千里たつき

 一生忘れることが出来ないような、最も毛嫌いしている光景を目の当たりにしてしまった。
 小学校の運動会でやった組み立て体操の「波」のように、次々と跪き、(こうべ)を垂れてゆく数千の人々。それも自分に向かって。
「・・・なんで、こんなの」
 細工の細かい木製の椅子の、お尻が沈み込むほど柔らかいクッションに腰かけた阿隅(あすみ)唯加は、思わず目を片手で覆った。
「お嬢様?」
すぐ上から聞こえる声は、気を失う前いきなり彼女を抱きかかえた張本人、ティグリスのものだ。
 唯加の左脇に立った彼はその眉間に寄せられた皺や未だに眩暈が治まらない様子を見かねたのか、叩頭した群衆に何か言う。すると彼らはまた一斉に顔を上げ、肯定の意思表示をした。そうかと思えばすぐにその場―――幾筋もの大通りが集まる広場のようだ―――から散っていく。
 本当に組み立て体操のようだ、と唯加は思った。でなければ某民主主義人民共和国の兵隊か。動きの揃いっぷりが合図や指示に合わせて一斉に奔り、動く者達に酷く似ている。
「―――申し訳ありません、お嬢様。お立ちになれますか?」
 頭が重たいこともあってぼんやりとしていた唯加の視界に、ティグリスの長い髪が影のように映る。
「いえ、・・・平気です」
 差し出された手を敢えて無視し、椅子の肘掛に自分の両手をついて立ち上がった。
「今度のお嬢はあれくらいの移動に影響されんのか?」
 彼とは反対側から、笑うような鼻息と共に声が聞こえた。ラーディンだ。
「・・・・・・うるさいわね」
 自分でも情けないことに、睨み返す気力さえない。



 唯加が座っていたあの豪勢な椅子があったのは、広めのバルコニーだった。あれだけの人数が余裕で収容できる、甲子園並みに大きな石畳の広場を見下ろせるようになっている。
 絹製の紅いカーテンの掛かった出入り口が椅子の数メートル後ろにあり、その向こうは建物の中だった。入ったそこはホールのように広い部屋で、“謁見室”と呼ばれていた。部屋の真ん中には、白いテーブルクロスに覆われた大きなテーブルがあった。ぼうっとする頭を抱えた唯加は、その謁見室の隣にある、誰かの寝室に連れられた。
 嫌味を言うラーディンを諌めたティグリスが気を利かせてくれ、唯加は寝室に置かれたフカフカのベッドで休めることとなった。
 あの椅子より更に心地よいベッドの中から部屋をぐるりと見回して気になることがあった。
(ここ・・・一人部屋にしては広すぎよね)
 その上、部屋に置かれたあらゆる家具類が装飾過多というか、“いかにも高そう”な気配を放っているのも気に掛かる。
 そのとき、コンコン、と控えめに扉を叩く音が聞こえたので、唯加は反射的に半身を起こし眩暈が治まっていることを確かめてから、「どうぞ」と答えた。ここでようやく気付いたのだが、いつの間に着替えたのか、彼女は学校の制服とは違う服を着ていた。
「そうだ、学校・・・・・・!!」
「失礼致します、お嬢様」
 二十歳(はたち)くらいの若い女性が入ってきた。美しく整った顔立ちで、腰まで届くほど長いすみれ色の髪を一つに束ねている。
「ようこそお戻りくださいました。私はお嬢様の身の回りのお世話をさせて頂く者たちの代表で、シルヴィアと申します。何かあれば―――」
「あのすみません、今何時ですか!?」
「・・・え?」
 シルヴィアと名乗った女性が首を傾げたが、唯加は返事を待たずに続ける。
「私さっきまで学校にいたんですが、急に早退したら友達も先生も心配するでしょうし、早く戻りたいんです」
 シルヴィアはテーブルにティーセットとお茶菓子を並べる手を止め、
「あら、・・・」
きょとんとした表情で、何事か独りごちた。
 唯加の方は脳に掛かった靄もすっかり取れ、次々と思いつく疑問をすっかり訊いてしまうつもりでいる。
「もしかしてすぐに戻ることはできませんか? ・・・そもそもどうして私、こんなところに連れてこられたんですか。まさか誘拐とか・・・」
 そこまで言った時、再び扉が叩かれる音が聞こえた。それを聞くとシルヴィアは、
「お嬢様、貴女の疑問ももっともですわ。きちんとご説明して差し上げなかった彼らの責任です。ですから」
 扉が再度叩かれた。
「彼ら・・・ティグリスとラーディンに説明させましょう。部屋に入れてもよろしいでしょうか?」
「は、はい・・・」



 ティグリスとラーディン。扉の外にいたのは彼らだった。
 唯加は何の説明もなしにここへ連れてきたことを詫びられ―――ラーディンの方はいかにも不服そうだったが―――、四人で寝室にある丸テーブルを囲み、ティグリスには疑問に答えてもらった。

 彼らの説明によると、ここは『パニティア』という国のアストラル自治区という土地らしい。
唯加たちのいる建物は、この土地を治める領主であるアスポロナ家当主の居城で、地方の政治はここを中心に行われているそうだ。
「ちなみにここへは私の術で移動致しました。申し訳ありませんが、すぐにもとの場所へお送りすることはできかねます」
 最後にそう付け加えられ、唯加は思わず身を乗り出した。
「え、ちょっと、それってどういうことですか!? あなたの術って・・・飛行機とかの移動手段はないんですか、って・・・聞いたことない名前の国だからもしかしてすっごく遠いとか?」
 すぐに帰れない、それは困る。ただその考えが彼女の戸惑いを導いた。
 ティグリスが険しい顔になって、
「飛行機というものは存じ上げませんが、お嬢様、ここから貴女のいらっしゃった国へ行く手段は術しかございません」
「その、術っていうのは?」
 すかさず訊き返す。半ば諦めて、落胆した調子になった。
 今度はシルヴィアが答える。
「貴女の世界で言う、魔法のようなものですわ」
「魔法ぉ!? ていうか・・・ここは私がいたあの世界じゃないんですか!?」
 あり得ない、あり得ないと心の中で繰り返す唯加は、すっかりいつもの落ち着きを失っていた。もっとも詮無いことだが。
「貴女が仰ったとおりです、お嬢様。ここは貴女の世界、地球とは異なった、もう一つの世界なのです」
 ティグリスが、少し嬉しそうに言った。ラーディンは先ほどから黙ったままで、全く口を利こうとしない。
「え、うそ」
 突拍子のない話に、理解に苦しむ頭はまた重たくなってきたように感じる。文字通り頭を抱え、唯加は思った。
(これが現実なら・・・あれも、現実ってことに・・・・・・)
 あれ―――この“もう一つの世界”とやらに来てすぐ目にした衝撃的な光景、あれも含めて、全て現実だというのか。
 重たいため息を吐いて、唯加は混乱した頭を落ち着かせるため見たこと、聞いたことを否定する。
「夢、でしょう、そんな・・・小説みたいなこと」
「お嬢様・・・そう思ってくださっても構いませんわ」
 シルヴィアが、何故か微かに微笑んだ。唯加はその微笑に、少しだけ安心する。
「受け入れることが苦しいのなら、これは嘘だと、夢だとお思いになって構いません」
「シルヴィアさん・・・」
「私たちも、願いさえ聞き入れていただければ構いませんから」
 願い、という言葉を聞いて思い出した。そう言えばこんなところに拉致られたのも、元はと言えば無理にお願いを聞いたから枝理紗と離れてしまったせいだ。こんなことなら頼まれたからって無理して引き受けなければ良かった、今度からは絶対自分の状況も考えてから引き受けようと、気を失う前後に唯加は思っていた。非常に後悔したのだ。
 それなのに、
「願い・・・ですか?」
気付いたらまた食いついていた。・・・聞かなかったふりをすれば良かったのに。
「はい! お聞きいただけますか?」
(ほらなんか目の色変わってるしー!)
 すぐに反応したシルヴィアだけでなく、その隣で微笑むティグリスの目も輝いていた。明らかに期待されている。
「あ、いえ・・・と、とりあえずどんなことか聞かせてください」
 唯加はそう言ってため息をついた。
(はぁ・・・学習能力無いなぁ)
 自分の性格を再確認した気持ちだ。頼まれたら嫌とは言えない、このお人好しな性格を。
「畏まりました、お嬢様。ではまず、我々アスポロナ家に関することからご説明いたします」
 ティグリスが安心したような微笑を浮かべて言った。その後ろからラーディンの舌打ちが聞こえた気もするが、唯加はとりあえず話を聞くことにした。
「アスポロナ家は、この国、パニティアが建国された頃から栄えてきた十二の貴族のうち一つの家系です。パニティアは貴族の家と同じ十二の自治区に分かれており、それぞれの家の当主が領主となって治めています」
「貴族・・・」
 それでこんなに立派な城なんだ、と唯加は思う。
「貴族の家の当主は代々宗家の血を引く女性と決まっています。このアスポロナ家にも女性の当主がおられ、それは立派な方だったのですが・・・・・・実は一ヶ月前、急な病に冒され亡くなってしまわれました。我々臣下の者はすぐに新たな当主様をお迎え申し上げようと考えたのですが、アスポロナ宗家の血筋にはどこを探しても他に女性の方が見当たらなかったのです。
 かといってこのまま政治を滞らせておく訳にもいきません。そこで何とかして当主に相応しい方を探そうと、我々は術を使って異世界にまで捜索の手を延ばし、そこで当主の『証』(プルーフ)を発見することが出来ました。そしてその持ち主が、」
「―――、え?」
 そこで彼は話を区切り、微笑んだ表情のせいで細められた目を唯加の目と合わせた。
「貴女―――アスミ・ユイカ様だったのです」
「ぇえ!? 私ですか!?」
 唯加は仰天して目を見開く。ようやく落ち着いて異国のシステムに感心していたのに、これでは心臓が休まる時がない。
「ええ。貴女は我々の新たな主としてこの城へ迎えられました。ですから広場に集まった群衆は一様に叩頭し、我々は貴女をお嬢様とお呼びしています」
「はぁ・・・な、なるほど」
 唯加が頷くと、ティグリスは急に椅子から立ち上がり、彼女の傍に膝をついた。シルヴィアもそれに続いて跪く。・・・ラーディンは相変わらず黙ってそっぽを向いたままだが。
「え、ちょ、まさかあなたたちまで平伏したりしませんよね!?」
「―――はい?」
 それはもちろん、という顔で見上げられたので、唯加はごくりと唾をのんでから言った。
「私、そういうの苦手なので、できれば立って、もしくは普通に椅子に座っていてもらえると有り難いんですが・・・」
「しかし」
 ティグリスが言おうとするのを、シルヴィアが制した。
「それでは、叩頭せずこのまま申し上げますわ。・・・我々臣下も含め、アスポロナ家の者たちは皆貴女が新たな主に、アスポロナ自治区の領主になってくださることを願っています」
 はぁ、と頷く。
「お嬢様、どうか、我々の願いを聞き入れてくださらないでしょうか」
「あ、う・・・・・・」
 お人好しの性格のせいで、頼みごとをする人の姿から目は背けられない。その上異国でも自分が頼られるなんて、
(普通に嬉しいんですけど・・・これも性格のせい!?)
唯加にとってはただ喜ばしいことだった。
 それでもつい数時間前に決意したことを実行するため、彼女は慎重だった。
「で、でも私は『証』(プルーフ)なんてもの持ってませんし・・・」
「そのペンダント」
「は?」
 跪いた二人のどちらのものでもない声がし、唯加は思わず眉をひそめた。―――あの無愛想なラーディンの声だった。
「ペンダントって・・・これ?」
 服の中に入っていた、宝物のペンダントを出して握る。
「そうだ。それ、ずっと持ってるのか?」
「うん。宝物だし、すごく小さい頃からずっと」
「・・・・・・本物かよ」
 くしゃっ、と綺麗な金髪をかき上げて、彼は吐き捨てるようにそう言った。え、と怪訝な顔をする唯加に、今度はティグリスが言う。
「お嬢様、そのペンダントこそが『証』(プルーフ)です。アスポロナ家の紋章を模した形をしています。私のような術者が見れば、一目で分かります。・・・貴女が、我々の主です」
 これで願いを聞き入れてくださいますか、ともう一度問われた。もう一人はともかく、彼も、その隣にいる女性も真剣な面持ちをしていた。
 けれどまだ引き受けては駄目だと、唯加は自身に言い聞かせた。何しろここは現実ではない、自分の全く知らない場所なのだから。
「・・・少し、考えさせてください」
 逡巡した末、呟くようにそう言った。



 彼らはいくらでも待つと言った。ただ、返事を聞くまでは元の世界へ送ることは出来かねるとも。
 ティグリスとラーディンは、すぐに退室しようとした。その去り際にラーデインが嫌な笑い方で、
「異世界の女には腰が引けるだろうからな。嫌なら別に引き受けなくていいんだぞ!」
と言った。
「こら、ラディ! 申し訳ありま―――、・・・お嬢様?」
 すまなさそうにこちらを見たシルヴィアは、唯加の表情に驚いたようだ。それも構わず唯加は、
「あんな風に言われて・・・黙って引き下がれる訳ないわよねぇ!」
 低い声でそう叫んでいた。




◆あとがき
 何故今回は河童なのかといえば、とりあえずなんだか可愛かったからです。
 あのペンダントがどうして『証』なのか、枝理紗ちゃんは今どうしてるのか、なんでラディことラーディンは唯加ちゃんを拒否ってるのか、その他諸々の事情もちゃんと入れようとしたけど上手く纏められなかった・・・・・・orz
 シルヴィアは火星と木星の間の小惑星帯にある大型の小惑星で、ロムルスとレムスという二つの衛星を従えています。ティグリスとラーディンを従えてる感じなので命名(笑)。
 それでは今日はこのへんで!


JACKPOT57号掲載
題字フォント:S2G海フォント(STUDIO twoG
背景画像:ひまわりの小部屋

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