蒼珂燐
いつもの学校の帰り道、僕は友人達と別れ、一人で家に向かっている所だった。 道を渡ろうとしていた女の子が途中でこけた。そこへ車が近づいているのが視界の端に移った。女の子はまだ立ち上がれないでいる。 「危ない!」 あの子を助けなければ。それしか頭になかった。女の子を庇い、道の端へ押し出すともう目の前にはヘッドライトが迫っていた。 体中に衝撃を感じると同時に、僕の体は宙に浮いていた。目の前が真っ暗になり、そのまま意識を失った。 目を開けると、まず机が最初に見えた。少し視線を上げると席に着いていた男性が見える。手にはペンと書類を持ち、僕を観察する目で見ていた。 自分の体は椅子に固定されていて、頭には何か装置のような物がつけられていた。首を回せば壁に掛けられたスクリーンも見えた。小さな部屋の中には、それ以外の物はなかった。 ――ここは、どこだ? 机に向かっていた男性が立ち上がり、僕の方へ近づくとにっこりと笑った。 「はい、合格です」 僕はその人を見上げた。長身で、少し癖のある銀髪。白衣と眼鏡がよく似合っている。人の良さそうな雰囲気をしていた。 「どういうこと…ですか?」 僕が尋ねると、彼は肩をすくめて軽く苦笑した。 「目覚めた直後は、皆同じ事を言うね。覚えていないかい? 君は今まで試験中だったんだよ」 「試験……あ」 思い出した。この国には、中学を卒業した子供全員に課せられる試験がある。知識、体力などを測る為らしい。――僕は、その試験を受けている最中だった。では、さっきの交通事故も試験の一環だったのだ。 「君は知識、体力、素質、全ての面で優秀な成績を収めたよ。ということで、君には首都へ行って学園に入学してもらいたい。いいね?」 「でも、この試験はただ学力を調べるためでは…」 「表向きはそうしてあるけどね。この目的はそれだけじゃない。 この試験で成績の優秀な人を見つけて、ある学園に入ってもらうことなんだ」 「…そこで、どんなことを学ぶのですか?」 不安だった。何をするのか、自分がついていけるのか。 「この国を守るために必要なことだよ」 「この国を守るため…?」 「そう。君はこの国が狙われていることを知っているかい?」 「…いいえ」 その人は書類を机の上に預けると、黒い革張りの椅子へと座った。弄ぶようにくるくると椅子を回しながら話し出す。 「まあ、公には知られないように情報を操作しているからね。…ホムンクルス、とでも言えばいいのかな。姿形は人と変わらないけれど、強大な力を持ち度々襲撃を仕掛けてくるんだ。僕等の仕事はそれに対抗する勢力を作ることだよ」 そこで彼は椅子を止め、軽く指を組んで顎をその上に乗せた。 「君の力が必要なんだ」 硝子片の奥の目に真っ直ぐ捕らえられる。僕は反射的に答えていた。 反対する理由は何もない。 その学園は、都市から少し離れた、海に面した平野の中に位置していた。寮と校舎が併設され、戦闘機用の滑走路まである。そこの教師であるジェラルド曰く、地下には研究室まであるという。 「施設の中を案内するよ。ついておいで。迷子にならないようにね」 その言葉を受け、彼の後について見て回る。入口を抜けると長い廊下が続いていた。近くの扉を彼は開き、僕に中に入るよう促した。部屋の中には段々状に机が並んでいた。今は使用されていないのか、生徒の姿は無かった。 「ここは講義室。武器や戦闘機の扱い方を説明したり、あとは普通の高校でするような授業をしたりするところだよ」 他にも講義室はいくつかあり、廊下の突き当たりにはトレーニングルームがあった。パソコンルーム、柔道場なども廻ると、その次は寮の方も案内して貰った。食堂や談話室には生徒が数人いて、僕に声をかけてくれる人もいた。そして最後に寮の部屋を見せて貰った。 「ここが君に割り当てられた部屋だよ。二人部屋にしようかとも思ったけど、生徒の数がそんなに多くなくてね。個室の人がほとんどだよ」 彼の説明を聞きながら、部屋の中を見渡した。机、ベッドなどの最小限の家具、いくつかの電化製品が備え付けてあった。広くはないが一人用には丁度良い広さだった。そして小さいながらもベランダまであった。 「すぐに慣れると思うよ。きっと他の生徒達も君を歓迎してくれる」 この学園に入学して数日がたった。自室で休憩していると、ノックをする音が聞こえた。そちらの方を向いて返事をすると、ドアが開かれジェラルド先生が現れた。 「こんにちは、シリル君。ここでの生活はどうだい?」 軽い口調で尋ねられる。彼はいつもどこか飄々とした雰囲気を纏っていて、未だによく掴めない。けれども頻繁に僕の所へ来て気遣ってくれる。ここに入りたての僕はそれがとても嬉しかった。 「はい、お陰様でもう慣れました。ここの人たちも友好的ですし」 「それなら良かった。そうそう、君に面会を希望している子がやってきてるよ。アーノルド、とかいったかな」 玄関の所で待ってるよ、とだけ言い残して先生は踵を返して早々に階段の方へ消えていった。 アーノルドは、中学の時からの友人だ。僕が此処に入学することになり、挨拶もそこそこに離れてしまい、少しそれが気がかりだった。彼の方から出向いてくれるとは。 玄関へ向かうと、アーノルドが少々居心地が悪そうに立っていた。僕に気付くと、軽く肩の高さで手を振った。 「よう、シリル」 「アーノルド。久しぶり」 「首都の学校に行くって言って急にいなくなるから驚いた。それで、どうだ? こっちでの調子は」 「うん、だんだん慣れてきたよ。寮生活も結構楽しい」 「へえ。で、この学園でどんなことしてるんだ?」 「え…と、他の高校とそんなに変わらないんじゃないかな…」 ジェラルド先生からは、この学園のことは内密にするように、と口止めされていた。きっと色々ややこしい問題があるのだろう。 「他校と同じなのにわざわざ首都まで来ないだろ」 彼は少し笑った後、滑走路の方を親指で指した。 「それに、学校の割には物騒な物があるみたいだけどな」 じっと見据えられ、彼を騙し続けることを諦めた。どうも僕は嘘をつくのが下手だ。それに、黙っていてもあまり意味は無さそうだ。 「…襲撃してくる敵に備えて訓練してるんだ。敵が街の方へ行く前に、ここで食い止めなきゃいけない」 「敵?」 「ホムンクルスらしい。姿は人と変わらないけれど、首の所に刺青のような模様があってね。それで見分けられるんだ」 「ふーん…。ま、お前が言うなら本当なんだろうな」 かなり要約した説明にも、彼は特に不満は言わなかった。そしてそれ以上深く追求することもしなかった。アーノルドは廊下の方を向きながら、硬い顔でぽつりと呟いた。 「なあ、銀髪で眼鏡かけた白衣の人ってさ、誰?」 「ああ、ジェラルド先生。あの人は実はここの創立者で、研究者でもあるんだ。時々講義もするよ。いい人でね、入学したての僕の面倒を見てくれてる」 僕が先生について説明した後も、彼の表情は変わらなかった。 「…あの人のこと、あんまり信用しない方が良いかもしれない」 「何で? よく分からないことはあるけど優しい人だよ」 すかさず反駁するとアーノルドは喉の奥で笑った。 「相変わらずお人好しだな、シリル。けど、俺は自分は勘が良い方だと思ってる」 なおも僕が何か反論しようと口を開いたとき、けたたましい音で警報が鳴った。廊下の照明が落ち、赤色灯が回る。 ――北東約5qの地点にホムンクルスと思われる人物を確認。隊員は直ちに現場へ向かうように。 後者の方から、慌ただしい足音がする。ただ立っている僕たちの前を、生徒が何人も駆けていった。 「…僕も行った方がいいかな」 「入学して間もないんだ。たいした戦力にはならないだろ」 廊下の方からもう一つ、新たな足音が聞こえてきた。 「シリル君!」 「ジェラルド先生」 「実は前回の戦いで人数がかなり減ってしまったんだ。君も来てくれるとありがたい。後方からの援護で良いから」 「僕で、大丈夫なんでしょうか。まだ訓練もろくに受けていませんが」 「君なら大丈夫だよ。皆のため、お願いだ」 皆のため、と言う言葉が胸に響く。顔を上げてしっかりと返事した。 「はい。わかりました」 シリルを見送った後、ジェラルドは校舎の中へと入っていった。アーノルドは何も言わずにそっと彼の後を着いていった。 彼の向かう先は医務室などがある医療棟だった。そこには怪我をして入院している生徒や、少し回復してリハビリをしている生徒がいた。ジェラルドはその生徒達それぞれに声をかけていく。心配そうに気遣い笑顔で励ます教師と、それに同じく笑顔で答える生徒。普通に見れば心温まる場面だろう。けれどもアーノルドには二つの笑顔が同じには見えなかった。 そのまま一人で校舎を歩きながらふと窓の外を見ると、シリル達が戦っている所が見えた。銃声が響き、銃を撃っていた生徒の一人が倒れ、それをシリルが駆け寄って起こした。ホムンクルスの手から放たれた閃光が、空を旋回していた戦闘機の翼にあたり、煙を上げながらゆっくりと海の中へ沈んでいった。 「何をしているんだい、こんなところで」 背後からジェラルドの声がした。アーノルドはそれには応えず、海の方を見ながら逆に問い返した。 「…いくら敵から街を守るためとはいえ、こんなに犠牲が出てあんたは平気なのか?」 この学園に来るまでに、遠くの方にある広場を見かけた。規則正しく並んだ石とそこに添えられた花。きっとあれは墓地だったんだろう。 ジェラルドは少し顔を曇らせ、静かに答えた。 「できることなら犠牲は出したくない。けれども彼らは自分を犠牲にしてでも戦うと言ってくれた。その美しい精神に私は感謝しているよ」 「美しいだと? 自己犠牲が?」 アーノルドは勢いよく振り返り、目の前の相手を睨み付けた。眼鏡を通して見る瞳は何の動きもなかった。 「そう思っているよ。…少なくとも彼らはね」 どうしても彼の真意を知りたくてアーノルドは地下へと向かった。彼の目的はいったい何なのか。研究室へ向かう足取りが速くなった。 研究室と書かれている扉に手をかけた。鍵がかかっているかと思ったが、扉は音もなく開いた。 薄暗い部屋の中には巨大な試験管、様々な機械、床に広がるコード。そこにいた銀髪の男がゆっくりとこちらを振り向いた。側の試験管の中には一人の少女。その首には、刺青が。 「…あんたが元凶だったんだな?」 「確かに私が一番初めの人造人間を造った。それが一般の人たちを襲い始め、そして今も仲間を増やしている。だから私は償うためにこの学園を創立したんだ。彼らに対抗できる人間を養成するために」 ジェラルドは立ち上がり、側のガラスに触れた。中のホムンクルスは生きているのかいないのか、身動き一つしない。 「その話は本当なのか」 「本当だよ。まだ疑っているのかい?」 苦笑しながら肩をすくめてみせた。アーノルドはまだ警戒を解く様子はない。 「…あんたがすんなり本当のことを言うとは思えない」 「動機は嘘だけどしたことは変わらないよ」 ジェラルドの表情が変わった。生徒達に見せたのとは全く違う、冷たい顔だ。 「私は人間という物に失望したんだ。私が差し向けた敵を退け、綺麗な絵空事を貫いてくれれば、私も少しはこの世界と人間に対する考えも変わると思ってね」 「もしそれでシリル達が負けたらどうするつもりだったんだ?」 「…それならそれで良いと思っていた。こんな世界などどうでもいい」 「ふざけるな!」 怒りに任せて叫んだ後、呼吸を整える。俯いたまま、アーノルドはもう一度問いかけた。 「…今の話は、本当か」 「さあね。そんなこと聞いても無駄なことは君もわかっているんだろう?」 この嘘つきな私に。 「私が人を信用できないのは、自分が嘘つきだからだ。人を騙しているから自分も騙されると疑心暗鬼になる」 自嘲を含んだ声が部屋の中で響く。ジェラルドはアーノルドの前を通り過ぎ、ドアの前で立ち止まった。ドアの外からずっと聞こえていた銃声が止み、静寂が訪れた。 「終わったようだね。さあ、彼らを迎えに行こうか」 ジェラルドは首だけで振り返り、微笑んだ。 戦場と化していた浜辺は、昼間見た風景とは別物になっていた。傷つき座り込む生徒、倒れて動かないホムンクルス、墜落した戦闘機からは燃料が海へ流れ出ていた。そしてその海は夕日で血の色に染まっている。 「無事か、皆!」 生々しい戦闘の痕を残した砂浜をジェラルドが見回り、自力で動けない者は医療班に運ばせていった。あらかた生徒が校舎の方へ戻った後、岩陰に隠れていたシリルを見つけた。 「シリル君、怪我は?」 「僕は大丈夫です。でも…」 シリルが傍に横たわっている少年を見下ろす。彼の顔は血の気が引いて真っ青になっていた。それを見下ろしている少年も同じように青ざめていた。頬を冷たい汗が伝っている。 「大丈夫、生きているよ」 ジェラルドは励ますように肩を叩き、シリルに倒れている少年の手首を握らせた。多少弱くはなっているが、確かな鼓動が指に伝わってきた。 一方、その様子を見ていたアーノルドは心の中で悪態をついていた。 (……白々しい) 先程ジェラルドの話を聞いていたアーノルドには、もう彼の言葉は嘘にしか聞こえなかった。 それとも、多少なりとは心配しているんだろうか。ここの生徒たちにずっと付き添っていれば、少しは心を動かされているのかもしれない。 …それでも。 「シリル、もういいだろ。ここの学園を辞めて俺たちの町へ帰ろう」 シリルの方へ一歩進み、手を差し伸べる。シリルはその手をとらずに黙って俯いたまま首を振った。 「帰れないよ。また、敵がやってくるかもしれないから…」 「違うんだ!」 シリルが驚いて顔を上げる。アーノルドはぎり、と歯を噛み締めた。 「違うんだ……全部、こいつの所為なんだよ」 アーノルドが説明している間、ジェラルドは何も言わなかった。肯定も、否定もしなかった。 「先生……?」 「信じる信じないは君の自由だよ」 眼鏡が夕日の光を反射し、表情を読み取れなくしていた。けれどもシリルにも分かった。彼が否定しないそのわけを。 近くに倒れていた人造人間の腕が、微かに動いた。次の瞬間にはジェラルドの首に飛びかかり、両手で締め上げていた。 「まだ生きていたのか…っ」 突然のことに固まっている二人の姿が視界の端に映った。 そのまま君たちは踵を返し、私を残して逃げるだろう。そうして当然だ。助けに来れば自分たちにまで被害が及ぶのだから。 さあ、行ってしまえ。でなければ、私は君を認めることはできない。 二人が何か言い合っているが、もうその声は聞こえない。アーノルドがシリルの手を引いて逃げだそうとするのを見て、何故か少し安堵した。同時に、寒さにも似た空虚な気分が込み上げてきた。だが、彼にはその感情が何か分からなかった。 鈍い音がして、首を掴んでいた力が緩んだ。空気が肺の中に急に入り込み、酷く咳き込む。見上げると、シリルが息を弾ませながら弾切れになった銃を持って立っていた。ホムンクルスは頭を抱えて一度蹲った後、標的をジェラルドからシリルへと変えた。立ち上がって右手を軽く振り払うと、シリルの体が地面に強く打ちつけられた。服の袖に赤が滲む。 腕を上げ、再度攻撃を仕掛けようとした所で敵の動きが止まった。そのまま地面へと倒れ込む。ホムンクルスの背後には、ジェラルドが両手で拳銃を構えていた。 「…彼らの弱点は私が一番よく知っているよ」 完全に動かなくなったのを確認すると、ジェラルドは溜息を一つ漏らした。 「なあ、一つ聞いて良いか?」 医療班を待つ間、アーノルドはジェラルドに問いかけた。返事がなかったが、気にせずにそのまま聞いた。 「どうして、俺がこの学園に入ることを許可したんだ?」 本当にこの学園のことを隠しておくつもりなら、アーノルドを入れさせないこともできただろう。外部の人間が引っかき回す恐れがあるということも予測できたはずだ。 「何故かな…。もう、終わりにしたかったのかもしれない」 誰かに名前を呼ばれたような気がして、目を開いた。白い天井が見えて、病室のベッドに寝かされているのだと気付いた。ぼやけていた視界が徐々にはっきりとして、心配そうな顔をしたアーノルドの顔が見えた。 「…シリル」 「大丈夫だよ」 そう言って少し微笑むと、彼の方も安心した表情を見せた。 「…良かった」 そして息をつくと側の椅子に座り直した。 「自己犠牲なんて…する方は良くても残される方のことなんて考えていない。ずっと自分だけが助かったなんて罪悪感に苛まれ続けるんだ。…生きていてくれた方がどんなに嬉しいか」 途切れ途切れに話すアーノルドを見て、彼の両親が亡くなっていたことを思い出した。 「違うよ、アーノルド。僕等は一人でも多くの人が助かるようにしたいんだ。決して自分は死んでもいいなんて思ってないよ」 視線を横にずらすと、不機嫌な顔をして腕を組み、壁にもたれている先生が視界に入った。 「先程のことについては、礼を言わなければならないな。ありがとう、シリル君」 それだけ早口で素っ気なく言うと、一度言葉を切った。 「けれど、分からない。何故、あの時私を助けた? 私は…君たちをずっと騙していたんだぞ」 落ち着かなさそうに視線が彷徨う。彼は別に不機嫌なわけではなくて、戸惑っているようだ。 「でも、だからって見殺しにするわけにはいきませんから」 「何故だ? 何故君は他人なんかの為にそこまで尽くせる?」 「他人のため…というより、自分のためでもあるんです。少しでも誰かの役にたって、自己満足に浸りたいと、ただそれだけですよ」 彼がこの学園を創立したのは、きっとその答えを知りたかったから。でも、本当は何故なのか自分でもよくわからない。 「…やはり君のような人間は理解ができないよ」 溜息と共に、呆れたように呟いた声が耳に届く。 「…でも、嫌いじゃない」 俯いたままの彼が、ありがとう、と言ったのが微かに聞こえた。 2008年文化祭特別号『ff』α掲載 背景画像:空に咲く花様 |