箕北 悟史

 サトシは激怒した。1時間目に体育のある今日に限ってバスの進むのが遅かったのだ。必ず、15分発の電車に乗らねばならぬと決意した。サトシは、単純な男であった。私は、遅れれば、殺される。殺されない為に走るのだ。15分の電車に乗る為に走るのだ。8時10分までに学校に入る為に走るのだ。走らなければならぬ。そうして、私は殺されない。若い時から名誉を守れ。
 走って走って、改札口に到達した頃、サトシの足は、ばたばたと、よりいっそう速度を上げた。聞けよ、鳴り響くベルを。15分まであと数秒だ。「駆け込み乗車だが自分のためだ!」と猛然一撃、たちまち、階段を下った。
ああ、あ、ここまで来るも韋駄天、突破して来たサトシよ。真の勇者、サトシよ。今、ここで、電車に負けて置いてけぼりにされると情無い。まさしく体育教師の思う壺だぞ、と自分を叱ってみるのだが、足がもつれる。私は、きっと笑われる。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定った運命なのかも知れない。体育教師よ、ゆるしておくれ。
ふと耳に、ジリジリ、ベルの流れる音が聞えた。まだ鳴っている。扉が閉まるまでには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。謝ってお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! サトシ。
「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。駆け込み乗車は危険です。あなたを待っている電車はああ、あれほどまでにあなたを待っていた。しかし、いまはご自分のお命が大事です」
「それでも、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ」
 サトシは疾風の如く列車に突入した。間に合った。しかし、雨で滑りやすかった靴はサトシを転倒させた。
 どっと群衆の間に、歓声が起った。
 サトシは、ひどく赤面した。

作者コメント

風連先輩の個人本「雑草魂」に寄稿した作品です。
文字通り「走れメロス」のくだらんパロディであります。
これは実話か、と聞かれることがありますが、残念なことに実話だったりします。
(掲載号:風連個人本「雑草魂」 使用書体:MS明朝体 使用素材:Wikipedia