ぼくらは悲しまなくていい

千里たつき


 二月半ばの金曜日の昼休み、翌日が特別な日だからか外から覗いた他所の教室はどこか浮き足立っている。
 優子はその中へ向けて、美希の背中を押してやった。
「ゆ、優子・・・」
 よたよたと教室の中に入ってしまってから、美希は小さい顔をこちらに向ける。優子は彼女の抱く可愛らしい包みを指して、
「それ、渡さなくていいの? せっかく作ったのに」
「・・・良くない」
「じゃあがんばれ! 絶対喜んでくれるよ」
 優子は知っている。美希と彼との想いが通じていることを。
「ほら、行ってらっしゃい」
 美希はようやく意を決したのか、一つ頷いて背中を向けた。

(あれ、優子と美希ちゃん・・・!?)
 自分の教室の入口付近に立つ二人の女友達を見て、直樹は一瞬固まった。しかも美希は小さな包みを大切そうに持っているのだ。
 しかしすぐに我に返った直樹は、隣でカツ丼弁当を頬張っている亮介に言った。
「亮介、俺ちょっとトイレ」
「おう、行っといれー」
 直樹は息を吐く。全体、こんな寒いギャグばかり言う奴のどこがいいんだろう。

 優子は亮介が美希に気付き、二人が言葉を交わし始めたのを見ると軽いため息を吐いた。
(何やってんだろ、私)
 そこにいるとどんどん落ち込みそうだったので、自分の教室に戻ることにした。少し離れたところでは直樹がこちらの様子を伺っている。
「直樹くん!」
 所在なさげにうろうろしている彼に、優子は近付いて声をかけた。
「おう、優子」
「お互い大変だね」
 直樹が美希たちの仲を取り持とうとしているのを知っている優子は、そう言って苦笑した。
「はは、そうだな。けどいいのかよ?」
 同様に苦く笑った直樹に、優子はきょとんとして訊き返す。
「何が?」
「何がって・・・好きなんだろ、優子も」
 直樹は気付いていた。
「・・・・・・」
 優子は黙って彼から視線を離し、廊下の壁に背中を預ける。
「・・・・・・うん」
 頷いて、また苦く笑った。
「でもそう言う直樹くんこそ、美希のこと・・・」
「俺は別に―――うん、別にいい」
「うん・・・私も別にいいんだ。二人、両想いなんだし勿体ないよ」

 好きだった。
 いつもこっちのほうを―――自分の隣にいる友達を―――見ているあの人が、好きだった。

「だよなぁ。俺も、亮介には頑張って欲しかったし」

 一方で、なかなか素直になれない友達を応援していた。

「まぁ、まさか好きな人被るとは思わなかったけどな」
「私も。あと、自分がこういう時ライバルの背中押しちゃうタイプなんだって初めて知ったよ」
「あー、分かるなぁ」
 彼らは苦く笑いながら、並んで立っていた。


「優子」
 その日の放課後、美希が言った。
「今日は二人で帰るね。その・・・亮介と」
 優子は微笑んで、背負いかけたリュックを置く。
「りょーかい」
「ホントごめん、直樹にも謝っといてね。じゃ、また明日!」
「うん、ばいばーい」
 教室から嬉しそうに出ていく美希を見送りながら、考えた。
(可愛いなぁ・・・)
 きっと亮介は四人でいても、美希のことばかり見ていたのだ。それから、直樹も。
(やば、泣きそ・・・)
 眉根を寄せ、再びリュックを背負った。
「あ、直樹! ごめん、亮介借りてくね」
 美希の弾んだ声。廊下で直樹とすれ違ったのだろう。
「いやもういつでも持ってっていーよ、美希ちゃん」
「そう? また明日!」
 美希が長い茶髪を翻して去ってゆくのを、直樹は見送る。
「直樹くん、・・・せっかく来たのに今日は四人で帰れないね」
 帰りかけの優子が声をかけると、
「ああ・・・つい来ちまったのにな」
と苦笑いした。
 優子もつられて苦笑する。
「毎日、四人一緒だったもんね。けどもう無理かなー」
「仕方ないよなぁ」
 そう言って彼がため息を吐いたので、
「まあ、私たちだけで帰ればいいだけだよね」
そう言って優子は歩き出した。放課後の、薄明かるい廊下。
「そうだな。二人、いるんだし」
「そうだよ」
 いつもの時間だ。違うのは、四人じゃなくて二人だってことだけで。
 友達二人が変わろうと、彼らの間は結局ほとんど変わらなかったのだ。会うのも話すのもいつものままだったから、本人たちも気づかずに済んでいた。
 二人じゃなくて独りなら、泣いてしまいそうだということに。

「優子はさぁ」
 週が明けた月曜日、二度目の二人きりの帰り道で直樹が言った。
「泣きたくなんなかった? 金曜」
「なったよ」
 直樹と同じ顔をして、優子が言った。
 きっと二人とも、泣きそうな顔をしているのだ。
「泣きそうだったよ。泣かなかったけど」
「だよな。俺も」
 泣きそうだった。実らなかった恋よりも、戦うのを避けて譲るばかりか応援した情けない自分が悲しくて。
 けれど泣けなかった。自分も恋も二の次で、結局見たかったのは友達の笑顔だったのだ。目の合わないあの人よりいつも隣にいる友達のほうが、もっとずっと好きだったのだから。
「友達がいるから泣かなかった。優子と亮介と、美希ちゃんが」
 背の高い男子が、泣きそうな顔で話す。
「うん、私も。直樹くんと美希と、亮介くんが好きだったから」
「俺らみたいな人種はさ、悲しまなくていいんだな。友達に好きな人取られたくらいで」
「そうだね。嬉しいもん、友達が喜んでるんだから」
 それから二人は生暖かい春一番の吹き荒む中を、しばらく無言のまま歩いた。

 駅に着いて電車に乗った時、閉まった扉に寄りかかって、今度は優子が言った。
「今朝あげた生チョコ、どうだった?」
「ああ、すげー美味かった! ありがとな」
「良かった」
 直樹の返事を聞いて、優子は笑った。それからまた扉に凭れかかったので、扉と背中の間で布製のリュックが少し潰れた。
 優子がまた口を開いた。もう笑っていない。
「私たちみたいな人同士が付き合っても・・・結局上手くいかないんだろうね」
「・・・・・・」
 彼女の心が何となく分かった直樹は、しばし口を閉ざした。二人は互いの顔を見合ったまま。電車が枕木を踏む規則正しい音が、静かに響く。
 やがて彼は、小さく息を吐いて言った。
「・・・そうだな」

  タタン タタン タタン
  タタ・・・ タタ・・・

 ふいに、直樹が笑った。
「この分じゃ俺、今度は優子のこと好きになるかもな」
 優子が降りる駅が近付いている。
「私も直樹くん好きになるかも。上手くいかないだろうけどね」
 優子が言った時、ちょうど電車は駅に着いた。扉から背中を離し、優子は直樹に手を振る。
「ばいばい直樹くん、また明日!」
 扉が開いて、彼女は黒いホームの上に立った。
「おう。また明日な、優子」
 やがて、再び扉が閉まる。電車が再び動き出した。
 次の駅で降りるまで、直樹は一人で吊り革を握って立つ。
 独りで。

  タタ・・・ タタ・・・
  タタン タタン タタン

 やっぱり悲しかった。
 だけどやっぱり、友達を思うと嬉しかった。



JACKPOT61号掲載
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