橋渡し

花笠柚癒

学校から帰ると、私は縁側まで走った。
「ばあ様、今日もやっぱり信じてもらえませんでした!」
そういって、ばあ様に向かって抱いていた猫を突き出す。
「この猫はしゃべるんだって言って友達に見せてやっても、猫なんていない、って言うんですよ」
「そりゃそうだよ」
ばあ様はあっさりとそういった。
「その子はもうこっちにはいないんだ。同じ世界に存在していないのに、普通の人間に見えるわけがないだろう」
わけがわからなくなった。その言い方だとまるでこの猫が死んでいるみたいだ。こんなに元気そうで、しかもなぜか
「もういいでしょ、おろしてよー。」
なんてしゃべる、このちょっと変わった猫が死んでいるなんて到底思えない。
「普通の猫はしゃべらないだろう。そこが見分けるポイントの一つだよ」
祖母の話によるとこの世には、すべての人が会話できる動物と、そうでない動物がいるらしい。話を聞いて、初めて私は周りの人とは違い、変わっているのだということを悟った。祖母はその話の後に、言った。
「お前はその力を、こっちと向こうの双方のために役立てなさい。私や、お前の父上、母上がしてきたように双方を結ぶ橋となるんだよ。」
私にしかできない仕事。その当時はそれ以上深く考えなかったが、とにかく両方の世界を見ることができる特権を持っていることがただうれしかった。
しかし、意気込んだ私に対して現実は冷たかった。残念なことに、向こうの世界なんぞに興味を示す人間はてんでおらず、日々の生活は副業のほうで支えている始末だ。一応、近隣の家々にはビラ(資金がないのですべて手書きである)を撤いてみているが、効果は無に等しい。祖母は、需要は高いといったが最後に入った依頼はいつのことだったか。あまりの依頼のなさに私はこのまま、副業を本職に変えてしまおうかと思い始めていたが、その必要はなくなってしまった。久々の依頼者がやってきたのだ。

私は毎朝早くから、庭の膨大な数の木々に水をやることが日課となっている。ばあ様が植えろ植えろとうるさかったのだ。ちなみに彼女は向こう側の人間となった今も自室で隠居生活中である。
「あのー……」
突然制服姿の少年に声をかけられた。
「何でしょう」
「ここって、この住所であってるよな?」
私は彼の指差すものを見て目を疑った。それは、私が必死になって書き上げた手製のビラだったのだ。
「ひょっとして……依頼を?」
「依頼がなかったら、わざわざこねぇよ、こんなお化け屋敷みたいなところ」
どうやら、ばあ様の植えさせた木は育つにつれ、敷地内への日光をさえぎり、和風な我が家の外観とあいまって、道行く人々に不気味な印象を与えていたらしい。ここ最近、依頼者がめっきり減ったのも、私の努力が足りないのではなくその所為だと思いたい。しかし、最近の若者は年上を敬うことを忘れたのだろうか。
「早速だけど、この人を呼び出してほしい」
そういって、彼は写真を取り出した。病院だろうか、ベッドの上に幼い男の子と少女が仲良く座っている。多分、男の子の方は今、目の前にいる彼自身だろう。
「昔のお礼を言いたいんだ。ちょっとの間でもいい」
「あなたの彼女への執心さはわかりましたけど、向こうの人をそんなに簡単にほいほいと呼べるわけではないんですよ」
道を行く学生の姿が増えてきた。彼もそのなりからして通学途中にここに立ち寄ったのだろう。遅刻させるわけにもいかない。
「この依頼、お受けしましょう。その代わり放課後でかまいませんから、もう一度ここに来て、一番印象深い彼女との思い出を話していただけませんか」
「……わかった」
「なら、早く学校へ行きなさい。学生が学業をサボってどうするんですか」
「それぐらいわかってるよ、おっさん!」
「な……!」
まだ三十路前だというのにおっさん呼ばわりされるとは……。結構つらい。しかし、そんなことで落ち込んではいられない。私も家に戻り、準備を始めることにした。
向こうの人間と効率的にコンタクトを取るためには、その相手の人物像をつかむのが必要不可欠なのである。膨大な数の中から目当てのものをただ闇雲に探していては時間が無駄に過ぎるだけだ。だから、人物像をつかむのに一番手っ取り早い方法として、私は依頼者から直接話を聞くのである。

彼がやってきたのは、日が暮れかけた頃だった。
「ずいぶんと遅い帰宅ですね」
「悪いかよ……って、なにその服。和服?」
「和服とは似てるようで少し違うような気が……します? 一応、ただの和服なんですけど」
「いや、上に来る襟の向きが違う気がしただけ」
「え……うわ、本当だ!」
依頼があるたびに来ている服だから(とはいえ、大分と間隔はあいているわけだが)、余計にしゃれにならない。先ほどまでの余裕はどこへやら。
「と、とにかく! もう一度ここにきたということは、本気なんですね?」
「ああ」
そう答えた割に少年は、まるでその話を他人にすべきなのか悩むようにしばらくためらった後、口を開いた。
「……あれは、俺が五歳のときのことだった──」

俺はそのとき、治る見込みのない病気にかかっていた。病院を転々と移動し、最後にたどり着いた病院である人と出会った。彼女は今の俺と同じぐらいの年で、かなりひねくれた性格をしていた。病院側も彼女の所業にはずいぶんあきれているようだったけど。
「何? 今度の相部屋はガキなの? ちょっとあんた、夜中にママが恋しくなって泣くなんてことないわよね?」
と、のっけからこんな調子だった。母さんはそれを聞いてすごく不快そうな顔をしていたけど、不思議なことに罵られたはずなのに目の前のこの人に対して悪い印象は全く感じなかった。

最初、彼女はやっぱり冷たかったけれど、見舞いに来た母さんたちが帰ると、彼女は俺と話をしてくれるようになった。
「ねぇ、あんたの名前って何ていうの?」
「僕は悠だよ。お姉ちゃんは?」
「……「紫」って書いて「ゆかり」よ」
「紫なのに、ゆかりお姉ちゃん?」
「そうよ。ところで悠……だっけ? あんたって何の病気なの?」
「えっと……僕の血の中には悪いばい菌さんがいて、悪さをし始めたら、僕は死んじゃうかもしれないんだって、ママはいってたよ。「しゃけつ」っていうのをして、ばい菌さんをみんな外に出したら、
治るかもしれないんだって」
「ふーん、そうなの。大変ね」
「紫お姉ちゃんは、何の病気のせいで入院してるの?」
「あたしの病気はね、わがままなの。完全に回復する確率は発症してから、どれだけ早く診察を受けたかで決まるし。あたしの場合は遅すぎたから、もう二度と戻る見込みはないらしいわ。だったら、早く殺してくれればいいのに、この病気はそれもしないでゆっくりとあたしから体力を奪っていくの。でも、親は医者にそういわれてもあたしに少しでも長く生きてほしいと思ってる。だから、自殺なんて安い手段で逃げることさえもできない。変な病気抱え込んだまま、そのときが来るまで生きろ、なんて言うのは結構酷なことだと思わない?」
その当時の俺は、多分彼女の話した言葉の半分以上も理解できていなかったと思う。でも、そう話す彼女の横顔はとてもつらそうだったことだけは鮮明に覚えている。でも、姉ちゃんがそんな顔を見せたのは、これが最初で最後だった。その翌日から、何事もなかったように、姉ちゃんは今までどおりの笑顔に戻っていた。

その一件以降、急速に仲良くなった俺たちは、病院中を遊び場にして、よく看護士さんに怒られた。だからといって、病室にいても退屈なだけだし、懲りずに何度も病室を抜け出しては遊んでいた。
が、俺がその病院に入院してから、一ヶ月ぐらいが過ぎた頃に異変は起きた。いつもどおり、病室を抜け出した俺たちは、その日は病院の庭に向かった。姉ちゃんは一度も走ろうとしなかったから、いつも歩いて移動だ。
しかし、庭が見えてきたあたりから俺の記憶は一部飛んでいる。目が覚めたら、見慣れた病室の天井が目に入った。俺が目を覚ましたことに気づいた母さんが、すかさず俺を抱きしめた。母さんは泣いていた。
隣のベッドには姉ちゃんがいた。珍しく眠っている彼女のほうを見て、母さんは言った。
「あの子が、あなたが倒れたのを看護士さんたちに教えてくれたのよ」
どうやら、あれから俺は何の前触れもなしに突然倒れたらしい。それでも、彼女は冷静に対処してくれたようだ。まさに姉ちゃんは命の恩人である。

だが、それから俺の容態は日に日に悪くなっていった。長時間、病院を歩き回ることができなくなってきたから、必然的に病室にいることが多くなった。外にいけなくなって、少し退屈だったけれど、姉ちゃんはそんな
俺といつも一緒にいてくれた。漠然とだが、悪いばい菌が動き始めたのだろうな、と思っていた。でも、不思議と怖くは感じなかった。

一度、夜中に目が覚めたとき、偶然にも同じタイミングで姉ちゃんも起きていたことがあった。彼女は、僕のベッドの横に椅子を置いて座っていた。あたりの暗さで助長された不安から、
「……僕、死んじゃうのかなぁ」
と、知らず知らずのうちに聞いていた。
「そうね、このままだとあたしよりも、悠のほうが先に死ぬと思うわ」
と、答えは返ってきた。
「……」
「あれからずっと、苦しいんでしょう? それこそ、本当に死んじゃうんじゃないかって思うぐらいに」
「うん」
「大丈夫よ、紫お姉ちゃんがついててあげる。ずっと一緒にいてあげるから。ね? だから、今はとにかく早く寝なさい」
「……うん」
そういうと、彼女は優しく笑って、おやすみなさいといった。それが彼女との最後の会話になるとは、思いもしなかった。


翌朝、隣のベッドを見ると、そこには誰もいなかった。どこかにいっているのだろうかとも考えたが、それにしてはなんだか不自然すぎた。だが、さすがにその違和感が、そのベッドの周りから、彼女のいた痕跡が
根こそぎ消えていることだとまでは気づくことができなかった。
「検査をするそうよ、早くいらっしゃい」
と、昼過ぎに母さんに呼ばれた。今まで定期的な診察はあったものの、検査なんて、あの倒れた日ぐらいにしかしていない。検査の結果を診察室で待っている間、俺は姉ちゃんのことを考えていた。昼食の時間になっても、
彼女は病室に帰ってこなかったから。

「信じられないことが……起こっています。お子さんの体から、病原菌がひとつ残らず消えているんです」
その言葉を聞いて、俺と母さんは顔を見合わせた。まだ本格的な治療は何一つしていないのに、たった一晩で奇跡的に全快だなんて。もちろんうれしかったけれど、まだ案件がひとつ残っていた。姉ちゃんがいない。
いなければ、せっかく治ったってうれしさは半減だ。いつも彼女の行動にあきれて愚痴をこぼす院長先生ならば知っているだろうという純粋な考えから、向かいに座る彼に聞いてみた。
「ねえねえ、先生。僕とおんなじ部屋の紫お姉ちゃんはどこに行っちゃったの? お昼ごはんのときも戻ってこなかったんだ。いつも僕と一緒にいてくれたのに……」
言い終わると同時に、診察室の空気が一変した。心なしか気温が数度下がったような気がした。鋭い空気。言ってはいけないことを言ってしまった……?
「彼女は、今朝────」

俺が聞きたかったのはこんなことじゃなかった。彼女なら、また病室を抜け出して、看護士さんや先生たちにちょっかいをかけにきていますよ。ひねくれものといい本当に困った子ですっていつもみたいにあきれてほしかっただけなのに。

「彼女は、今朝────亡くなったんだよ」

一瞬、理解ができなかった。理解しようとしても、心が完全にそれを否定した。嘘だ。だってあの人は。
「何で──だって、紫お姉ちゃんは僕よりも先に死なないって、言ってたもん!」
「……不思議なのは、君の病気が治ったことだけじゃないんだ。彼女の死因は、彼女がもともと患っていた病気による合併症じゃなくて、悠君とまったく同じ病気だったんだよ。君の病気は、血液によってしか
感染しないはずなのに、だ」
俺は入院中に一度も怪我をしていないから感染なんかするはずがない。じゃあ、どうして……?

「紫お姉ちゃんが悠の病気、治してあげる。苦しいの、なくしてあげるわ。」
「そんなことできるの?」
「できるわ、きっと。だから約束して、ちゃんと元気になって退院するって」
「うん、約束する!」
最後にこんな約束をした。そんなこと、できるはずがないと思っていた。もし、本当にそんなことができたとしても……こんな俺のために、わざわざ体を張る必要なんか────……!

「……で、結局、実際は何が起きたのかよくわからないまま俺は退院して、無事に生きてるってわけ。」
「想いの力……」
「想いの力……?」
「あなたが紫さんって人と最後に交わした約束があったでしょう」
「あの、お姉ちゃんがあんたの病気云々ってやつ?」
「そう。そこに彼女のあなたを助けてあげたいという強い想いがこもってたんですよ」
「でも、そんなものでこんなに簡単に奇跡が起きるものなのか?」
「それは……運の問題としか」
「何だそれ」
「えー……とりあえず、大体の人物像はつかめた気がしますので」
「気がしますので、って何だよ」
「早速彼女を呼んでみたいと思います」
そういって彼を縁側から家の中へ招き入れる。ばあ様の部屋から声がした。
「お客さんかい?」
「ええ、久々の依頼者ですよ!」
意気揚々と答えると、悠少年がこっちを変な目で見ているのに気づいた。
「何か?」
「誰に向かって話しかけてたんだ?」
「ああ、ばあ様です。奥で隠居生活中なんですよ」
「でも、声なんかしなかったし」
「彼女は向こうの人ですから、仕方のないことです。気にしないでください」
彼を僕の部屋に通す。あらかじめたいておいたお香が部屋中に充満している。いつまでたってもこのにおいには慣れない。正直このにおいは嫌いな部類に入る。
「何、この甘ったるいにおい」
「このお香で、あなたにも彼女の姿を見ることができるようにしてあげてるんですよ」
彼と向かい合うように座る。これで、向かいに座っているのが女性だったらちょっとしたお見合い気分である。……って、何を考えているんだ、私は!
「少しの間、目を閉じて、耳を塞いでいてくれませんか?」
「何で、今更」
「ちょっとしたサプライズ演出のためですよ」
「……」
多少あきれ気味だったものの、悠少年は私の要望に応じてくれた。
「お待たせしました。今日の昼間からずっと待ってたんでしょう?」
「やっぱり見えてた?」
「もちろん。そんな部屋の隅にいないで、出てきてください」
紫さんは、準備を始めたときからすでに、この部屋に来ていた。私はそのとき、まだ彼女のことを知らなかったので、またどこかから迷い込んできた類なのだろうなと思って、気にも留めなかったのだが、今ははっきりとわかる。
「もういいですよ」
悠少年は、目を開いた。そして、さらにそれを大きく見開いた。
「……ずいぶん大きくなったね、悠」
「紫……姉ちゃん」
「わざわざ会いに来てくれたの? 優しいなあ、悠は」
「……何で」
「?」
「何で、勝手に死んだんだよ! 俺のことなんか、体を張ってまで生かしておく必要なんて──!」
それを聞いて、紫さんは多少むっとした顔で反論した。
「いい加減、あたしだって死にたくなったのよ。だって、悠が倒れたときなんか、背負ってナースステーションまで走っただけで、体力尽きて寝なきゃいけないほどだったし、あの頃なんか寝ることすら満足にできなかったんだから! 別に悠のためなんかじゃないわ」
「素直じゃないですねえ」
「うるさいわね、おじさんは黙ってて!」
「おじ……!」
率直な感想を述べただけで、またしても痛恨の一撃を食らうことになろうとは……。
「約束のことだって、適当に言ってみただけよ。そうしたら、なぜか知らないけど本当になっただけだもの」
「でも、本当は姉ちゃん、そのせいで後悔してたりとか」
「してないわ。でも、一つだけ心残りはあるかも」
「心残り?」
ふと、残り時間のことを思い出して、香炉に目を向ける。まずい、もうほとんど時間がない。
「紫さん、照れ隠しはいいですから、早く本題に入らないと時間が来ますよ」
「え、ああ……そうね」
「?」
「その、心残りって言うのはね、悠がいつまでもあたしの影を引きずってることなのよ」
「……そうかな?」
「だって、今の悠にはあのときみたいな元気がないもの」
「!」
香炉から出る煙が見る間に細くなっていく。もって後一分──
「あのね、あたしを死なせたと思っているならそれは間違いよ。だけど、あたしのために何かできることはないのかって思ってるなら──」

紫さんが見えなくなってから(実際はまだこの部屋の中にいるのだが)、悠少年は今まで我慢していた悲しみや後悔を全部外へ流してしまうかのように、机に突っ伏してしばらく泣き続けた。紫さんも、そんな彼を静かに隣で見守っていた。ようやく泣き止んで復活するまで、優に十分は要しただろう。
「……ありがとうございました。」
「その様子だと色々吹っ切れたみたいですね?」
「ええ、まあ。あ、お代なんですけど」
「結構ですよ」
「……え?」
「こんなに感動したの、久々ですから。今はお金をとろうという気になれないです」
もちろん、今の言葉に嘘はないが、現実的にはお金をいただかないと非常に苦しい経済状態が続くことになる。しばらく、天秤は揺れていたが、やがて感動のほうにそれは傾いた。
「でも、申し訳ないです」
「いいんですよ、お気持ちだけいただいておきますから」

「また、ここに来てもいいですか」
彼は帰り際にそんなことを言い出した。
「その……彼女に会うために」
「ぜんぜんかまいませんよ。基本私はいつも暇ですし」
と、言っていて悲しくなったのは言うまでもない。
「本当ですか?」
すごくうれしそうに悠少年は笑った。ああ、そういえば、彼が笑った顔を見るのは初めてだな、と気づく。

「私の分も、楽しく、明るく生きてよ。それこそ、後悔なんか一つもしないぐらいに。せっかくあたしが守ってあげたんだから、無駄に生きることだけは絶対にしないで」

紫さんは最後にそういった。彼女の言葉は彼をすっかり変えてしまったらしい。
「やっぱり、本業はこの仕事のままの方がいいか……」
こっちに向かって手を振りながら走り去っていく少年の姿を見ながら、私は思った。


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