一緒に帰ろう
 
千里たつき

 あたしはクシャクシャに丸められた、ティッシュの一歩手前みたいな紙製の花を手にとってぼやいた。
「なかなか終わんないなー」
 床には箱から溢れた道具が散乱している。クラス模擬店の立て看板係が、こんなに面倒で時間のかかる仕事だとは。
 ふと顔を上げると、教室の窓からもうかなり沈みかけた夕日が見えた。濃いオレンジ色に染められているのはその光源の周りだけで、空はほとんど真っ暗だ。
 しかも立ち上がって見下ろす地面は、夕日の光さえ届いていない。校門の前でちょっとずつだけどいい感じに散り始めた茶色い葉っぱも、闇のカーテンに覆われるように見えなくなっていた。
 今は九月の末、つまり秋のはじめ頃で日が短くなったとはいえ、この暗さは酷い。
 どうやら文化祭の準備で、すっかり(おそ)くなったようだ。
「―――暗い」
 看板を飾りつけている(アキラ)を振り返って、あたしはもう一度言ってやる。
「暗くなってるよ。どっぷり」
 明が怪訝そうに顔を上げた。
「だからどうしたんだよ。お前、別に暗いとことか苦手じゃないだろ」
 あぁ、もう。
「苦手だよ。そうだ明、道ならギリギリまで一緒なんだしさ、送ってって!」
 よく忍術学園の学園長がやる、いわゆる突然の思い付きだ。でもコイツは、
「はぁ?」
と語尾を上げ、嫌味な感じに首をかしげてきた。
「ぜってー嘘だ。佐紀は肝試しも平気だっただろ」
「そんなの昔の話でしょ」
 間髪入れずに言い返した。
「中学ん時なんスけど・・・」
「今はダメなの。ね、帰ろ」
 明のツッコミなんか聞く気はない。
 とりあえずしゃがんで、作業を続けようとする明の袖を引いて妨害してみる。
 一緒に帰ろうって、あたしは言ってる。この本当の意味は、明には伝わってないだろう。
 あぁ、月まで出てる。本当は暗いのなんて怖くもないから、弱った街灯が今にも消えそうにチカチカ点滅してたって何とも思わない。
 そんな風に窓の外へ目を向けていると、道具を片付ける音が聞こえた。明だ。
(何よ・・・一人で帰る気?)
 無視されたことより置いて帰られることの方が嫌だから、あたしは慌てて手作りの赤い花を片付け始めた。自分では見えないけど、多分しかめっ面をして。
 二人とも、無言だ。
 秋のはじめの強い風の音、カチカチと規則正しく鳴る時計の音と、カチャカチャという道具を箱に戻す音だけが、二人きりの寂しい教室にひどく響いた。

 と、沈黙を破ったのは明の方だった。
「っしゃ、帰るか」
 そう言いながら立ち上がって、机の上に置いていた自分のエナメルバッグを担いだ。床に散乱していた道具たちは、すっかり片付けられている。
 ―――コイツ、もう帰る気だな。
 そう悟ったあたしは慌てて紙製の花を入れた箱のフタを閉め立ち上がった。
「ちょっと明! 一人で帰る気!?」
 焦るあまり強い口調で言い、革のバッグの持ち手を握る。
「・・・・・・本当に怖いのかよ?」
 眉をひそめてそう言われた。
(やっぱり、嘘だってばれてる・・・)
 それも多分、いや絶対最初からだ。何しろあたしと明は、幼なじみの腐れ縁なんだから。
 あたしには分かった。こうなったらもう、嘘をつき通す方がかえってバカだって。
「・・・・・・怖いわけないでしょ」
 という訳で、開き直ってしまった。
「だから・・・そうじゃなくて、あたしは・・・っ」
 あたしが伝えたいのは、ただ明と一緒に帰りたいってことだけだ。でも、そんな単純なことがなかなか言えない。ただ家が近いってだけの、腐れ縁程度の関係なんだから・・・なんて考えて。
 言葉に詰まっていると、明がため息をついたのが聞こえた。
「分かったよ・・・ホラ佐紀、帰るぞ」
 そんなことを言いながら、呆れたように苦笑している。なんか・・・ムカつく。
「まーた自分だけ大人みたいに言って―――・・・、へ?」
 帰るぞ、って言った?
(あ、やっぱ一人で帰るんだ)
 何を間違えたかそう思ってしまったあたしは一気に脱力し、危うくバッグを落としかけてしまった。
「何やってんだよ。ぼさっと突っ立ってると放ってくぞ」
 いつの間にかドアを出た所に明が立っていた。その苦笑いをあたしは数秒間ぼーっと見詰めた。
 よく分からないけど、それは一緒に帰ってもいいってこと?
「・・・―――な、」
 あたしはカバンをぎゅっと握り直す。
「何よ、偉そーにっ」
 憎まれ口を叩きつつも、あたしは多分笑っていた。



 学校の玄関を出て少しの所にも、散り始めた落ち葉が所々に積もっていた。
「あ・・・明」
 先に靴を履き替えて待っていた明のほうへ駆け寄った。落ち葉を踏むと、かさかさと擦れる音がする。
 隣に並んだあたしは、何故か汗が一すじ流れ落ちるのを感じつつ、いつの間にか顔一つ分高くなった明の目を見上げた。
(背、こんなに高かったっけ・・・)
 ご近所付き合いから始まったあの頃は、小柄だった明よりあたしの方が高いくらいだった目線。それがいつの間にかこんなに・・・頭一つ分も、差をつけられてしまった。
 身長だけじゃなく、最近のコイツは妙に大人っぽい。事実大人だと思う。少なくともこうしてあたしの思い付き、というか勝手なお願いを聞いてくれるくらい。
 そう思いながらじっと見ていたら、明のもともと大きくはない目が、怪訝そうにきゅっと細められた。
「何だよ」
「あ・・・・・・えーと、明っ」
 ここはあたしも、少しは大人になってやらなきゃ釣り合わないと思う。だからその・・・幼なじみとして。

「・・・・・・ありがと」

 よ、よし言った。言ったはいいけどものすごく恥ずかしいからダッシュで・・・逃げてどうする、あたし。
 そんなわけで、結局数歩駆け出してからつんのめりつつ立ち止まった。それでちゃんと止まれたんならまだ良かったろうけど、薄く積もった落ち葉で危うく転びかけてしまった。
 色んな方面でばつの悪さを感じながら振り返ると、明が声を上げて笑っていた。コイツの笑顔は好きだけど、こういう時に笑うのはデリカシーってものに欠けるんじゃない?
「明くんさぁ、何もそんなに笑わなくてもいーんじゃないの?」
「え・・・あ、ぃや悪ィ! 別に佐紀が可笑しかったとかじゃなくて、いやまぁそれもあるけど、」
 やっぱ可笑しかったんじゃん。
「矛盾してるって気付いてる?」
「んな膨れっ面すんなって」
 そう言って、明はあたしのほうへ歩いてきた。ほんの二、三歩だったけど、わざと勿体つけてるみたいにゆっくりに思えた。

「どういたしまして」

 降って来た言葉と共に、手が置かれていた。あたしの―――頭の上。
 明の笑った顔が、昔よりずっと高い位置に見える。大人っぽいとはいえ歳相応の、少し悪戯っぽい笑顔。
 好きだなぁ、と思った。
「じゃー・・・帰ろっか。一緒に!」
 照れ隠しに笑いながら、とん、と肩を叩いてやった。
 教室の窓からも吹き込んでた、涼しくて何だか清々(すがすが)しい風が吹き抜けてゆく。

 今日は二人で、一緒に帰ろう。



文化祭号『NAMAPOT』掲載
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