VS 〜科学部物語〜
 
久住弥生

「暇やなぁ…。」
俺の独り言に、姫が力強く答えた。
「青司君!何言ってるの!今日は入学式よ?」
ここは、小川学園の第一実験室。この中高一貫の小川学園は部活も一貫。俺  坂月青司はこの学園の科学研究部の数少ない部員の一人だ。
科学部の部員は、全部で三人。
まずは、部長の中野真理(高二)。彼女は、俺たち後輩に自分のことを姫と呼ばせている、ドS嬢だ。
次に、副部長の山元太郎(高一)。本人が嫌がるので敬語は使っていないけど、俺は姫と対等に話が出来る先輩を尊敬している。
最後に会計の俺(中二)。文章だと標準語だけど話すときはどうしても関西弁になってしまう。大阪出身の父親の影響だ。
「入学式だからって…何するつもりなんですか?」
「勧誘に決まってるじゃない。行動は早い方が良いでしょう?」
姫が言った。
「へぇ…んでまた姫はなんにもせえへんの…」
姫の手が、素早く薬品の棚に伸びた。
「敬語、何回言ったらわかるの?」
俺の頭上には「塩酸」とかかれた瓶。
「す、すみません…」
速やかに瓶は机の上へと移動した。
薬品で人を脅すのは姫の得意技。
「二人じゃ足りないのよ。パシリが。」
「パシリって…部員って言ってください。」
「僕もパシリに入ってるんですか…」
太郎先輩が悲しそうな声で言った。
「そういうことだから、行ってらっしゃい!」
「俺…?っていうか、やっぱり姫は行かないんですか…」
「そりゃ、まあ真理姫だからね。頑張って。」
「太郎先輩?先輩も行くやんな?」
「僕に勧誘の才能があると思う?」
いつもこうだ。何で俺ばっかりこんな目に…。くそう。タダで行ってたまるかっ!
「じゃあこうしましょう、僕一人で行って来ます。その代わり、一人でも連れてこれたら、これからは薬品棚の鍵は全部僕が管理します。」
「それはだめよ。あなたが居ないときどうやって実験するの?」
「実験なんてほとんどせぇへんやないですか!」
暫くの沈黙の後、太郎先輩が口を開いた。
「どれか一つだけ、譲ってあげたらどうですか?」
「それなら…許してあげるわ。優しい部長として」
誰が優しい部長だ…ウザい女番長の間違いだろ。っと、思ったが死んでも声には出さない。
「じゃあ、塩酸の棚の鍵、賭けましょう!」
「その代わり、見学者が来なかったら…覚悟しててね?」
こうして俺は一年生の教室へと送り出された。


四つの教室はどこもシンとしている。緊張した空気が伝わってきた。
とりあえず、全部の教室を見て回ることにした。目立った奴を連れてこよう。科学好きかはこの際関係ない。早く連れてこないと…。頭から塩酸を被る、なんて事になりかねない。あの女なら…可能性は高いだろう…。
「それでは皆さん、少し休憩していてくださいね。」
先生の言葉で場の空気が少し和んだ。
一組から回っていって、次で最後、四組。目立った奴、と…
見つけたのは黒髪の少年だが、彼の髪は腰まであった。制服じゃなかったら女にも見える。
その斜め後ろには小さくて可愛らしい女の子が座っていた。あの子は多分、同じアパートの子だ。見たことがある。
二人は仲がいいようで、ずっと話をしている。
「ええなぁ。楽しそうやなあ。」
「坂月君、そこで何しているの?」
つい、身を乗り出して見ていたのがまずかった。体育の女教師がこっちを見ている。生徒の喋り声がやんだ。かなりの量の視線が俺に刺さる。
「何を、しているの?」
「いえ、あの…すみませ…」
俺は逃げ帰ろうとして、踏みとどまった。このまま帰ったらどうなる?塩酸の雨が俺に降りかかるだろう…。あの瓶に書かれていた文字を思い出した。
「腐食性があるので、化学熱傷の原因となります。」
俺は、先生のお説教を選んだ。テンション上げていこーぅ。教室に飛び込んで、叫ぶ。
「どうも!科学研究部です☆突然やけど今日の放課後科学部に来てくれる子おるかな?」
……沈黙が続く…
「さ、坂月君?」
「…じゃあ、こっちから指名させてもらうで!そこの長髪男子と、そこの女子!そう、君達。放課後第一実験室な!その他にも、気になるって子は待ってるで!っていうか暇やったら来てください!以上。」
俺のできる事はこれだけだ!後は去るのみ!もう先生の声も聞こえない…


再び、第一実験室。俺の頭上には塩酸の瓶。
「誰も、来ないわね?」
「な…俺だって頑張ったんですよ!」
言い終わる前に、扉が開いた。
「えっと、第一実験室ってここですよね?」
それは、さっきの少女だった。
「いらっしゃああああぁああぁぁあああああぁあああぁいっ」
塩酸の瓶は、頭の上から消え去った。替わりに姫の舌打ちが聞こえてきた。
「あ、あの…?」
少女の目は不安と驚きの入り交じった色をしている。声をかける前に、姫の手から塩酸を奪って棚に片づけ鍵をかけた。
「ごめんねぇ。ビックリしたかな?とりあえず入って。」
扉の外には、黒髪の少年の他にも一年生が二人待機していた。
「俺の恥は、無駄やなかったんですよぉ〜。」
太郎先輩は優しい目で俺を見た。太郎先輩の手に薬品の瓶が握られる事などないだろう!普通のことだけど、俺にとっては重要なことだ。
「科学部にようこそ。僕は、科学研究部副部長の山元太郎。こっちは、部長の中野真理先輩。」
「こんにちは。」
姫は、今までさんざん人を脅していたのが信じられないほど可愛らしい声で言った。姫の猫なで声は俺の怒りと恐怖の増幅作用があるようだ。ある意味、もっとも危険な毒物だろう。
そんなことを考えていたら、姫の目は俺に、手は薬品棚に向かっていた。超能力者かこの人は…。或いは宇宙j…
「青司君」
「ごめんなさい。」
当事者以外は、なぜ俺が謝っているのか、とても不思議に思っているのだろう、みんな首を傾げている。太郎先輩だけは、苦笑いをしている。分かってくれてる!
「彼は、中等部の坂月青司君。もう知ってるかな?」
みんな一斉に頷いた。急に恥ずかしい気持ちが戻ってきた。
「あ、ども…。坂月です…」
「まあ科学部は、こんな感じです。今度は皆の名前を教えてくれるかな?」


少女は白奈、黒髪の少年は蜜、他の二人は鈴香という女の子と、良という男の子だった。
「取りあえず私は、みんながどうして科学部に来ようと思ったか知りたいな。」
「ちょ、どういう意味なんですか!俺の頑張りを認められない、と?」
姫は笑顔で頷いた。太郎先輩に助けを求めてみたけど、さっきからずっと笑顔のままだ。
「私は、青司先輩に指名を受けて…」
「指名?」
「知ってる顔が彼女しか居なかったんで…。」
「俺も呼ばれたんです。わざわざ用事キャンセルしたんですよ?責任とってください。」
「蜜!」
「…冗談です…」
蜜君は口ではそういったけど、俺は呼ばなきゃよかったかなと少し後悔した。この先ずっと目を付けられるかもしれない。
「あ、私は、初日からこんなに呼び込みしてるなんて、おもしろい部活だなって思って!」
話し方が姫に似ているな。と思っていたら、鈴香ちゃんが姫に見えてきた…考えなかったことにしよう。
「僕はもともと、実験が好きなんで。」
「科学」がやりたくてここにきた奴がいたのか!良君が入ってくれたら頑張れる気がす…
「でも、バスケ部と悩んでるんですよね…」
そりゃお前…バスケ部にゃ勝てねぇだろうよ…。でも、頑張ろう…
望みは彼だけか…
そのとき、太郎先輩がこんな事を言いだした。
「折角だから、実験とかしましょうよ真理姫。」
「そうねぇ…。何かしないと悪いものねえ?」
いやな予感がする…
「じゃあ、青司君、助手よろしく。え、僕?僕は解説をするから。勿論実験は真理姫がやるんだよ。」
自分でも、血の気が引いていくのを感じた。
「大丈夫よ。死にはしないから。」
俺は薬品棚に移る青い顔をした「青司君」を見た。彼の顔には、恐怖の色しかなかった。
心臓をフル活動させて頭に血を巡らせる。大丈夫。薬品棚の鍵を握りしめた。鍵はかかってるんだ。
「嫌です。」
「私にそんなこと言って良いの…?」
塩酸のない姫なんてタダの口の悪い女の子だ!
「そう…」
感情のない声で姫が言った。ヒンヤリとした空気が流れた。
「ごめんね、一年生のみんな、準備があるからちょっと外へでてもらえるかな?」
ぞろぞろと一年生達が出ていく。そして、姫は俺を見て冷ややかに言った。
「残念だったわね。」


…俺が甘かった。姫の手には「危険」と書かれた硫酸の瓶が握られている。その手は俺の頭の上に…
まさに鬼に金棒。しかも、もう片方の手にさっき俺が怒らせた分、斧を持っている。
本気で怖い。殺気すら感じる。…用件を飲むか?
…駄目だ、ここで引いたら一生後悔する…どうせやるなら、少しでも良い方向に持って行かなくちゃ。
「俺やりますから、部員が入るかどうか、もう一つ薬品棚の鍵賭けましょう!」
「へぇ…そんな事言うの?」
「優しい部長として!俺は姫のために頑張りますから」
口から、出任せ。誰が姫のために?
「…まあ、良いわ。何の鍵がほしいの?」
「勿論、硫酸です。」
「分かった、あなたが勝ったら硫酸の鍵もあげる。あたしが勝ったら塩酸の鍵は返してもらうわ。」
…交渉成立。


この前は、本当にひどい目にあった。肉体的にも、精神的にも。…何があったのかは聞かないでくれ。残念ながら、あの苦しみを的確に表す表現が見つからない。一年生達は、俺が裏でどんな苦労をしていたのかも知らず、純粋に姫の実験を楽しんでいたようだけど。知らないって幸せだよな、知らぬが仏?
でも、もう終わったことはどうでも良い。今日は入部届けの提出日なんだ。今日俺の運命が決まる。
今日部室に一年生が来てくれる=確実に入部=俺の身の安全は保証される!
その後も何人か見学者は居たんだ、一人くらい来てくれるさ!
そうすれば俺の身の安全は保証される!!(あえて二度言おう。)
姫はあんな人だけど約束は守ってくれる。太郎先輩だって、約束破るような酷い人じゃない。
よって俺の身(以下省略っ)


硫酸の瓶は未だ姫の手の中。
「誰も、来ないわね?」
「前もこんなやりとりありましたよね…」
言い終わる前に、扉が開いた。
「一年生はまだ来てない?」
太郎先輩だ…。
「残念だったね、」
「っ!まだ、望みは、あります…」
来ないなんて事は無いはずだ!じゃなきゃ今までの四ページは紙の無駄遣いにしかならない!
「さぁ、どうだか?」
コンコンとノックが聞こえた。
「すみませ〜ん」
僕は飛んでいって扉を開けた。
「いらっしゃああああぁああぁぁあああああぁあああぁいっ」そこにいたのは、鈴香ちゃんだった。少し驚いたようだが、すぐに我に返ってこう言った。
「入部希望で〜す。」
にっこりと微笑んだ彼女の背中に、真っ白な羽が見えた。
「俺の身の安全は保証されたっ」
俺はすぐさま硫酸の瓶を姫の手から奪って棚に片づけ鍵をかけた。それから、二つの鍵を握りしめた。
「ようこそ、科学部へ!」


「いらっしゃい、鈴香。」
「お姉ちゃん!」
…オネエチャン?
「姫、今度はお姉ちゃんとか、呼ばせる気ですか?」
「何言ってるの?鈴香は私の妹よ?」
イモウトォ?
え、何それ、聞いてないよぅ?
「改めまして、中野鈴香です。」
ニッコリと微笑んだ彼女の背中の羽は、見る見るうちに黒く染められていく。くそう、似てると思った時点で、名字ぐらい確認してれば良かった…。
「鈴香が科学部に入部するのは、私の妹だから。あなたの手柄じゃないわ。」
「…良君は?」
この問いには太郎先輩が答えた。
「バスケ部に入ったらしいね。バスケ部部長が言ってたよ。」
「他は?」
「帰った。」
「そんなぁ…。」
「私の勝ち。鍵は返してもらうわね。」
俺の手から鍵が奪われる。
今までの俺の苦労は何だったんだ?
「それにしても、一人も来ないとはね…ちょっとは期待してたのに。」
俺の四ページが無駄に…これからは身の安全どころか、精神状態さえもさらに脅かされるらしい。
「あぁ…。生きて卒業出来るかなあ…」



「青司君、なんで部屋の隅で体育座りなんかしてるんでしょう。」
「…いじけてるんでしょうね…まあ鈴香が相手してるから、そのうち治るわ。」
「もし鈴香ちゃんの他に入部希望者がいたらどうするつもりだったんです?」
「その時はその時で、他にも薬品はあるから、別に困らなかったのよ。」
「…そう、ですか。」
「本人は気づいてなかったんじゃないかしら。」
「あれだけ喜んでたんだから、そうでしょうね。」
「それに本当に嫌ならもう科学部やめてるわ。」
「そのうちやめたりして…」
「ふふ、大丈夫。私の選んだ後輩なんだから。」


「青司君、いい加減こっち来なさい。」
「…誰のせいだと思って…」
「あなたの宣伝不足だと思ってるけど。」
…これからも、俺と姫の戦いは続く!
いや、出来れば続いてほしくないんだけど…

取りあえず((Fin))!


JACKPOT57号掲載
背景画像:MAPPY

閉じる