めかにかるぺんしる
 
千里たつき

「ゲームをしようよ」
 腰まで届くほど長い、桃色のツインテールを揺らしながら少女が言った。ソプラノリコーダーの音色のように、明瞭に澄んだ心地よい声で。
 それが、このゲームの始まりだった。



 夏休み最初の日の、明るすぎる日差しがさんさんと降りそそぐ午後、ひとり溜め息をついた少年がいた。
 彼、芦野(あしの)和哉(かずや)は、どこにでもある普通の県立高校に通う、どこにでもいる普通の高一生だ・・・などという設定自体ありふれているので、唯一の特徴としてクラスの副委員長をしている点を挙げておこう。
 しかしそれ以外では、勉強も運動も並、どっぷり嵌った趣味も無ければ専門的な知識も皆無、ましてやオタクかと疑われたことなどあるはずも無い、普通の男子高生なのだ。
 そう、たとえ今彼がいかにもそっち系の・・・いわゆる美少女系イラスト入りの怪しい箱を、手に抱いているとしても。
「どーすっかな、コレ・・・・・・」
 和哉がそれ―――長く艶やかな桃色の髪の美少女が描かれ、見た目の割に重量感がある―――を手に入れたのは、昨日、つまり終業式の日、一学期最後の会議の事でクラス委員長と喧嘩した直後だった。
 一緒に仕事をこなすうちとても仲が良くなった委員長と、うっかり喧嘩したまま夏休みを迎えるのだと分かると、彼はオープンに凹んでいた。それを見かねたクラスメイトの、自身の座高ほどある大きなリュックサックを背負った眼鏡の男子が、気晴らしにと貸してくれたのがこの箱・・・ゲームソフトだった。何故ああもあっさり受け取ってしまったのかと、和哉は今頃になって後悔している。半ば放心状態だったのだろう。
 内容はよくある男性向け恋愛シミュレーションのようだが、そのクラスメイトは言っていた。
「父親の会社による、発売前の最新作」だと。
 どんな会社だよ。

(このままじゃ鞄に入んねーしな・・・とりあえず開けとくか)
 中身はもう少しマトモだろうし、箱さえ折りたたんでしまえば持ち歩くのも帰宅後母親に会うのも問題ないはずだ。
 と、ごく普通に考えて、和哉は箱を開けてしまった。
 TVゲームなのかポータブルなのかはたまたPC用なのか、よく分からないそのゲームの箱を。



 真っ白い花畑の中に、少女がいた。
 十代前半くらいだろうか。腰まで届く長い髪を、高い位置で二つに結っている。桃色の髪の少女はこちらに背を向けて立っており、その足元の一輪だけ、白い花が主張の強いピンクに染まっていた。
「・・・綺麗だな」
 何だここは、と思った次に出た呟きだった。
 と、少女が白く華奢な手足を動かし、白いワンピースを揺らして振り返った。微笑んだその顔を見、和哉は初めて少女がゲームのパッケージに描かれていた美少女なのだと悟る。
「はじめまして」
 少女が初めて口を開いた。耳に慣れた心地よい声色・・・ソプラノリコーダーの音に似ていると、和哉は思う。
「えーと・・・君は、誰?」
 気になったのでそう訊ねてみると、少女は苦笑してこちらに近づいてきた。少女が裸足で触れた花が白から濃いピンクに染められ、離れた途端にまた次々と真っ白へ戻ってゆく。
「私は私。名前はまだないの」
 あり得ない色と長さの髪を揺らしながら、和哉より三歩だけ離れた位置で立ち止まった少女はそう答えた。
「まだない? 名前が? ・・・これから付けられるの?」
 我ながら察しは良かった。が、それがこの場に適切な発言だったかといえば、そんなことはなく。
 くすくすくす、と少女にかなり笑われてしまった。
「・・・あ、ごめんなさい。でもちゃんと説明書読んだ?」
 少女はひとしきり笑ってから、ふいに和哉と目を合わせた。
「私の名前はあなたが付けるのよ。芦野和哉くん」
「え、俺が?」
 和哉は自分を指差してきょとんとし、少女の言った『説明書』という言葉から今日借りたゲームのことを思い出していた。そういえばあれにも説明書あったな、と。
「そう、あなたが」
「けど俺、ネーミングセンスとか無いに等しいし君のこと何も知らないし」
「知ってるじゃない、こうやって会って話してるんだもの。でもそうよね、いきなり名前を付けろなんて言われても難しいわね」
 名の無い少女はまるで和哉が断ると分かっていたように言い、和哉の意見を確認するように首をかしげた。彼がそれに頷くと、
「じゃあ、あなたの知ってる女の子の名前からもらってもいいわ。あなたにとって一番身近で、可愛い子の名前」
 それでいい?とまた首を傾げられるのに頷き、和哉は思考を開始した。クラスの女子の名を全部挙げていこうかと一瞬思ったが、そんな面倒で不可能に近いことをするよりずっと早く、頭にぱっと浮かんだ名前があった。
「じゃあ沙織。西口沙織で」
 気が付いたらきっぱりそう言っていた。何故この期に及んで彼女の名が出てきたのかは、彼自身よく分からない。
「沙織・・・うん、すごくいい名前ね。ありがと、和哉」
 そう言って微笑んだ少女―――沙織の顔は、何故か本物の西口沙織と瓜二つだった。
「じゃあ、そろそろ―――ゲームをしようよ」
 脳に直接響く明瞭な声を聞きながら、和哉は花の中へと倒れてゆく。



 気が付いたら朝だった。いつ帰宅し眠りに就いたかは覚えていないが、どうやら夢を見ていたようだ。真っ白い花畑と長いツインテールの少女の夢を。
(俺にしては珍しく綺麗すぎる感じだったけど)
 夢の余韻に浸り、心地よい気分のまま身支度を済ませる。柄にもなく鼻歌まで歌っていた和哉だったが、ふとカレンダーを見た時気が付いた。
「・・・今日から夏休みじゃん」
 制服まで着込んでおいて、と溜め息をついたが、他にやるべきことがあるようにも感じた。
「そうだ・・・謝らないと」
 昨日誰かと喧嘩した気がする。誰だったか、その時はまだ名前がなかった―――そうだ沙織、委員長の西口沙織と喧嘩したきり夏休みに入ってしまったのだ、と和哉は思い至った。
 壁にかけられた時計は八時半を示している。彼女は几帳面だし朝に強いから、とっくに目が覚めているだろう。家も近いし、今から行っても大丈夫そうだ。
 ちなみに昨日の喧嘩は主に和哉のサボリが原因であるという事を、彼自身よく理解している。

 しかし、何故か彼は本当に喧嘩した相手を忘れていた。そればかりでなく彼女の位置は、夢の中で出会ったはずの、ツインテールの美少女とすっかりすり替わっていたのだ。

 昨日凹んでいた時の暗鬱とした気持ちが俄かに蘇り、自然と重くなる足取りで沙織の家に向かった。学校へ行くわけではないので、もちろん私服に着替えてある。
(委員長ん家に来んの、久しぶりだなぁ)
 五月に遠足の相談をしに行ったきりだったか、と思いながら『西口』と書かれた表札の前で立ち止まった和哉は、自分ではそのインターホンを押したことがないのだと気付いた。沙織以外が出る可能性を考え、少し緊張しながら思い切って押す。
「はい。どちら様ですか?」
 見事に沙織の声が返ってきた。夢で出会った少女に似てはいるが、やはり違うなと改めて思う。
「あ、委員長?」
「え、・・・うん。突然何なの、副委員長さん」
 彼女にも和哉の声が分かったようで、明らかに不機嫌な声と皮肉じみた呼びかけが返ってきたが、ここで退くと却って情けないことになるので彼は押した。せっかくここまで謝りに来たのだ、会って話をしなければ。
「ちょっと、すぐ出て来てくれるか」
 ―――この言い方がまずかったようだ。
「はぁ!? ちょっと何なのよアンタ、その言い方は! 昨日の今日でそれはないでしょ、全面的に仕事サボったアンタが悪いんだからねッ! 分かってる!?」
 突然声を荒げた沙織はインターホン越しに質問を投げかけておいて、さっさと切ってしまったらしい。ブチッ、という哀しい音が沙織がキレた音に聞こえてならなかった。これでは文字通り門前払いだ。
 駄目だ、ここから軌道修正し仲直りまで持っていくのは難がありすぎる。
 やり直したくて仕方なかった。



「もう、まだ説明書読んでないのね」
 少女の―――和哉が沙織と名づけた、長い金髪の少女の声がした。
(また説明書? ・・・・・・何のことだ?)
 ぼんやりとした真っ白な頭の中で、彼はゆっくりと思考していた。
「説明書よ、このゲームの。机の上に置いてあったでしょ?」
(そういえば机の上、今朝は全然見なかったなぁ)
「仕方ないからあれに書いてあること、私が少し教えてあげるわ。よく聞いてね」
(うんそうしてくれ、文章を見る必要が無くなるんならありがたいよ)
「『まず、これは新感覚、世界初の三次元型(バーチャル)ゲーム【めかにかる☆ぺんしる】(仮)です。未だ試作品の段階ですが、あなたや他のモニターの意見を取り入れて改良し次第発売されます』」
(・・・ゲーム!?)
 白い花畑と少女は夢で、先ほどまで自分のいた世界が現実だとばかり思っていた和哉はただ驚愕した。あの時箱を開けた瞬間から、このゲームに巻き込まれていたのだと同時に悟る。
「『これは恋愛シュミレーションゲームですが、ヒロインはあなたの理想の人か、今好きな人そっくりに作られます。方法は簡単です、オープニングで現れるナビゲーターの少女に、理想の人か好きな人の姿を思い浮かべながら、その名前を付けてください。理想の人なら自分の好きな名前を、好きな人ならその人の名前を』」
(つ、つまり俺は沙織が好きなことになってんのか)
「あれ、そうじゃないの?」
(好きっつーか・・・どーだろ)
「自覚してないのね・・・。ここからは全部読むと長くなるから、今のあなたに必要な項目だけを読むわね」
(俺に必要な項目?)
「『項目其の参◇セーブ機能について
このゲームにはセーブ機能があり、毎晩睡眠時にその日の行動が記録されます。あなたが気に入らない展開に陥った時は、付属のシャープペンシルを使って紙に“やり直したい”と書いてください。するとその日の朝目覚めるところから記録を読み込み、一日をやり直すことが出来ます』だって。分かった?」
(あ、あぁ。なんか長かったけど、要するに普通のゲームみたいに電源切ったらやり直せるってことだろ)
「まぁ、似たようなものね。このゲーム付属のシャーペンも机の上に置いてあるから、いつも持っておいたほうがいいわよ」
(そうか・・・うん、そうする。あ、そうだ、あと二つ訊いていいか?)
「なに?」
(・・・このゲームって、いつ終わるんだ?)
「これはね、普通とは少し違う終わり方をするの。何度も言うけど試作品で話自体さほど長くないけど、あなたが終わらせ方にすぐ気が付けば、それだけ早くなるわ」
(ふーん・・・難しいな。じゃ、俺は今何をしたらいいんだ?)
「それはあなた自身もよく分かってるはず。あなたがやらなきゃいけないと思うことを、今はとにかくやってみたらどう? それがきっと手がかりになるわ」
(・・・なるほどな・・・・・・)



 それから彼は、何度もこの一日を繰り返したが、沙織とは結局一度も仲直りできなかった。
 沙織と話すとき、もっとよく考えてから喋ればいいものを、どうせやり直せるんだからと思いついた良さげな科白をただ喋ることしかしなかったのも、大きな理由の一つになる。
 ともかく彼は、このやり直しの効く世界が自分には合っていないと自覚し始めた。それもかなり早い段階で。
「もうやり直したいとも思わねーよ・・・」
 九度目の一日を失敗に過ごした後、和哉は力なくそう呟いた。
 そこでふと気が付いたのだ。
 やり直したいと思った時は、与えられたシャーペンで『やり直したい』と書けば叶った。ならば逆に、『やり直したくない』とか『ゲームをやめたい』と書いてやれば、その通りになるのではないだろうか、と。
(やり直し以外『〜したい』系のこと書いた事なかったしな)
 試してみる価値はある。
 そう思った和哉は机に座り、その特殊なシャーペンを握った。
 視界にピンクの花畑が広がってゆく。


「お疲れさま」
 明瞭に澄んだ、心地よい声が彼を労ってくれた。


ピンポーン・・・
「へーい」
 夏休み初日の昼前、すっかりだらけた和哉の家のインターホンが鳴らされた。一人っ子の和哉の家には今共働きの両親もいないので、渋々自分の部屋の窓から来訪者の姿を見下ろした。
 玄関前に立っていたのは、昨日喧嘩したばかりの委員長だった。
「あ、芦野くん? 私」
 ほっとしたように和哉の顔がほころぶ。委員長まで嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「あぁ、沙織か。えーと、ごめんちょっと待ってくれ」
 和哉はそう言うが早いか自室を飛び出し、階段を駆け下りて玄関扉を押し開けた。沙織が待ち構えたように口を開いた。
「ちょっと、急に呼び捨てしないでよ気持ち悪い」
「悪かったよ、いいんちょさん。・・・あと、昨日のことさ―――」


 ここからが彼の、本当の恋の始まりになる。



文化祭特別号『JACKMAN』掲載
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