息をついた。 二人は正直、今朝からの楽の態度に驚かされていた。昨日、泣き疲れてそのまま寝てしまった楽は、朝目覚めた途端、憑き物が落ちたように「本来の巻原楽」を発揮し始めたのである。昨日の、何も知らないなりに一生懸命で、なんとか浄化も成功させることのできた彼とは別人のような脳天気っぷり。まるで遠足気分で、無防備極まりない。燐が不機嫌になろうが、沙悟が苦言を呈そうが、大して気に留めない。その上、波稲が 「新しいことを始めるときこそ、余裕が必要なのですよ」 などと言うので、二人はもう溜息をつく他なかったのだ。 ――それにしたってもう少し緊張や遠慮があったっていいんじゃないのか。いい加減にやられるのは困る。 普段余り意見の合致することのない燐と沙悟だが、このときばかりは同じ意見であった。 そのとき、朝食を終えた楽が口を開いた。 「波稲さん、目的地まであとどれくらいかかりそうですか?」 今、一行は波稲が感じる怨魔の気配を追って、とある街を目指しているのだった。波稲が運転をしなくてはならない理由はそこにある。 「まだ大分かかるのだけれど…どうかしましたの?」 「到着する前にちゃんと教えてほしいんです。俺たちは何と戦っているのか、奴等の狙いは何なのか」 車内の空気が変わる。沙悟は後ろからそっと楽の様子を窺う。楽の顔つきが変わっていた。昨日見せたのと同じ、真剣な表情。沙悟の心臓が跳ねる。 「よかった。楽くんから尋ねてくれるのを待っていましたのよ? 急なことだったから、貴方が落ち着いてから話をした方がいいと思って」 バックミラーに映る波稲の目は相変わらず微笑んでいたが、もう茶化すような笑みではなかった。 「怨魔を作り出している組織の首領は、牛魔王の生まれ変わりを名乗っています」 牛魔王――その名を口にする瞬間、波稲は瞳の奥に憎悪の炎を灯した。燐は悔やむように瞑目し、沙悟は哀しみに暮れるように俯いている。真空は、これまで見たこともない空虚な表情で、どこか遠くを見つめていた。 「……続けてください」 楽は先を促す。彼女たちがそいつにどれ程の仕打ちを受けてここにいるのかは十分伝わってきた。だからと言って、つい昨日まで部外者だった自分に同情などされても迷惑だろう。今、自分が彼女たちのために出来ることは、一刻も早く状況を理解してまともな戦力になることなのだ。 「奴は前世より受け継いだ強大な神通力を用いて、この世の全てを意のままにすることを目論んでいます。現世には以前従えていたような妖怪はいません。だから、人々の心につけ込み、怨魔にしているのです」 なんとなく予想はしていたものの、楽は憤りを覚えずにはいられなかった。そんな幼稚な企みのために、多くの人が傷つけられているのだ。 「しかも怨魔は他の人間を喰らい、糧とすることでより強大な力とより長い活動時間を得てしまうのです」 「ただ殺されるだけじゃなく、更なる力を与えてしまう……」 「そうです。特に、我々のように前世の神通力を持って生まれた者は。怨魔に遭遇して、仲間が側にいないようなときは決して一人で無茶をしないようにしてください」 「わかりました」 「それと、貴方の能力についても、わかっていることを話しておきますね。実は大乗経典は、怨魔の浄化以外にも、様々な力を有しているらしいのです」 「「「「様々な力!?」」」」 どうやらこの話については、他の三人も知らなかったらしい。 「浄化の曲は、経典の内容の極一部に過ぎません。他にどんな曲が存在するのか、詳しくはわかりませんが、例えば戦闘において味方を支援するようなものがあったはずですわ」 「凄いじゃん、それ!」 真空は楽の方を向いて瞳を輝かせる。 「但し、本人にとってさえ未知の能力を持っているということは、同時に危険なことでもあります」 「えっ?」 楽は思わず聞き返した。 「確かに経典の力は、経典そのものである楽君の意志が伴わなければ発動しません。ですが、洗脳や幻術によって、楽君自身が操られてしまう可能性はあるでしょう? ですから、戦闘ではくれぐれも自覚を持った行動をお願いしますね、楽君」 「はい!」 楽は良い返事をして、波稲は満足げに頷く。 「あ、あのさ〜みんな」 真空が何か言いたげにモジモジする。 「どうしたんだよ? 真空」 さっきとはまた違った意味で彼女らしくない態度を見せる真空に、楽が首を傾げる。 「波稲…昔言ってたじゃん。経典が人の形を取る前に、一文字剥がれてしまったらしいって」 全員の顔が、一気に引き攣る。 「経典に他の力が存在するなら、その一文字のことで何か大変なことになったり…しないよね?」 「だ、大丈夫だろ…浄化の曲さえちゃんと覚えてれば」 「そうそう、アタシらだって前世のこととか覚えてないし…大丈夫だよな?」 「わたしも、おそらく…平気だとは思うんですが」 みんな、悪戯がもう少しでばれそうな子供のように弱気な発言をする。 「あらあら、何をそんなに心配しているのかしら? やれやれ、最近の若い人は細かいことを気にしすぎて駄目ですね。ゆとり教育のせいでしょうか」 四人は顔を見合わせる。では、波稲が時折見せるこのフリーダムっぷりは何のせいなのだろうか。 そうこうしている間に、目的の街に着いた。 「うわあ、こんな人混み見たことない!」 楽はまたもや、さっきまでの緊張感はどこへやらではしゃぎ始めた。 「あたしもこんな賑やかな街に来るのは久しぶりだよー」 真空もそれに便乗するようにはしゃいでいる。どうやらすっかり楽のことが気に入ったらしい。 「ふふ……」 「やれやれ……」 波稲は二人、特に真空の様子を見て、嬉しげに微笑する。燐も不満そうな声を出しつつ、目を細めている。 (――二人とも、本当に真空が可愛いのね…まあ、わたしもあの子には感謝してるけど) くすっと笑みを漏らして、沙悟は一行の一番後ろをついていく。そして、その視線は楽へと注がれる。 (――…楽君って、いつもはああなのかな。なんか、もったいない。真剣な表情してるときはかっこ……) 沙悟は一人で沸騰したやかんのようになりながら、必死に自らの思考を遮った。 一行はまず今夜の宿を探していたのだが、しばらく歩いたところで、真空と一緒に三人のかなり前を歩いていた楽が、血相を変えて駆け寄ってきた。 「どうしたんですか?」 「真空がいない!」 「なんだと!?」 瞬時に食ってかかった燐を制しながら、波稲は全く動じることなく笑っている。 「いつものことです。すぐにどこかで見つかりますわ」 「で、でもこんな人の多いところで迷子なんて…もし、何かあったら…!」 沙悟も気が動転している。 「そう言われたって心配です! 俺は探します!!」 「そう。なら、別に止めはしませんけどね」 波稲は楽の必死な様子が面白いのか、くすくす笑った。 「お前が調子に乗るからこんなことになったんだろ! アタシが探す! お前は引っ込んでろ!!」 「俺のせいだからなおさら、俺が探さなきゃいけないんです!」 「お前、うざいんだよ!!」 「あんただってうざいですよ!!」 「二人とも止めて! 真空を探すのが先です…」 楽と燐が言い争いを始め、とうとう沙悟が涙目になりながら止めに入った。二人ははっとして喧嘩を中断する。 「……大丈夫。俺が見つける」 「――――!!」 楽が沙悟の肩に手を置いて囁くと、沙悟は顔を赤くして絶句する。燐の、絆されてんじゃねぇよと憤る声も聞こえていない。楽は必死で気がつかなかったのか、そんな彼女を気に留めることもなく近くの人に声をかけた。 「交番、どこにあるか知ってますか」 真空が興味を持つような観光名所を探せば見つかるかもしれないと踏んだ楽は、まず情報を手に入れようと思ったのだった。 「……そうですか、ありがとうございます!」 「おい、待てよ! お前まではぐれるぞ!」 「あっ、二人とも!」 「―――はあ、仕方ありませんね。走るのは嫌いなのですが…宿が見つかったら、師匠として真空を『どうにか』しておかなくては……うふふ……」 その頃、真空はどうしていたかというと…… 「あれ、はぐれちゃった。まあいいや、そのうち会えるよね」 残念なことに(?)波稲と同じことを考えていたのだった。 「誰とはぐれたのかな?」 振り返ると、そこには一人の警官が自転車から降りて立っていた。 (あ、さわやかなイケメンだ) (イケメンだべ) (さわやかなイケメンですわ) (ラーメンつけ麺、彼イケメン) 周囲の人々は真空を含め、彼は絵に描いたような「さわやかなイケメン」だなあと漠然と思った。 そして、楽たちが交番に着くと―― 「「「真空!」」」 「あ、やっほー」 真空は先程の「さわやかなイケメン」こと中島巡査に保護されていた。 「心配してたんだぞ〜、無事でよかグハァッ!!」 「このアホ猿ー!!」 真空に駆け寄ろうとした楽を蹴散らし、燐は真空を思い切り抱きしめた。 「ちょっ…燐ちゃん激し」 「許可なくアタシの前から消えるな!」 「胸が…息…でき…な…」 「お、おい真空?」 「ゲホゲホ…燐ちゃん、ハグはもっとソフトにしてよ〜」 真空は燐の胸に鼻と口を塞がれ、酸欠で気を失いかけた。 「さ、三途の川が……」 「大丈夫ですか?」 蹴散らされた楽も死にかけている。 「ごきげんよう、真空」 「はーい、ごきげんうるわしゅ〜。やっぱ波稲は気にしてなかったかあ」 「ええ。どちらかというと今宵の宿が取れるかどうかの方が心配ですわね」 「だよね。波稲ってそういうオンナだもんね」 波稲と真空のショートコントに、沙悟はまた溜息が出た。 「もう…お願いだから、急にいなくならないで…」 「ごめん、さとちゃん。大変だったでしょ? 主に燐ちゃんが」 「ええ……」 沙悟は周囲のテンションについていけず、もうへとへとだ。 「成る程…さっきはキレたりしてすいません。燐さんは、ただ真空のことが大好きなだけなんですよね!」 「はああああっ!? 何訳わかんねーこと言ってんだこの笛吹き野郎! てか、さり気なく会話に混ざってるけどいつの間に復活しちゃってんだよ!」 楽の(燐にとっては)爆弾発言に、狭い交番内を燐の叫びが占拠する。 「君たち、もう少し静かに……」 大騒ぎする一行を、中島が宥めようとするのだが。 「燐さんって、結構可愛いところあるんですね」 「そんなところはない!!」 「いいから静かにしてくれ!!」 中島が本音をぶっちゃけるまで、騒ぎは収まらなかった。 そして、数時間後。 一行は中島から得た「得体の知れない怪物」の情報をもとにとある旅館へやってきた。「怪物」が目撃された場所に近いここに、今夜は泊まることにしたのだ。 「えっと…どなたでしょうか」 部屋に通されてすぐ、波稲は玉龍を呼んだ。波稲の持つ水晶玉の中にいた玉龍が、今度は瞑目している女性の姿で現れたので、楽はとっさにそんなことを聞いていた。 「いつもこうやって、身の回りの世話をお願いしていますの」 「へえ、そうなんだ」 玉龍は無言のまま頷いた。喋ることはできないのだろう。 「全く、乗り物使いの荒い連中だ」 「うわっ!」 「琴斗!」 なんの前触れもなくキン斗雲に宿る精霊・琴斗が現れた。 「龍どのはもっと待遇の改善を訴えるべきだ」 玉龍はそんな恐れ多い、とおろおろ首を横に振る。呼び方からして、二人(?)の間には乗り物どうしの友情が芽生えていたりするのだろうか。 「おい、真空」 琴斗が真空を見上げる。 「皆とはぐれたとき、なぜ私を呼ばなかった」 「あ」 「はあ…そういうときのためにも、私は空気に混じることで広範囲を偵察できるのではないか」 琴斗は眉間に指先を当てて溜息をついた後、真空にくどくど説教を始めた。楽はなんとなく、真空が「精霊の寿命はとても長く、琴斗も百歳はとうに越している」と言っていたことを思い出した。それでもまだ精霊の感覚では子供らしいが。 「みなさん、そろそろお風呂に入りませんこと?」 波稲が時計を見ながら言う。それぞれくつろいでいた一行は風呂の支度を始めたが 「あ、そうだ。経典、私も護衛としてお前と入るぞ」 と琴斗に言われてしまった楽は、せっかくのリラックスタイムが奪われたことに内心腹を立てた。 「ああ、壁の向こうでは真空たちが…」 「くたばれ枯れろド変質者。真空のいる世界に存在するな」 「わかってねぇな。こういうときは何も考えない方が逆に失礼なんだぞ?」 楽の顔面に桶が炸裂した。 そうして一行が風呂から上がると。 「お母さんのうそつき!」 小学生くらいの少年が、この旅館の従業員と思われる女性と揉めていた。 「仕方ないじゃないの、急にシフトが変わって…」 「今度の日曜日はぜったい遊びにいこうって言ってたのに! 約束したのに! お母さんなんかきらい!!」 少年はそのまま一行の横を走り去っていく。 次の瞬間 ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオン!! 「何だ!?」 「くそ、やられた!」 燐が叫ぶ。旅館の一部が破壊され、そこに巨大な泥の固まりが現れた。意味不明の言葉を呟きながら、無数の触手で人々を捕らえようとしている。旅館の客たちは混乱の中逃げ惑うしかなかった。 「経典、龍笛は持っているか!」 「ああ、肌身離さず持ってる!」 「楽くん、待ってて! ひとまず怨魔を止めてくる!!」 そういうと真空たちはたちまち鎧を纏った姿となった。琴斗は雲になって真空を掬い上げる。 空高く飛び上がり、それぞれの技が炸裂する! 客たちがいる方から怨魔の気を逸らすことはできたが倒すには至らず、彼女たちは一旦破壊された屋根の上に着地する。 「効いたか?」 「いえ、だめですね…悟空の風、八戒の炎、お師匠さまの雷、どれも、あの泥のような体液に阻まれてしまったようです。攻撃の当たったところに体液を集中させてクッションにし、衝撃を和らげているようです」 「でも、悟浄の水が一瞬洗い流してた。そのときに何か見えたんだけど」 「わかりましたわ。私が視てみます」 三蔵は呪文を唱え、怨魔の体内を透視する。どうやら内部に本体である核が存在するらしい。 「本体が中にあります。あれを直接叩くしかありませんわね」 「よし、ならば…」 悟浄は思いついた作戦を全員に伝えた。 「行くぞ! 焔塊!」 まずは八戒が釘破を大きく振り、大きな火の玉を怨魔に叩きつける。するとその部分に体液が集中し、反対側が手薄になる。悟空と悟浄がそちら側に回り込み、八戒は触手の襲撃を受ける。 「雷包!」 そのとき、八戒の体を三蔵の結界が包む。外側の表面には電流が迸っているため、触手が焼け焦げていく。 「悟空! あとは任せましたよ、泡丸!」 怨魔がそちらに気を取られている隙に、両手にそれぞれ一本ずつ手にした降妖宝杖の間に大きな水の球が発達し、怨魔に向かって放たれた。清らかな水が不浄な泥を洗い流し、怨魔の本体であるコアが一部露出する。 「任せといて! いっけぇ、風乱槍ー!!」 悟空が如意棒を槍のように突き出すと、発生した一陣の風の塊がコアに突き刺さる! 三蔵は即座に楽を結界でくるんでコアの前に運んだ。楽は役割を察し、龍笛を奏で始める。 ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ … コアにできた傷から白い光が入り込み、怨魔は音を立てて崩れていった……。 「あーあ、やられちゃったかあ」 「やっぱ即席はだめねぇ」 「!」 子猫のような笑い声に驚いて楽が振り向くと、そこにはお互いにそっくりな二人組がいた。一人は大きな金棒を背負った少年で、もう一人は同じく大きな瓢箪を担いだ少女だ。二人とも長い髪とギラギラ輝く猫目を持っている。 「危ない!」 その二人組の姿を見た途端、悟浄が血相を変えて飛んでくる。 「悟浄が怒ってるよ」 「悟浄が怒ってるわ」 嬉しそうに笑う二人組に、悟浄は鋭い視線を向ける。 「貴方たちの仕業だったのね、金角! 銀角!」 悟浄が珍しく丁寧語を使っていない。 「上様に見てこいって言われたんだ」 「そこにいる」 「「大乗経典!!」」 金角・銀角の狂気めいた瞳に射抜かれ、楽は背中にゾクッと悪寒が走るのを感じた。 「失敗だけど」 「経典の力は見れたし」 「今日は多分お仕置きはなし!」 「やったね金角!」 二人は手を取り合って喜んでいる。 「喜ぶのはまだ早いわ! 牛魔王の手下をただで返すわけにはいかない!」 「ごめんね悟浄」 「今日は遊べないわ」 「さっさと帰んないとお仕置きかもだし〜」 「また遊びに来るね〜」 次の瞬間、銀角の瓢箪からボンと音を立てて、大量の煙が出てきた。 「く…っ、待ちなさい!」 「今度会うときはちゃんと殺してあげるね?」 「勝手に金角以外の奴に殺されちゃだめだよ?」 あははははは…と残忍な笑い声だけを残して、二人は去っていった。 夜空の下で、優しい旋律が風に運ばれていく。 「楽くん?」 「真空…」 「どうしてこんなところで演奏してるの?」 「ああ、旅館だと他のお客さんの迷惑になるからな」 楽は今自分がいる、旅館から少し離れた森の中を見渡した。ここはまるで広場のように周りを木が覆っている状態なので、星がよく見える。楽はその場所の中央あたりに位置する大きな切り株の上で気ままに笛を吹いていた。 「聞いててもいいかな。あたし、楽くんの笛の音色、凄く好きなの」 そう言って真空も切り株に腰を下ろす。今は夕焼けの色を映した髪を下ろしているので、いつもより大人っぽい。そんな真空にしばし見とれていると、こちらを振り向いた真空と目があった。微笑まれて、楽もつられて笑う。 「いいよ。…ありがとう、笛のこと褒められたのって、よく考えたら初めてかも。人前で滅多に吹かないし」 「そうなの? こんなに上手いのに?」 「あんまりおだてるなよ。照れるだろ」 「おだてじゃないって! それより、さっきの続き、聞きたいな」 「おう」 楽は答えて、再び笛を奏で始める。 「あのね、楽くん。演奏しながら聞いててほしいんだけど…」 「?」 「今日助けたあの子見てて、思い出したんだけど」 あの子、とは怨魔にされた少年のことだ。因みに彼は、あの後無事に母親の元に帰り、約束も守ってもらえることになったようだ。また怨魔が浄化されると怨魔が存在したという事実そのものがなかったことになるらしく、壊れた旅館は元通りになっており、人々は少年自身も含めて怨魔のことを忘れていた。 「…あたしの両親ね、亡くなってるんだ」 「!!」 「だから、楽くんをご両親から引き離すの、とっても心苦しかったんだ…」 「(真空……)」 「ごめんね」 「…謝ったり、すんなっ!」 「!」 楽は演奏を止め、真空を抱きしめていた。 「真空の方が…俺なんかよりずっと寂しい思いや辛い思い、たくさんしてきたのに…そんなこと、言うな」 「楽くん…」 真空は楽の腕の中で、微笑んだ。そして、楽の首に手を回し、ぎゅっと抱きつく。 「あたし、いつか必ず楽くんを家族の元へ返すよ…全てが、終わったら」 そして楽から離れると、切り株から降り、楽に向き直る。 「やっぱり、楽くんの創り出す音楽は凄いな。あたしの心の扉を、こんなにも短い間に開いてしまうんだから」 真空は、ちょっと悪戯っぽく笑って言う。 「このことは、絶対に、二人だけの秘密ね」 JACKPOT60号掲載 素材:Studio Blue Moon様 |