千里たつき
彼氏がいるのに他の人に惹かれるなんて、やっぱり、ダメなことですか? クラスに、よく話をする男子がいる。 私は文化祭実行委員なんだけれど、彼がいつも、お疲れ様、と声をかけてくれる。 友達は、彼が私のことを好きなんじゃないかって言っている。でも、多分そんなことはありえないし、そうだとしても困るだけだ。 私には、他に好きな人がいるんだから。 昼休み、部活が同じ友達と一緒に、アイスを買いに食堂へ行った。うちの学校は、食堂の中に購買がある。 中に入ろうとすると、 「織屋、辻田」 私と友達を呼ぶやや低音の声がした。 「・・・あっ、日下先輩! こんにちは」 振り向いた私たちは、すぐにぺこっと会釈。声の主は、私たちの部活の先輩だった。 「アイス買いに来たのか?」 先輩は着崩した制服のズボンに手をかけて首を傾けた。 「はい。秋なのにまだまだ暑いですよね」 「・・・あ! 見て亜未、中沢先輩たちもいる!」 友達が日下先輩の後から歩いてくる数人の先輩方を見つけ、嬉しそうに私に耳打ちした。中沢先輩は、彼女の憧れの人なのだ。 そして今、目の前で笑っている日下先輩は―――私の、好きな人。 それから私たちは、顔が赤いのがバレないかを気にしながら、日下先輩や他の男子の先輩がたとしばらく話した。こんなに長く話したのは初めてで、心の中はちょっと舞い上がってしまった。 途中通りかかった例の男友達がこっちを見て、ちょっと驚いたみたいな顔をしたのが気になるけれど、先輩がたのことは彼には紹介してあるから変な誤解はしないはずだ。 慌しいまま文化祭は終わり、みんなの団結のお陰で私たちのクラス劇は結構好評だった。実行委員を頑張った甲斐がある。 打ち上げの時、友達に押されるようにして彼のところへ話しかけに行った。何でも、あれだけ励まして貰ったんだから少し気を遣え、ってことらしい。 「えーっと、ゆっきぃ」 周りのノリに合わせ、男子たちがいつも彼を呼ぶあだ名で、馴れ馴れしく呼んでみる。 今まさに席を立って動こうとしていた彼が、それなりに驚いたような表情でこっちを向いた。 「お疲れさま」 彼は呼び方の方を気にしてか、苦笑いした。 「ありがとう。・・・織屋までそう呼ぶとは」 「あ、イヤだった?」 嫌ならやめようと思ったけれど、意外にも彼は首を振った。 「いや別に。てかお前こそ大変だったろ、実行委員」 「あは、まぁそれなりにね」 終わってからも気遣うような彼の言葉に、ここ二、三ヶ月間の苦労を思い出して、私までも苦笑い。 「劇が上手くいったのは織屋のお陰だと思うよ、俺は」 「え・・・そうかな」 気のせいか、彼の笑いが照れ笑いに見える。そういう私もきっと、似たような表情をしているんだろうけれど。 私は踵を返した。私のお陰だなんて、あんなこと言うのは彼くらいだったから何だかむず痒かった。 それから二、三ヶ月ほどが経ち、冬が来るころのある日、私は部活の後日下先輩に呼び出された。 緊張のあまり強ばった足取りで先輩の前に立つと、試合の前にいつも励ましてくれるのと同じノリで肩にそっと手を置かれる。 「織屋、明日一緒に昼飯食おう!」 「はいっ」 私はまだ部活モードが抜けきっていなくて、はきはきと即答してしまった。先輩には散々笑われ、私も恥ずかしくてつい笑いながら、先輩の笑顔にちょっと見惚れる。 「たまにおもしれーんだよな織屋は。じゃ明日、昼休み、食堂の前で待ってるから」 無理なら来なくていいぞー、なんて言いながら、同期生のもとに戻っていく先輩から目を逸らす。 心臓がうるさくて、今は何も考えられない。 「で、どうだったの!?」 次の日、結局予鈴がなるまで食堂から戻らなかった私に、事情を知っている友達が詰め寄ってきた。隣の席に、彼はいない。 「んー、ジュース奢ってもらって、新しい髪型褒めてくれた」 「へぇー、切ってよかったね」 先輩が前に髪は肩につかないくらい短めのほうが好みだって言っていたのを思い出した私は、特に意味も無く伸ばしてきた髪を、昨日のうちに切ってしまった。 「ほんと、思い切ってよかったー。 でね、あと別れ際に・・・」 「え・・・なに!? まさか」 友達が身を乗り出してくる。 「・・・・・・そのまさか!」 泣きそうになりながらも、そんな自分が可笑しくて笑った。 「まじでー!? 亜未、めっちゃおめでとう!!」 「うん。辻田ちゃんも色々ありがとう!」 友達も一緒に喜んでくれた。もちろん本当に、全力で。 その翌々日から、先輩と私は付き合い始めた。 と言ってもカップルらしいことは、毎日昼休みに混みまくりの食堂で会うくらいのものだけれど。 そうしてしばらくすると、友達との会話にもよく『日下先輩』が出てくるようになった。それがずっと聞こえていたらしい彼が、ある日何気なく訊いてきた。 「織屋、最近何かあったのか? おめでとうとかって・・・」 「・・・・・・え」 私の周りの空気が、一瞬―――いやたっぷり三秒間は固まったように思う。 助けを求めるような気持ちで友達を見ると、みんな目で「教えちゃえば?」と語っていた。 (うぅ〜〜・・・) ただの男友達なんだから、いつものノリで「あーうん、彼氏できたんだ」くらいは言えるはずなのに、何故か彼に言うのは躊躇われた。知られたら、私の中だけじゃなく彼の中に隠された“何か”も、壊れてしまう気がした。 「なに、言いたくないの?」 友達の一人が小声で訊いて、私は否定の仕草で返す。別に、言うのが嫌なわけじゃない。 言おうとしてはやめるのを繰り返していたら照れていると思ったのか、とうとう友達のほうが口を開いた。 「いい人がいて幸せなんだよね、亜未は」 「ちょっ・・・もう辻田ちゃん!」 熱い顔を隠しつつバレないようにちらっと彼を見ると、いまいち腑に落ちなさそうな顔をしている。 (そっか、ゆっきぃはちょっと鈍いんだっけ) 何だか複雑な気分になった。 年明けに四、五回目の席替えがあって、初めて彼と席が離れた。よく考えたら今までずっと隣同士だったことの方が不思議なんだけれど、やっぱり残念。 その席替えから何日か後、先輩と何となく続いていた会話が盛り上がって、食堂を出てからも別れないで並んで歩いたことがあった。 (私の教室とは逆方向だけどいいや) そう思って角を曲がった。せっかく盛り上がっているんだから、ギリギリまで話していたい。 その中身は、他愛もないものなんだけれど。 「今日すごくいい天気ですね。ピクニックっぽく中庭で食べればよかったかなー」 ちょうど鳴り始めた予鈴のチャイムでよく聞こえなかったのか、先輩が 「え、ピクリン酸ぽく!?」 なんて訊き返した。 「・・・・・・先輩って意外と天然?」 「え、は・・・!? いやいやいや、別に天然じゃ」 慌てて否定しようとする先輩が可笑しくて、かなり笑ってしまった。 「亜未、そんなに笑うなよ‖」 「だって・・・。先輩も充分面白いですよっ」 そうして先輩の教室の近くまで来たとき、チャイムの音の余韻が途切れて、先輩が言った。 「じゃ、また部活でな」 「はい」 頷き、歩き去っていく先輩の背中をほんのちょっと見送ってから、私は踵を返した。 (・・・・・・ゆっきぃ?) 四、五メートル離れたところに、彼が立っているのに気付いた。心臓が、どくん、と一拍大きく打つ。 (もしかして、先輩と歩いてるとこ見られた・・・?) 今度は、直ぐに“嫌だ”と思った。私はともかく、彼の中に隠された何かが、壊れていないか心配だった。でも、 (何かって・・・何だろ・・・・・) この時私の心に浮かんだ願いは、このたった一時の願いは、彼の想いを知りたい―――それだけだった。 (―――ってかこんなこと考えてたら五限目始まるって!) 私は慌てて、同じように急ぐ生徒たちの中早足で歩きだした。追い越しざま、彼にひらひらと手を振る。 「こんなとこに突っ立ってどーしたの?」 私と彼の視線が合った。 「な、なんでもない」 「そっか」 早歩きが妙にじれったくなって、私は小走りした。席に着いた後も胸が高鳴っていたのは、きっと急に走ったからだ。 一番前の右端の席に座る彼―――月島幸弘を見やる。 彼の想いを知りたい。 万が一好かれていたとしても、今なら別に困らない。 やっぱり、ダメなことですか? 彼氏がいるのに、他の人に惹かれるなんて―――。 2008年文化祭特別号『ff』ω掲載 背景画像:フランクなソザイ様 |