赤い羽根と彼女の笑顔

千里たつき


 ここは都内有数のある進学校。―――始業前の、三年の教室。
「うっそ、お前彼女出来たんだ!!」
 などと声を上げた俺の口を、友人Aが慌てて塞ごうとした。
「ちょ、ばっ・・・! 上岡(かみおか)、声でかいっつの!」
「悪かったって、ちょっと落ち着け。・・・しかしお前も意外とやるんだなー」
 にやにや笑いを浮かべつつそう言うと、奴の顔が真っ赤になった。
「意外とって何だよ! あーもう笑うなッ!」
「・・・お前、本当に面白いな」
 横から見ていた友人Bが口を挟んだ。・・・確かにAはいじると面白い。反応が。
「どーゆー意味だよそれ!? ・・・つぅか上岡こそどうなんだよ? お前、性格はともかく顔も頭も運動神経も良いしなー」
 羨むような調子とは裏腹に、目では精一杯鋭く睨まれたので、言い返そうと口を開く。
「俺はな―――」
「あー、コイツは無理だ」
 またBが口を挟んできた。意外そうにするA。
「そうなのか?」
「ああ、考えてみろよ。上岡が女子と会話するとこなんて、お前見たことあるか?」
  ぎくっ。
「・・・・・・無いな」
 Aが考え込むような仕草をして言った。
「だろう? つまりは性格のほうに問題が―――」
「だぁーッ、お前らぁ〜〜!」
 俺がAをいじり、Bが同調して、Aが反撃を試みるとBがそれにノり、いつの間にか俺がいじられている。これが最近の俺たちの絡みだ。
 俺は彼女なんて別にいらない。そう言うつもりだったが、確かに女子と口を利くのは得意じゃない。というか苦手だ。となると当然、俺には彼女はおろか女友達さえ、一人もいない。
 ―――いや、正確には昔、たった一人だけいた。
  ジリリリリ・・・
 予鈴が鳴り、俺たち三人は解散した。自分の席に着いた俺は、シャーペンを机の上でとんとん鳴らしながら、旧友の顔を思い出していた。
「あいつ、どうしてっかな・・・・・・」
 ぶっちゃけ変な奴だった。二つ歳下だけれど幼馴染みで、上下関係なんか誰も気にしていなかった幼稚園時代から、何故か俺相手に敬語を使っていた。悪いことじゃないのだが、その丁寧な口調は、結局俺が小学校を卒業するまで直らなかったと思う。
(そういや、卒業式以来会ってねーな)
 俺がこの学校を受けるつもりだと知った時のそいつといったら、吃驚(びっくり)するほどローテンションだった。何度も喧嘩はしたが何だかんだで仲が良かったから、高校も同じところに行きたがっていたようだ。あいつは見た目ガリ勉みたいな丸メガネをかけていたけれど、実際はそんなことなかったから。
(でもあの後、勉強もっと頑張りますとか言ってたな・・・もしかして、ここに入学してたりして)
 またベルの音。今度は本鈴だ。
(・・・まさか、な)



「ったく、薄情な奴らめ」
 昼休み、弁当持ってきてないから食堂付いて来てくれよ、と友人A・Bに言ったのだけれど、あっさりと断られてしまった俺は、独り学食できつねうどんを啜っていた。そのとき、
「あの、貴史(たかふみ)さんですよね?」
突然、背後から声がかけられた。
「・・・は?」
 反射的に振り返ると、見覚えの無い女子がいた。
 地毛ではなさそうな茶系色の髪に、洒落た赤いフレームを持った楕円形の眼鏡。学年はリボンに引かれたラインの本数からして一年か。
「やっぱりそうだ! お久しぶりです♪」
 女子はふわりと柔らかい笑顔を浮かべた。セミロングの髪が、首を傾けると同時に軽く弾む。
「貴史・・・サン!? 誰だよ君・・・てかなんで俺の名前知ってんの?」
 名前に“さん”付けとは、俺にとっては珍しい呼ばれ方だ・・・やばい、なんか鳥肌立った。
 女子のほうは特に何か返答しようともせずに、微笑んだまま制服の胸ポケットから何か取り出した。
「赤い、羽根?」
 細い指に摘まれてふわっと揺れたそれを見たとき、真っ先に俺の頭に浮かんだのは『募金お願いしまーす』の掛け声と、首から下げられた銀色の募金箱だった。
「―――・・・今日、募金の日だっけ」
「違いますよっ」
 すかさず否定された。
 だってこの羽根、赤い羽根だぞ? 大部分の公立小中学校なんかで毎年配られる、裏にシールが付いてる、そうあの、赤い羽根。
「あ、え、・・・もしかして貴史さん、覚えてらっしゃらないんですか?」
 見知らぬはずの女子の表情が急に酷く哀しげに変わる。
「ちょっ、・・・んな顔すんなよ! えーっとこの羽根、赤い羽根・・・何かあったような気が」
 募金用のお金を忘れて、箱を持った同級生の横を通り過ぎるのが少し後ろめたかったのとは違う、何か大切なことがあったような。
「あ・・・・・・っ」
「思い出していただけました?」
 女子の顔が元通り以上に明るくなった。その顔に見覚えがないというのは思い違いだと、俺はようやく悟った。
「まさかお前、ヒノか!?」
「そうですよー。思い出すの遅いです」
「わ、悪ぃ・・・」
 あんまり変わっていて気付くのが遅れたが、こいつが―――清水妃乃(ヒノ)が、俺の唯一の女友達だ。



 食事をとりながら妃乃とあれこれ話をして、予鈴が鳴ってから俺は教室に戻った。うどんは若干伸びていた。
 さっき妃乃から手渡された、あの赤い羽根はよく見るとぼさぼさで、かなり年季が入っている。
「・・・そりゃそうか」
 この赤い羽根は、昔何度も繰り返した妃乃との喧嘩の中でも特に仲直りに苦労したとき、仲直りするきっかけになったものだ。
 四年近く前のことだから、年季が入っていて当然である。
 確かあのときは、妃乃が落とした赤い羽根を俺が拾ったのが話すきっかけになった。
(今度は何をきっかけにしようか・・・)
 今回は話すきっかけが欲しいだけで、別に大喧嘩したわけじゃないけれど、俺には簡単に済ませられないことだった。
 さっき昼飯を食べながら俺が、
「にしてもすげーな、妃乃は。二年間ずっと勉強がんばってたとか、大変だっただろ」
と言うと、妃乃はこともなげにこう答えた。
「いえ、そんなことありませんよ。・・・私は、」
 ちょっと首を傾けて。
「ただあなたの傍にいたかったんです。貴史さん」
 その柔らかくて明るい笑顔を、俺は見ていられなかった。
 ―――分からなかったんだ。どうしてそこまでするのかが。
 それに妃乃の容姿の変わりっぷりを見ると、頑張ったのは勉強だけではなさそうだ。髪も、眼鏡も、仕草の一つ一つも。昔から印象的で、今も全然変わっていないのはふわりと柔らかいあの笑顔くらいだ。
(んー、イメチェン、なのか? 確かに前より良くなったけど・・・何の為に!?)
 俺は、やっぱり女子っていうのは、わけが分からない生き物なんだと理解した。
 それで若干パニクった俺は、焦って思いきり不自然に話題を逸らした・・・気がする。・・・パニクっていたのでよく覚えていないけれど。



 終礼が終わり、終業のベルが鳴った瞬間さっさと教室を飛び出してきた俺と友人A・Bとは、校門を出たところまでしか通学路が合わない。俺は徒歩、AとBは電車通学だからだ。
 奴らと別れたあと、俺はいつも通り一人で下校するつもりだった。
(次会ったら何言えばいーんだよ・・・)
 ポケットに入れっ放しにしていた赤い羽根を取り出して眺めた。ため息を吐いたそのとき、ちょうど声をかけられてしまった。
「貴史さーん」
「・・・・・・あ、妃乃」
 つい寄ってしまう眉間の皺を無くそうと、俺は必死に真顔を作る。
「よう。そ、そういえばどうだ? うちの学校」
 何を言ったものか分からなかったから、適当に訊くと妃乃はまた笑った。
「すっごく楽しいです!」
昔からそうだけれど、本当によく笑う奴だな。
「おう、そりゃ良かったな」
「ええ。面白い人ばっかりですね、先輩も同期も。ちょっと変わってるけど」
 言いながら妃乃は俺の横に並んだ。こうして見ると、妙に大人ぶったデザインの制服がまだ馴染んでいないように思える。
ほとんど人影もないし、妃乃と俺は半端に距離を置き連れ立って歩く。
「変わってるっつっても、昔のお前ほど変わってる奴はいねーだろ?」
「む、それってどういう意味ですか!?」
 皮肉っぽく返してやると、むっとして頬を膨らませた。こういうところは、まだまだ子どもなんだな。
 安心したら、ついため息が出てしまった。
「・・・貴史さん、どうかなさったんですか?」
「え」
 妃乃が急に普通の顔になって首を傾げた。
「・・・何だよいきなり」
 妃乃は自分の眼鏡の赤いフレームを押し上げて、言う。
「なんか変な感じです。昼会ったときは普通だったのに・・・」
「だってなぁ、あんなこと言われたら困るだろ、普通」
「あんなことって、あのとき言ったことですか?」
「あぁ。だってただの幼馴染みの・・・俺なんかの為に、なんでそこまで頑張るんだよ」
 顔をしかめて目を逸らした。
「俺にはサッパリ理解できねー」
 突然、妃乃がクスクスと笑い出したので、俺はぎょっとして振り向いた。
「妃乃?」
「あははっ、ごめんなさい。だって・・・だって〜」
「あーもう、何なんだよ!」
 また俺が顔を背けると、妃乃は俺の顔を覗き込んできた。
「貴史さん、わたしにとってはただの幼馴染みなんかじゃないんですよ」
(は? ・・・余計にわけ分かんねー)
「何だそれ、どーゆー・・・」
「解りませんか? ・・・ふふっ、じゃあいいです」
 妃乃はまだ笑っていたが、それまでと比べ、少し残念そうな感じだった。
「ってか妃乃、お前もどうかしたのか?」
「いえ、わたしは何も。ただちょっと、期待して損しちゃったかなー、なんて」
 妃乃はそう言って、苦笑いした。
「期待って―――」
「あ、貴史さん赤い羽根!」
 無意識に手に持っていた赤い羽根がすり抜け、ふわりふわりと落ちようとしていた。
 その瞬間、それがひどく掛け替えの無いほど大切なものに思えて、俺は慌てて手をのばした。ゆっくり落ちてゆく羽根は、地に着く寸でのところで拾い上げられる。

 これが大切?
 思い出、だからだろうか。
 それとも何かに似ているからか。

 何故かふとそんな思いが浮かんだけれど、いったいこの羽根が何に似ているというのだろう。

「あの、貴史さん」
 妃乃に呼ばれて、赤い羽根を見詰めて黙り込んでいた俺ははっと顔を上げた。
「今は解って頂けなくても、わたしは良いです。わたしが何に期待したのかとか、どうしてここまで頑張ったのかとか」
 一本一本の細い髪が、風に吹かれてふわりと舞う。
「そのうち嫌でも“解らせます”から。それまでは、『ただの幼馴染み』と思っていて下さいね」


 彼女の優しく愛らしい笑顔を、喩えれば思い出の―――・・・



♪あとがき
 文化祭の企画で、滝風ちゃんに漫画化してもらった作品。漫画のお陰で登場人物たちに新たな魅力が生まれました。
 あと、背景ですが、普通に赤い羽根の画像を探していると素敵な天使さんを見つけてしまい、どうしても使いたくなったのでこうなりました。すごく気に入っています。


2008年文化祭特別号『ff』α掲載
背景画像:ふわふわ。り