箕北悟史
私には昔兄が居ました。今は居ません。
あれは確か私がまだ半ズボンで駆け回っていた頃だったと思います。
夏休み、秋田県にあった祖父の家に田舎に帰省していたときでした。まさに突き抜けるような青い空に、沸き立つような入道雲が空に浮かんでいました。稲刈りを待つお米が空に背を伸ばしていました。
私は兄と従兄弟と3人で遊んでいました。林の小川でザリガニ釣りをして遊んだりしていたのを今でも覚えています。ついついもっと釣れるところはないかとどんどん林の奥まで入って行ってしまいました。
道は続きます。
その従兄弟――ゆうや――が言いました。
「ねえ、せっかくだからこの道がどこまで続いているか探検してみない?」
林の中はこんなに太陽がさんさんと照りつけているのに、少し薄暗く、肌寒くさえ感じました。しかし、それが逆に好奇心を刺激してしまったのでしょうか。みんなはそれに賛成し、どんどん奥のほうへ入って行ったのです。
だんだんその道も険しくなってきました。最初は2人が並んで歩けるほどの幅だったのですが、その道はどんどん細くなっていきました。道は1人が歩くのがやっとになりました。林の木はますます鬱蒼としてきます。1時間くらいは歩いたのに、一向に林の道は終わりません。もっともこの時点で既に道と呼べる代物ではなくなっていましたが。それでもまだ何かに吸い寄せられるように一心不乱に歩き続けました。
で、何に吸い寄せられていたかといえば、じきに分かりました。突然鬱蒼とした林は晴れ、目の前に少しばかり広い景色が広がりました。そしてその中に3階建てくらいの廃墟がありました。普通に考えてこんなところに廃墟が出現するわけありませんが、現に出現したのです。鉄筋コンクリートで、わりと痛んでいるようでした。窓ガラスは割れて、
「中に入ってみようよ」
兄が言いました。一同はそれに賛成し、その廃墟に突入してみました。
中は昔、人が何かに使っていたと思われるものがたくさんありました。事務所みたいなのに使われていたみたいで、散乱した書類のようなもの、机などがありました。もちろんかなり痛んでいて原形をとどめていないようなものもありました。
ずっと中を見て廻っていると、突然ひんやりした、なんというか重い空気を感じたような場所がありました。そこからは相当痛んでいるのか壁紙も完全にはがれ、コンクリートがむき出しになっていました。廊下が狭いので兄が一番前、その後ろが私で、一番後ろにゆうやが着いていました。一番前を歩いていた兄が突然、
「あっ」
と声をあげ、震えた声で
「ここは来ないほうがいい…」
と言った。そして
「もう帰ろう」
兄は何か本当に恐ろしいものを見たという口ぶりで、真っ青になりながらそう言った。ゆうやが
「まさか・・・」
と呟いたのを私は聞き逃しませんでした。
帰りはやけに早かったです。行きは1時間以上歩いていたのに、帰りは30分程度で林を抜けたのです。
兄は家に帰ると、
「頭が痛い」
などと言って、寝込んでしまいました。真っ赤な顔をして、ピンクの鼻水を垂らしていました。
夜中、なにやら部屋に電気がついていて、ゆうやと祖父が話をしていました。
「そうか・・・あれを見てしまったか」
「多分・・・あの怖がり方は異常だった」
私は思わず部屋を開けてしまいました。
祖父は一瞬びっくりしたようでしたが、
「ああ。聞いていたのか」
と言って、その全てを語ってくれました。
兄が見たのはおそらくこの辺に伝わる「あかだま」とかいう妖怪で、これと言った形や顔や目はなく、半透明の赤いぶよぶよとした液体のような物体らしい。それを見ると、なんだか吐き気がして本能的に見ちゃだめだと思うらしい。
私はあまりの恐ろしさに、聞いていられませんでした。そしてなぜか兄は祖父の家に置き去られ、祖父はその家を捨て、帰ったのだった。
あれから二十年あまり…私は一体その家はどうなったか確かめるべく、バスでそこへ向かいました。
家はありました。
もともとボロボロだった家が、さらにボロボロになっていました。
戸を開けてみました。
高さ2mに達するであろうピンクの物体が…懐かしそうな表情を(もちろん顔なんてないのだが)たたえてこちらを見ていました・・・。
帰りのバスの中、私は朦朧とした意識で、二十数年前の出来事を思い出しました。そしてなぜ兄がおき去られたのかも…。確かあのとき祖父は…それを最後まで思い出したときはもはや手遅れ。私は、ピンクの鼻水を垂らしていました。
…さっき家で見た「あかだま」は変わり果てた兄の姿のほかならない。いずれ私もそうなるだろう
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