箕北 悟史

私には思いを馳せてやまない島がある。長崎県端島。外観が軍艦のように見えるため、軍艦島という愛称で親しまれている。
 長崎県の野母半島から約四キロのところに浮かぶ、四八〇メートル×一六〇メートルという小さい島である。しかし、ここにかつて五二〇〇人を超える人々が暮らしていたのだ。これは人口密度に換算すると当時の東京の九倍になったという。現在世界遺産への登録が検討されているらしい。
良質な石炭がとれ、日本の高度経済成長の基盤となったともいえる島である。しかし、エネルギー革命の煽りを受け、一九七四年一月十五日に閉山した。現在は無人島である。
 この小さな島には、学校、店舗、病院、映画館、理髪店などがあり当時はまさに近代都市とでも言うべき島だった。この小さな島に驚くべき数の人を収めるため、島内には高層アパートが建っていた。これは日本で最初の鉄筋コンクリート造りのアパートである。
 
この島に本格的に人が住み始めたのは、一八九〇年のことになる。最盛期には五〇〇〇人を超え、末期でも二〇〇〇人の人がそこで生活をしていたのだ。林立するアパートのその姿は圧巻である。
 
絶海の孤島にあるため、水の確保は必至だった。当初は雨水を利用していて、その水を手に入れるためには配給制の「水券」が必要だった。この「水券」は罰則に使われたり、ヤミで売買されたりしたともいう。その後、給水栓も普及したが、やはり水は貴重で、「水券」による厳しい給水制限は続いた。しかし、一九五七年には、野母半島から引いた海底水道の開通により、この問題は解決した。それでも増え続ける水の需要のため、水源の確保が深刻な問題となったそうである。なお、島内には何カか所かの共同浴場があったそうだ。炭坑で働いた人がそこで汗を流したときは、風呂の水が真っ黒になったともいう。
 トイレの水は海水で、排便が塩漬けにされてしまうため極めて不衛生で伝染病の原因にもなっていたらしい。海底水道の開通と同時に水洗式のトイレが普及した。
電気に関しては、一九一七年に野母半島と隣の高島から引いた海底ケーブルで電気を賄っていたそうである。
 
 端島の学校は、七階建てだった。一〜三階が小学校で、四〜五階が中学校、六階が体育館、七階がその他の専門科目の教室だったらしい。それでも人間用のエレベーターは島内に一つも設置されなかったらしい。保育園もあったらしく、園庭は屋上であったため、さながら空中保育園とも呼ばれた。
 島民の娯楽は映画、ビリヤード、パチンコなどだったそうである。これだけ小さな島にそれだけの施設がそろっていたのである。しかし一番人気のあった娯楽は釣りだったという。これらの施設は炭坑の部分を除けば二百メートル四方の四角形に全てが収まっていたというから驚きである。
 
この島は「緑なき島」と呼ばれ、文字通り緑がほとんどなかったという。緑化運動も行われ、屋上庭園もできたという。おそらく日本で最初の屋上庭園だろう。それでも面積比にして三%しか緑地の面積がなかったらしい。そのため、島の建物はしばしば緑色に塗装されたらしい。

 そして、ときは二〇〇七年。
 時の流れは無情にも、この島を過去へと追いやっていく。
 当時あった建物は朽ち果てるだけの運命。

 電力供給を示すメーターの針は止まった。二度と動かない。
 もう鳴らす人はいない鍵盤。
 炭坑へと働きに出る父を送った子と母。その炭坑も今では、なんの役にも立たない廃墟になった。
 この一つ一つの部屋にそれぞれの物語があったのだろう。
 この一つ一つの机に、それぞれの物語があっただろう。
 たとえチョーク一本でも、放り出された少女コミックにも、形をかろうじてとどめている椅子にも物語があったに違いない。
 建物は崩れていく。煙突は折れ、鉄は錆び、橋は壊れ、木製の手すりは腐って、コンクリートは崩落していく。
 割れたガラスを通り抜け、誰もいない教室に風が吹く。
 
 今はその面影だけをひっそりと私たちに伝えている。
 かつてここで生活を営んだ人が刻みつけてきた歴史をこの島は伝えている。
 この島へ上陸すると出迎えてくれる巨大な壁のような学校。
 無言で何かを伝えている。そう思うに違いない。
 コンクリートの森と呼ばれた高層アパート群。色褪(あ)せていく灰色の街。
 そこで過ごした家族がいた。友達がいた。近所の人がいた。端島の人々は色が褪せていくなんて思っていないのかもしれない。
 今は海の潮風が通り抜けるだけの廃墟群。
 そこで暮らした人々は、当時の生活を決して忘れたりはしない。
 この島であの声が響くことはもう決してない。
 それでも彼らにとってみれば、この島はただひとつのふるさとなのだ。
 何千人もの人々が生活した端島。
 彼らは今どこへ居ようともきっとこの島のことを忘れはしない。
 
時の流れから切り離された端島。
棄てられた島、忘れられた島と呼ばれるが、本当にそうだろうか?
この島はただの廃墟じゃない。
 この島を故郷とする人がいる。
この島に足跡を残した人がいる。
この島を愛する人がいる。
 
 端島は人々の心に今もある。今日も端島は生きている。

※現在この島は上陸が禁止されているため、非合法なもの(地元の漁師に頼み込むなど)を除けば上陸手段はありません。
※現在端島を世界遺産に登録しようとする運動があるようです。二〇〇八年にはこの島の一般公開が検討されているようです。


参考文献等

Wikipedia軍艦島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E8%89%A6%E5%B3%B6

ある島の話(ふじまるのヘタレFLASH)
http://www.geocities.jp/hetare_fujimaru/certain_island.html

軍艦島オデッセイ
http://www.gunkanjima-odyssey.com/

廃墟デフレスパイラル
http://home.f01.itscom.net/spiral/

作者コメント

いつの頃からか、廃墟というものが好きで、よく廃墟の写真を集めたサイトなどを巡っていました。
理由については、ほぼ作品内で述べたとおり、その場所で生活をしていた人々のかつての息吹と、今はその声が二度と響くことのない時の流れのはかなさが、心を打つからです。
中でも、軍艦島(端島)は、島全体が廃墟という世界でも類を見ない大規模な廃墟群で、よりいっそう心を惹きつけられます。
今回はその思いを作品内に詰め込んでみました。
(掲載号:JACKPOT50号 使用書体:HGP行書体 使用素材:artworks